第27話 希望へと登れ

 プルーム家は帝国内乱時に作られた砦を改装した屋敷である。

 広い敷地の中にはいくつかの建物があり、幽閉塔ゆうへいとうもそのひとつ。

 捉えた捕虜ほりょを収容するための、縦に伸びた監獄だ。

 その最上階にリタは囚われていた。

 灰色の壁に六方を囲まれた部屋。

 ひとつだけある鉄格子てつごうしから外の景色を眺めながら――。


「……私は、失敗したのですね……」


 申し訳なかった。

 次代の皇帝に選んでくれた母に。

 身をていして自分を守ってくれたルミエラに。

 そして、優しさだけでずっと一緒にいてくれた大好きなエイトールに。


「……エイトール……!」


 鉄格子てつごうしに縋りついて、リタは泣いた。

 大好きな親友の笑顔が思い浮かぶ。

 その声を聞きたい。

 その腕で力強く抱きしめてもらいたい。

 でもそれは、もはや叶わぬ願いだと知っている。

 だとしても、無力となった少女は頬を伝った涙の先に、その言葉を呟いた。


「……助けて、エイトール……!」


 囚われの王女は、異国の王子に助けを求めた。

 それが決して届かない、夢のような言葉だと知りながら――。


 ***


「――任せろ」


 しかして、リタの意志に反してその言葉は届く。

 プルーム邸から離れた林道にある背の高い樹の上。

 その枝に立ったエイトールは超人的な視力でリタの姿を確認していた。

 高い塔の頂上。

 ひとつだけある窓から見えた赤い髪。

 泣きながら鉄格子てつごうしすがり付く親友が涙と共に口にした言葉。

 その唇の動きは、確かにこう言っていた。


 ――助けて、と。


 ならば――。


「何度だって助けてやるさ。俺はお前の友達だからな!」


 いつだって変わらない、エイトールの行動理由。

 命の危険だなんて関係ない。

 友達が泣きながら助けを求めているならば、エイトールがそれに応えない理由はない。

 しかし――。


(さて、どうしようか……)


 エイトールは考える。

 リタが囚われているのは敷地の奥にある塔の頂上だ。

 切り立った崖の上に建つプルーム邸では直接、塔に向かうことはできない。

 辿り着くためには正門を抜ける必要がある。

 だが――。


(流石に気づかれずに正面突破は無理だよなぁ……)


 今はリタが人質に囚われているようなものだ。

 十や二十の騎士に負けるつもりはないが、リタを人質に取られればエイトールは手出しをできない。

 どうにかして、誰にも気づかれずリタを救出できないものか――。


「……いや、いけるか?」


 ふと、エイトールは思いつく。

 リタが囚われた塔があるのは敷地の一番奥。

 つまりは切り立った崖側がけぎわだ。

 常人なら考えつかない思考だが、あいにくエイトールは常人ではない。

 短絡的たんらくてきな思考は、無謀とも思えるその策を決行することを選んだ。


「よし、急ぐぞ!」


 エイトールは木を飛び降りた。

 一般的な建物の四階ほどの高さだが、エイトールにとっては当たり前の時間短縮だ。


 ***


 そうしてエイトールは回り込んだ。

 断崖絶壁だんがいぜっぺきと称されるであろう壁の、その足元に。

 遥か頭上を見上げれば、小さくリタの囚われた塔の先端が見える。

 エイトールが考えた作戦はこうだ。

 崖を登り、プルーム邸に背後から侵入する。

 単純であり、無謀な作戦であった。


「んー」


 しかし、エイトールは超人体質の持ち主だ。

 常人であれば無謀とされる崖登りも、エイトールならば可能なはず。

 きっと少年には、この絶壁もちょっとした段差くらいに見えているはず――。


っか! 無理だろ、こんなの!」


 そんなことはなかった。

 自分で立てた作戦に文句を言いながらも、エイトールは壁に手をやる。

 突き出た岩などを掴みながら、装備も何もない、身のままの崖登りを開始した。


「うぉっ!?」


 手をかけた壁がもろく砕け、バランスを崩した。

 咄嗟に蹴りで壁を強引に踏み抜き、地面と水平に立つ。

 ぱらり、と小石がこぼれ落ち、眼下の川へと落ちていった。

 きもを冷やしたエイトールだが――。


「……待てよ?」


 崖に足を突っ込み、水平に立つ自分の姿にふと思う。

 ――もしかして俺、壁、走れるんじゃね?

 重力定義に真っ向から喧嘩を売ったその思考を、エイトールは実践する。

 引き抜いた足を力任せで再び崖へと突っ込む。

 今度は逆足で同じ動作を繰り返す。

 さらに逆足で同じ動作を繰り返す。

 繰り返す、繰り返す、繰り返す。


「なんだよ、意外と簡単だな!」


 崖を力任せに踏み抜いて、エイトールは走り出した。

 地面と水平に、崖と垂直に。

 豪快な崖登りは、まるで炸裂弾を破裂させたかのような轟音を響かせる。

 その音と衝撃は、元々崖に住んでいた魔法生物を叩き起こせるのに一役買ってしまった。


『キシャーっ!!』

「うぉっ!?」


 上機嫌に崖を走っていたエイトールの前にそれは現れた。

 巨大な――それこそ牛を丸呑みできそうなほどに大きなコウモリだ。

 どうやら崖にあった大穴が彼らの住処であったしい。

 キキキキキキッ、と甲高い鳴き声が重なって、大量のコウモリが空へと飛び立った。

 まるで巨大な黒雲のようになったコウモリの群れがエイトールを睨む。


「えっ、ヤバくね?」


 ただの魔法生物であれば、束になろうともエイトールには敵わない。

 しかし、ここは崖をだいぶ登った空中と言ってもいい高さ。

 エイトールはコウモリの他に、重力という名の世界の定義と戦わなければいけない。


『キシャーっ!!』

「ふんっ!」


 飛びかかってきた一匹のコウモリを拳で迎え撃つ。

 崖に足を膝くらいまで埋め込ませた垂直な踏み込みと共に。

 超越的な力を持つエイトールの拳だ。

 顔面を殴られたコウモリは顔を陥没かんぼつさせながら地面へとちていく。

 しかし――。


「ちっ!」


 間髪かんぱつ入れずに襲ってくるコウモリの群れにエイトールは舌打ちした。

 いくら超常的な力を持っていると言っても、エイトールは人間だ。

 腕は二本しかないし、足も二本しかないし、目もふたつしかついていない。

 つまり、対処できる敵の数には限界がある。


 目の前の一匹を殴って倒す。

 その隣の一匹を崖から引き抜いた足の蹴りで倒す。

 足りない、足りない。

 こちらの攻撃が圧倒的に足りない。

 何匹かのコウモリがエイトールに噛み付いた。


「くっ!」


 強靭きょうじんな筋肉を持つエイトールの身体は鋼のように硬い。

 それでも、相手は巨大な体格を誇る魔法生物。

 鋭利な牙はエイトールの身体を僅かに貫き、その血を吸い始めた。


「ざけんな、オラァアッ!!」


 怒りを叫んだエイトールは崖を踏み蹴り、コウモリの群れへと跳躍した。

 まさか突撃してくるとは思わず、動揺を見せるコウモリたち。

 その戸惑いの隙を見逃さず、エイトールは手近な一匹の首を蹴り折りながら更に跳躍。

 次なる標的を定めながら、エイトールは空を駆ける。

 襲いくるコウモリたちを空中の足場としながら。


「はぁっ……はぁっ……!」


 呼吸もままならない空中戦の連続。

 流石のエイトールでも息が切れてきた。

 それでも休憩を挟むわけにはいかない。

 コウモリの群れも重力も、容赦などないからだ。


「まだまだぁ!」


 疲れた、休みたい。

 心の中に浮かぶ弱音を叫ぶことで誤魔化しながら、エイトールは戦う。

 迫り来るコウモリたちを即殺そくさつし、その背中を蹴って上へ上へ。

 もし一瞬でもミスがあれば、地面へと真っ逆さまだろう。

 超人体質を持つエイトールでも空を飛ぶ術はない。

 この高さから地面に叩きつけられれば、命はない。

 でも――。


「リタが待ってんだよ! 邪魔すんじゃねぇ!」


 エイトールが戦う理由はそれだけで。

 大切な親友を守るために、その笑顔を守るため。

 ならこんな獣の群れに、足を止めていい理由はない。

 疲れ果てた身体に力がこもる。

 酸素を求める肺は無茶を許容する。

 上へ、上へ、ひたすら上へ。

 リタが待つ、崖の頂上にいち早く駆けつけるために。


「――っし!」


 そして、辿り着く。

 伸ばした手が、崖の頂上へと。

 ここまで来てコウモリたちも、エイトールが圧倒的な脅威。

 人の形をした災害だと認めたようだ。

 見下ろした視線の先では慌てたように大穴へと帰っていくコウモリの群れがあった。


 崖をよじ登り、エイトールはにやりと笑う。

 コウモリに噛まれ、あちこちに血を流している。

 疲れた身体が休息を求めていた。

 だがリタを助けるまでは休むかよ、と獰猛どうもうな笑みで疲労をだます。


「ここまで来れば、リタはすぐそこ……」


 とそこで、目の前に光景にエイトールは言葉を失う。

 確かにプルーム邸の裏側、リタのいる塔の足元に辿り着くことはできた。

 しかし塔の入り口には何人もの騎士が見張っており、当然ながらバレないように突破するのは難しそうだ。


 どうやってリタのいる最上階まで辿り着く……?

 浮かべた疑問はすぐに答えに至った。


「……また壁登りかよ」


 冷や汗を垂らしながらも、エイトールは塔の壁に手をつけた。

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