第13話 追う者と追われる者

 陽が出ると共に、エイトールたちは出発した。

 夜の寒さを誤魔化してくれた焚き火の後は、念入りに土の中に埋めておく。

 自分達がここにいた痕跡を残さないためだ。

 こんななところまで追手が来るかはさておき、用心に越すことはないだろう。


「リタ、足は疲れてねぇか?」

「大丈夫ですよ。ありがとう、エイトール」


 森の中での行軍を半日と進めるが、ふたりがまだ元気だ。

 超人体質のエイトールはもちろん、リタも同年代の少女の中では体力がある方。

 浮かべた笑顔が虚勢ではないことは、エイトールからでもすぐわかった。


「でも、思ったより危険は少ないですね。凶暴な魔法生物とかがうじゃうじゃいるものと思っていましたけど」

「ん? 魔法生物ならそこらにいっぱいいるぞ?」


 え? という顔をするリタにエイトールはさも当然と続ける。


「そこの茂みの向こうとか見てみるか?」


 言って、リタの手を引いたエイトールは物音を立てないように茂みに潜む。

 そうして視線を先へと向ければ、そこにいたのは馬の怪物。

 通常の馬の二倍はあろう巨大な体躯は、黒毛で覆われていて見るからに禍々まがまがしい。

 額から伸びた一本角は木漏れ日を浴びてきらりと輝き、血を煮詰めたような赤い瞳はまるで獲物を探しているかのようにギョロギョロと動いていた。


「――んっ!?」


 リタは悲鳴をあげそうになり、それを寸前で飲み込む。

 あの黒馬は、生物学の教科書で見たことがあった。

 ルビスホーン。

 確かあの馬は、高く響く音が嫌いだったはず。

 悲鳴でもあげようものなら、あの一本角は自分目掛けて突進してくるはずだ。


「なっ? 普通にいただろ?」


 エイトールの確認にこくこくと頷きながら、必死にその袖を引っ張る。

 早くここから離れようと、そんな焦る気持ちを匂わせて。


「……こ、怖かった……あんな恐ろしい生き物がすぐ近くにいたのですね」

「ああ。この森はやっぱりヤバいな。あのレベルの生き物がそこらへんを当たり前のように散歩してる。帝国直属の騎士団が何もできずに逃げ帰ったってのも嘘じゃないかもな」


 呼吸を止めるほどに緊張していたリタだが、ふとそこで疑問が――。


「そんなにいっぱい危険な生き物がいるなら、どうしてこれまで鉢合はちあわせたりしなかったのでしょうか? 単に運が良かったからですかね?」

「いや、俺がヤバいやつらと会わないルートを選んでるだけだ。足音や気配でだいたいのヤバさはわかるからな」


 こともなく言い切るエイトールだが、リタは口をぽかんと開けた。

 確かにこの森はエイトールの先導で進んでいたし、時折不思議なルートを選ぶなぁとは思っていたが、まさかそんな意図があったとは。


「本当に……改めてお前がいてくれて良かったです」

「おう! 俺に惚れちまってもいいぞ!」

「……そんなの、もうとっくに……」

「ん、なんだ?」

「な、なんでもないですよっ!」


 エイトールの聞き返しに、必死に首を振るリタ。

 その頬がほんのりと赤いのは、多感な乙女である証明だ。

 慌てながらパタパタと手で顔をあおぐリタは、話を逸らすように口を開く。


「ほ、方角は大丈夫ですかね? 先ほどからぐるぐるといろんな方向に進んでいるような気がしますが」

「遠回りをすることはあるけど、道は大丈夫だと思うぞ。帝都の近くに出ればいいんだよな? なら地図は頭ん中に入ってるから任せておけ!」

「……お前はこの森の中のどこにいるかがわかっているのですか?」

「太陽の位置を見れば方角はわかるから。あとは自分が動いた距離と辻褄つじつまを合わせればだいたいの位置は予想できるぞ!」

「……そろそろお前が人間であるかも疑わしくなってきました」

「人間じゃなかったらどうする? 怖くなって逃げちまうか?」

「それこそ冗談ですね。たとえお前が怪物であろうとも私はお前の友達です」


 その力強い言い切りに、エイトールは「ははっ!」と笑う。

 が、すぐにその目が細まり、纏う印象が変わる。

 その急変にリタは目を丸くさせた。


「どうしたのですか、そんな真面目な顔をして……いつものマヌケずらの方がお前らしくて素敵ですよ?」

「ヒドイな俺の印象っ!?――って、そうじゃねぇ!」


 エイトールはリタを押し退ける。

 え? と、リタの口から驚きの欠片かけらこぼれるのと同時――。

 ヒュンッ! と。

 体制の崩れたリタの鼻の先を、飛来してきた矢がスレスレで通り過ぎた。


「……はっ……」


 リタの喉から呼吸。

 いで、ドッと全身から汗が噴き出た。

 死がスレスレで自分の運命を掠めていった。

 その事実を、遅れてようやく理解したから。


「リタ! どっかに隠れてろ!」


 そして、リタのそんな動揺を世界は待ってくれない。

 エイトールはすぐに気配を探り、森に隠れた敵の位置を暴く。

 むしろここまで接近されるまで気づかなかったのが予想外だ。


(こいつ……いや、こいつら、かなりやるな……)


 周囲に感じる複数の気配。

 あらゆる感覚に優れるエイトールだが、彼らの接近に気づかなかった。

 金属鎧の音を誤魔化す歩き方。

 森に気配を同化させるすべ

 それらを集団レベルで実践できる相手。

 かなり精錬せいれんされた兵士たちだ。


「ええいっ、様子を見るなんて俺のやり方じゃねぇなっ!」


 先手必勝。

 エイトールはまず矢が飛んできた茂みの中に駆け出した。

 その踏み込みで、ドッ! と、地面がぜる。

 飛矢ひやのように駆け抜けたエイトールは茂みの中に突入。

 その無茶苦茶な突撃は予想外だったらしく、動揺した顔の騎士と目があった。


「なっ、貴様――っ!?」

せぇええええええええっ!」


 エイトールは渾身こんしんの回し蹴り。

 ガゴッ、と金属鎧がへこむ音が響く。

 嘘のように吹き飛ばされた騎士は、遠くに木に身体を打ち付けて気絶した。


「なっ!?」


 近くの茂みから動揺の声――。

 が、聞こえた時にはもうエイトールは突撃していた。

 今度はこちらが視認しにんされるよりも早く鎧の胸を殴りつける。

 ぐわんっ! と、汚い金属音が響く。


「あーくそっ、いい鎧使ってんな! 手が痛ぇ!」


 血を吐いた騎士が白目をいたのを見て、エイトールはすぐさま次の標的を探した。

 残りひとり。

 先ほど感じた気配の方向に意識を集中する。

 が――。


(……気配が消えたっ!?)


 先ほど確かに感じた人の気配が今は感じない。

 どういうことだと、疑問を浮かばせるのも束の間――。

 ぞわりっ、と首の後ろに極上の怖気おぞけい伸びた。


「ぬおぉおおっ!?」


 その直感に従って身体を捻ると――。

 ヒュンッ!

 一直線に伸びたレイピアの一撃が、エイトールの首をかすめていった。


「およ? これを避けるっすか?」

「ちっ……!」


 レイピアを突き出したのは、鎧を着崩した女性騎士。

 不真面目そうな幼い顔。

 まるで玩具おもちゃで遊んでいるかのような無邪気な笑み。

 堅物かたぶつな帝国騎士には似合わない、軽薄けいはくそうな騎士だ。


「うらぁあああっ!」

「おっと」


 身体を捻ったまま、不自然な体勢で蹴りを放つ。

 素早い一撃をしかし、女性騎士は落ち葉のようにひらりとかわしてみせた。

 お互いが姿勢を整えて、向かい合う。

 僅かな間合いを挟んだふたりは互いを睨み――。


「うししっ。これは随分と面白そうな玩具おもちゃっすね」

「はっ、余裕ってんじゃねぇ! 俺は女でも容赦しねぇぞ!」


 お互いを強敵と認めたふたりが、それぞれの構えを取る。

 正道とは言い難いその構えは、ふたりが異端の戦士であることの証明だった。

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