第26話 裏切りと気まぐれ

 泣き止んだリタは、メイドたちの手によって化粧をされていた。

 赤く腫れてしまった目元を隠すためだ。

 帝城に現れた新皇帝の顔が泣き顔なのは良くないだろう。

 地味だが、とても大切なことだ。

 だが――。


「……もうよいのではないですか? 泣き跡はもう見えませんが」

「す、すみません、リムスフィア殿下。もう少しだけ……」


 リタの質問に、メイドはやけに焦った反応を見せる。

 髪を何度もくしいたり、ドレスに合わせる装飾品を選び直したりと随分時間をかけていた。

 不思議に思いながらも、リタは黙ってそれを受け入れる。

 と、そこでコンコンとノックの音が響いた。


「リム、いるかい?」


 クロッカスの声だった。

 リタは「どうぞ」と声をかける。

 入室したクロッカスは何故か顔色が悪かった。

 否――悪いというよりは、申し訳なさそうな顔とでも言うべきか?


「……叔父様? 何かあったのですか?」

「……すまない、リム」

「……?」


 突然の謝罪に、リタの紅の瞳が疑問に染まる。

 クロッカスは視線で周りのメイドに退出をうながした。

 楚々そそな一礼と共にメイドたちは退出し、部屋はリタとクロッカスのふたりになる。

 ……言葉にできない不安が、リタを襲った。


「……どうしたのですか、叔父様?」

「……入ってくれ」


 クロッカスの言葉で、部屋にひとりの男が入ってきた。

 その姿に、リタは目を見開いて驚愕した。

 男の姿に見覚えがある。

 昨日、森を抜けた時にエイトールが戦った巨漢きょかんの騎士。

 つまり、オフェーリア派の騎士がそこにいた。


昨日さくじつぶりでございます、リムスフィア殿下。オフェーリア様の筆頭騎士、獣牙じゅうが騎士団団長のグリス=グラスと申します」


 あくまで礼を欠かない口上で、グリスは膝をつく。

 それを確認した瞬間、リタの決断は早かった。

 ドレスのまま駆け出し、窓を蹴破って外へと逃げようとする。

 ここは二階だ。

 ヒールの高い靴では着地も難しく、骨を折るかもしれない。

 それでも、扉の前の騎士をすり抜ける方がきっと難しい。


(エイトール……!)


 大切な友達が守ってくれた命だ。

 簡単に諦めるわけにはいかない。

 少しの躊躇ためらいもなくリタは窓枠から飛び出そうとし――。


「流石はオレたちの追跡からここまで逃げおうせたお方だ。判断も早く、勇気もある。だが――」


 既にグリスの太い手が、リタの足を掴んでいた。

 そのまま部屋の中に引き戻され、床に押し付けられる。

 凄まじい力だ。


「オレも退けません。オフェーリア様を次代の皇帝にするために」

「くっ……!」


 顔をカーペットに擦り付けながら、リタはクロッカスを睨む。

 その申し訳なさそうな顔に叫んだ。


「叔父様! 裏切ったのですか!?」

「……すまない、リタ。私はとっくにオフェーリア様の配下だったのだよ」

「ならどうしてすぐに私を拘束しなかったのですか!? 迎え入れるような真似まねをして私たちを騙していたのですか!?」

「グリス騎士団長たちの到着を待っていたのもあるが……一番の理由はお前をエイトール君から引き離すのが目的だ。彼の力はあまりにも未知数。戦わずに済むならそれにこしたことはない」

「……っ!」


 リタの顔が悔しげに歪む。

 エイトールの優しさまでもを利用された。

 自分の身の危険よりも、そのことの方が悔しかった。


「……グリス騎士団長。リムはここで処刑を?」

「いえ、オフェーリア様がリムスフィア殿下とお話ししたいとおっしゃられていたのでしばらくどこかで拘束させて頂きます」

「それなら幽閉塔ゆうへいとうに案内しよう」


 クロッカス邸は広い。

 敷地内にはいくつか建物があり、幽閉塔ゆうへいとうはそのひとつ。

 窓の外、空へと伸びた灰色の塔が見えた。

 まるで愚かな自分を見下ろしているようだと、リタは思った。


「……ごめんなさい、エイトール……!」


 リタの瞳から、再び涙が溢れてきた。

 せっかく化粧で隠した目元が、再び赤くにじんで、歪む。


 ***


「うーん、このリンゴ、あんまり美味しくないわねぇ」

「貰っといてそれかよ!」


 帝都の市場街しじょうがい

 突如現れた美女に、結局リンゴを半分あげることになったエイトール。

 シャリっと一口かじって零した彼女の感想に思わず叫んでしまった。

 ちなみにリンゴを半分に切るのに使ったのは、皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラ

 かつての皇帝も、まさか偉大なる魔法剣が果物を切るのに使われるとは思ってもなかっただろう。


「美味しくないから返すわぁ、このリンゴ」

「いらねぇよ! お前の食べかけなんて!」

「あらぁ、わたくしの食べかけよぉ? 泣いて喜ぶところじゃないのぉ?」

自惚うぬぼれんな!」


 差し出されたリンゴを押し返すエイトールに、美女は驚き顔だ。

 しかし、すぐにその顔をあやしい笑みに変える。


「わたくしの覇風はふうかないなんて……面白い子ねぇ」

「はふう……? なんだそれ?」

「うふっ、こちらの話よぉ。気にしないで、リムの王子様」

「なんだよ、気になるじゃ……え?」


 リンゴを齧ったまま、エイトールは振り返る。

 その驚きの表情に、今度こそ美女は嬉しそうな顔をした。

 リムの王子様、と彼女は言った。

 リムとはリムスフィアの略、つまりはリタの愛称だ。


(……俺がリタと旅をしてたことを知ってる!?)


 エイトールは身をひるがえし、すぐに構えた。

 この美女が、オフェーリア派の刺客かもしれないと警戒したためだ。


「うふっ、そんな怖い顔をしないでぇ。わたくしはあなたをどうこうするつもりはないわぁ」

「……ホントかよ?」

「ええ。むしろその逆、あなたにお知らせを持ってきたわぁ。良いか悪いかは別として、あなたには絶対に必要な情報よぉ」

「……」


 エイトールの目が細まる。

 彼女の僅かな仕草、挙動、その全てを観察するがその真意が読めない。

 味方のようであり敵のようだ。

 発言の全てが、真実のようであり嘘のようだ。

 読めない。

 目の前の美女の目的がまったく読めない。


「クロッカス公爵は、既にオフェーリア派よ」

「…………は?」


 しかし、そこから告げられた内容を無視することはできなかった。

 思わず思考が凍る。

 しかし、すぐにそれが見過ごせない事実だと気づく。


「待て、おい。それ、本当か?」

「うふっ、信じるか信じないかはあなたが決めて?」


 けむに巻くような返しに、エイトールは歯を噛んだ。

 しかし、今更ながら思い当たるふしもある。

 屋敷から街へと降りてくる道中だ。

 夜中だと言うのに、何人もの騎士の集団とすれ違ったのだ。

 ちなみにエイトールはすれ違うたびに、道を外れて身を隠していた。


(……もしかして)


 てっきりプルーム家が抱える騎士団かと思っていたが、もしあれがオフェーリア派の騎士団であるとすれば――。

 リタを捕まえるために、屋敷に向かっていた敵だとすれば――!


「ちくしょう!」


 エイトールはすぐに駆け出した。

 話の真偽を疑っている時間はない。

 急げ急げ急げ!

 エイトールは屋敷に向かって、全速力で駆けた。


 ***


 その背中を見送りながら、美女はやはりあやしく笑っていた。

 残酷な遊びを好む、無邪気な子供のような笑みだ。

 と、そこでひとりの騎士が慌てたような表情で美女の元へと駆け寄る。


「オ、オフェーリア皇女! おひとりで出られては困ります! 外出の際は騎士を帯同たいどうさせてください!」

「あら、見つかっちゃったぁ。ごめんなさいね」


 その美女――オフェーリアは謝りながらも笑みを崩さない。

 長い指先で頬を撫でながら、甘い吐息と共に口を開く。


「ねぇ、あなた。わたくしをプルーム家の屋敷に連れて行ってくれない?」

「……プルーム家の屋敷ですか?」

「ええ」


 そう言って、オフェーリアは少年が消えた方角を見つめる。

 どこか熱っぽい視線を、その瞳に宿らせながら。


「面白いショーが見れる予感がするのぉ」

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