第14話 悪意を隠すは無邪気の仮面

 十歩もない距離で互いを睨んだエイトールと女騎士。

 ピリピリとひりつく空気の中、その緊張を破ったのは騎士の軽薄な笑い声だ。


「ふひぃー。お兄さんが報告にあった謎の少年っすね。正体を聞いてもいいっすか?」

「人に名前を聞くときは自分から名乗れって教えてもらわなかったか?」

「おっと、こいつは失礼」


 構えを解きながらコロコロと表情を変える女騎士。

 隙があるようでない不思議なたたずまいで、彼女は軽く姿勢を正した。


「アタシは第三皇女オフェーリア殿下直属の部隊、獣牙じゅうが騎士団所属のルイーダ=ペトレータっす。これでお兄さんの正体も教えてくれるっすか?」

「はっ、バカめ! わざわざ敵に情報を晒すとでも思ったか!」

「あー! ずっこいっすよ、お兄さん!」


 指を差してエイトールを咎めるルイーダだが、その瞳は鋭く相手を観察している。

 無邪気な子供のようなその眼光はあまり気持ちのいいものではない。

 まるで『これからこの玩具おもちゃでどう遊ぼうか?』と値踏みされている気分だ。


「むむむ、金で雇われた傭兵……にしては身なりが随分と奇天烈きてれつですね。騎士では到底なさそうですし……見当もつかないっすね」

「お前に奇天烈きてれつとか言われたくないんだが? そんな鎧を着崩した帝国騎士とか初めて見たわ」

「うししっ! よく言われるっす。鎧って動きずらいから嫌なんすよねー。上の人間ってのは伝統やら格式やらを重んじすぎて、機能性を軽んじてるから気に食わないっす」

「わかる」


 ルイーダの発言に、エイトールも強い同感と共に頷いた。

 王子として式典に出る時に着る王族衣装。

 重くて嵩張かさばって動きづらくて、とにかくエイトールは嫌いだった。

 たまらず着崩したら女王である母にこっぴどく怒られたのを覚えている。


「うししっ、お兄さんとは気が合いそうっすね!」

「かもしれねぇな。でもって、その好印象のまま俺らを見逃してくれるってのは……」

「ないっすよ。皇女を殺せって団長の命令は絶対だし、何よりお兄さんみたいな面白い人と遊べるのにお預けなんてされてたまるかってんですよ!」


 壮絶そうぜつな笑みを浮かべたルイーダは地面を蹴った。

 会話の流れを突如として切り裂く、虚をついた突進。

 一直線に伸ばされたレイピアがエイトールへと胸へと突き出され――。


あめぇえええっ!」


 そのレイピアの切っ先を、エイトールは驚異的な反射速度で蹴り上げる。

 宙へと飛ばされるレイピア。

 それを目で追うこともせず、ルイーダは懐からナイフと取り出した。


「今のを反応できるとか、お兄さんって怪物っすね?」

「俺からしたら笑いながら人を殺そうとできるお前の方が化け物だけどな」


 目の前に刃物をちらつかされても、エイトールは怯まなかった。

 どんな強力な武器も魔法も当たらなければ意味はない。

 エイトールの優れた動体視力と反射神経があれば大抵の攻撃は避けられる。

 変にビビって動きを鈍らせる方が悪手だ。


「今度はこっちから行くぜ!」


 エイトールが踏み込む。

 炸裂弾が撃ち込まれたかのように地面がぜた。

 目にも止まらぬ速さで急迫したエイトールは、ルイーダの身体を鎧の上から殴る。


(――っ!?)


 そして、驚きの表情を浮かべたのはエイトール。

 むしろ吹き飛ばされたルイーダの方が薄らと笑みを浮かべていた。

 驚異的な腕力で殴られたルイーダだが、巧みな体重移動で衝撃をうまく散らしたらしい。

 エイトールから三歩分の距離を吹き飛ばされた彼女は地面をごろりと転がって、そのまますぐに立ち上がり笑みを浮かべる。

 殴りつけた腕を不可解な目で見つめているエイトールに向かって――。


「なんだおい、鎧に毒でも塗ってたか? 手がピリピリするぞ?」

「ご明察めいさつ……アタシの鎧にはそこらで摂ってきた紫毒花ルビドプリエフの毒がたっぷりと塗られてるっす。ってゆーか、手のピリピリだけで収まってるのがドン引きなんすけど……。触れただけでゾウとか殺す毒っすよ?」


 ぐっぱー、と手を開いたり閉じたりするエイトールにルイーダは呆れ顔だ。

 只者ではない気配は感じていたが、ここまでとは……。

 未知の生命体を見つけたかのようなルイーダの顔は、しかしすぐに喜色を浮かべ――。


「いやぁ、攻略のしがいがあるっすね。どうせ戦うならレベルの高い相手の方が楽しいっすから」

「……俺にはわかんねぇな。殺し合いを楽しもうって感覚が」

「およ、もったいない。そんなに恵まれた身体があれば負け知らずでしょうに」

「喧嘩は得意だけど好きではねぇよ。争いごとは嫌いだ」


 でもよ、とエイトールは続ける。


「そっちが殺す気でくるんなら、こっちも手加減してやるほどぬるくはねぇぞ。覚悟は決めとけ」

「にししっ、アタシに向かって手加減とか初めて聞いたっすよ。ホント、お兄さんって面白い人っすね」


 ふたりは同時に地を蹴って、突撃した。

 ナイフを前へと突き出すルイーダ。

 それを見て、エイトールは迷うことなく拳を突き出す。

 握り固めたエイトールの拳は岩よりも硬い。

 鋼の硬度を有するエイトールの拳がルイーダの突き出したナイフとぶつかり――。


 ぐにゃり。

 ひん曲がったのは、ナイフの方だった。


「なっ!?」


 流石にこれはルイーダも予想外だったのか。

 彼女の口から驚きの声が漏れ、瞳が限界まで見開かれる。

 そして、そんな動揺を見逃すほどエイトールは甘くない。


「がぁああああああっ!!」


 獣のような咆哮を走らせながら、エイトールはそのまま拳を突き出す。

 強烈な一撃を鎧の上から叩き込んだ。


「ぐふっ!?」


 受け身も許さない圧倒的な暴力。

 ゴムボールのように弾き飛ばされたルイーダの身体が地面を二度三度と跳ねた。

 そのまま巨大な木の幹に背中からぶつかり、ようやく動きを止める。

 すぐに立ち上がったルイーダだが、流石に無傷とはいかなかったようだ。

 口から血を吐き出し、骨が折れたのか脇腹を押さえている。

 しかし、その表情に浮かぶのは笑顔。

 してやったりと、血走った瞳は雄弁に語っていた。


「真正面からナイフを折られるなんて思ってもなかったっす。一応こいつ、オリハルコン製の特注なんすけどね。お気に入りだったのに」


 ぐにゃりと曲がったナイフをそこらに捨てながら、ルイーダは続ける。


「でも、その甲斐かいはあったみたいっすね。流石のお兄さんも傷口から直接毒を入れられれば、無事ではいられなかったっすか」

「くっ……」


 ルイーダの指摘に、エイトールは苦鳴を返す。

 その額には異様な量の汗。

 ルイーダの言葉を鵜呑うのみするならば、その原因は拳についた小さな傷。

 そこから体内へと至った毒が原因だろう。

 エイトールは痙攣けいれんする腕を、もう片方の腕で必死に押さえている。

 その姿を満足げに眺めるルイーダだが、彼女も「けふっ」と口から大量の血を吐き出した。


「んー、折れた肋骨が肺に刺さったかな? こりゃアタシも休まないとヤバいっすね」


 それでも軽薄な言葉遣いは直さずに、どこまでも気軽な調子でルイーダは言う。


「一旦アタシは退くっすよ。回復したらリムスフィア殿下を殺しにくるんでよろしくっす。まあ、その時までお兄さんが生きてたらの話っすけど」

「ま、待て……!」

「待たないっす。毒を盛ったアタシが言うのもなんですけど、お大事にどうぞー」


 そう言って、ルイーダは茂みの中へと消えていった。

 気配が完全になくなったのを確認してから、エイトールは膝をつく。

 喉の奥から鉄の味がして、思わず咳き込んだ。

 赤黒い血が、べちゃっと地面に広がる。


「え、エイトール……!」


 茂みに隠れていたリタが、慌てた表情でエイトールへと駆け寄った。

 泣きそうなその顔にエイトールは無理やり笑顔を返して――。


「わ、悪い、少し油断した。でも大丈夫だ。早くここから離れ――っ?」


 そこで、ぐわっと目の前の景色が歪む。

 上下左右の認識が曖昧になり、立っていられない。

 気づけば、目の前に地面が迫って――。


「え、エイトールっ!?」


 リタの悲鳴を聞きながら、エイトールの意識は暗転した。

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