第15話 リタの勇気

「……ぅ……ぅあ……」

「エイトール! しっかりしてください!」


 苦しみの表情で眠ったエイトールにリタは声をかける。

 しかし返ってくるのは言葉とも取れないうめきのみ。

 茂みに隠れながら見ていた戦闘。

 その間に交わされた会話が事実ならば、エイトールの身体は強烈な毒に犯されている最中だ。


「ど、どうすれば……っ」


 リタは慌てる。

 慌てることしかできない。

 ここにきてリタは自分がいかにエイトールに甘えていたかを自覚した。

 彼の強さに甘え、自分がいかに何もしてこなかったのかを自覚した。

 だからこうして、大切な友人が傷ついても、自分は何もすることができない。


「ご、ごめんなさい、エイトール……」


 自己嫌悪で自分を傷つけたくなる。

 頭の中にあったのはいつも自分のことばかり。

 悲しめばエイトールは慰めてくれるし、敵に狙われればエイトールは守ってくれる。

 だから自然と、自分でも気づかないうちにエイトールに依存していた。

 彼がずっとそばにいることを疑いすらしなかった。


「や、やだ、私をひとりにしないで、エイトール……!」


 だからこうして出る言葉も、彼の心配ではない。

 どこまでも自分本位の願望が漏れ出る口が、リタは憎ましかった。

 だけど、どんなに自分の無力を嘆いても現実は変わらない。

 今もこうして、苦しんでいる彼にすがることしかできない。

 自分勝手で、身勝手で、どうしようもなく喚いて、泣いて――。


「リ、リタ……っ」

「――! エイトール!」


 小さく響いた声に、リタはハッと目を開ける。

 エイトールが自力で毒を克服したのかと。

 そう期待を込めて視線を向けるが――。


「リタ……リタ……っ」

「――!」


 その期待は儚くも砕けた。

 まるで譫言うわごとのように漏らした声に、意味なんてない。

 水の中を足掻くかのように。

 暗闇の中で光を求めるかのように。

 エイトールはただ、苦しみの中で唇を震わせただけ。

今際いまわの意識で漏らした言葉は自分の名前であることは嬉しいが――。

しかし、その嬉しさに身を浸らせる余裕なんてない。

失意のままに俯くリタであったが――。


「お、俺が……」

「――?」

「俺が、必ず……守って、やるから、な……」

「――!」


 苦しみの中で呟かれた言葉。

 その音の意味に、今度こそリタの心は顔を上げる。

 苦しみの中で紡がれたエイトールの言葉。

 この声には目を逸らしてはいけないと――。

 落胆らくたんに沈んでいたリタの心は息を吹き返した。


「エイトール……!」


 ぴしゃっ、と自分の頬を打ち付け、気合いを入れる。

 そうだ。

 こんなところで立ち止まっている暇なんてない。

 エイトールは戦ってくれた。

 こんなにボロボロになるまで、自分を守るために戦ってくれた。

 なら今度は――。

 今度は自分がエイトールのために戦う番だ!


「……紫毒花ルビドプリエフの毒」


 えた頭は次々と情報を思い出す。

 エイトールの身体をむしばんでいる毒。

 その正体はあの女騎士が言っていた。

 紫毒花ルビドプリエフは魔力の濃い土地にのみ咲く花だ。

 草食の魔法生物に食べられないように毒を有していると聞いたことがある。


 と、そこでふと学校での生物学の授業を思い出した。

 確か、紫毒花ルビドプリエフを食べることのできる動物がいたはずだ。


「思い出せ……思い出せ……エイトールの命がかかっているのです……!」


 己の意識に追憶の旅路を課す。

 いつの日の授業だったか。

 どのタイミングで語られた内容だったか。

 まぶたを閉じたリタは必死に記憶の箱をひっくり返し――。


「思い、出した……!」


 ルビスホーン。

 唾液に強力な抗体成分を持つ馬だ。

 そして幸いにも、先ほどこの森で姿を見た魔法生物。

 それを思い出した瞬間に、リタはもう駆け出していた。


「待っていてくださいね、エイトール」


 今度は私が守る番だと。

 大切な友人のために、リタは危険な大自然にひとりぼっちで挑んだ。


 ***


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 少し走っただけで息が上がる。

 恐怖が身体への疲労を何倍にも膨れ上げているのだ。

 これまで愚森ぐりんを歩いていた時には感じなかった不安。

 いつ危険な生物と鉢合わせるかわからない。

 その恐怖は想像以上に、前へと進む足を重くさせる。

 と同時に、自分がどれほどエイトールの存在に救われていたのかを自覚した。

 だからこそ、リタは足を止めない。

 エイトールを助けるためだったら、リタはこの恐怖とだって戦える。


「確か、このあたりに……」


 音を立てないようにしながら慎重に茂みをかき分ける。

 そこは、つい先ほどルビスホーンを見つけた場所。

 だが相手は足のない銅像なんかではない。

 僅かなひずめの跡を残したまま、ルビスホーンの姿は消えていた。


「……」


 躊躇ためらったのは数秒。

 リタは姿勢を低くしたまま、ひずめの跡を追った。

 近くの茂みがざわつくだけで心臓が凍る。

 顔の横を虫が通り過ぎるだけで肩が跳ねる。

 空から怪鳥の鳴き声が聞こえるだけで身がすくむ。

 でも、でも――。


「エイトール……」


 まるで勇気をもらうかのようにその名を呟いて、リタは森の中を進む。

 エイトールは言っていた。

 恐れることは大切だ。

 それは危険を避けるために覚えた本能の合図なのだからと。

 怖いと思う気持ちを隠さずに、リタはゆっくりと。

 でも可能な限り急いで森を進む。

 いくら強靭な身体を持つエイトールだとしてもどれほどつかはわからない。

 本来であれば即死級の毒であるはずなのだから。

 だが――。


「う、嘘……」


 リタは顔を絶望に染めて、足を止める。

 その目の前で、ルビスホーンの足跡は途切れていた。

 岩の組成そせいに近い、硬い地面へと足場が変わったからだ。


「ど、どうしましょう……」


 当てずっぽうで森を進むか?

 しかし、ここは危険な魔法生物がウヨウヨといる愚森ぐりん

 ここまでは運が良かったが、果たしてこの幸運がどこまで続くかもわからない。

 何より時間がない。

 もし見当違いな方向を選んでしまえば、取り返しのつかないことになる。

 どうしよう。

 どうすればいい。


「考えろ、考えろ、考えろ……」


 この一秒がエイトールの生死を分ける分水嶺ぶんすいれいになるかもしれない。

 凝縮した思考が脳に灼熱を訴える。

 もはや痛みとなった自問の果てに、リタはふとそれを思い出した。


「ルビスホーンは……高い音が嫌い……」


 生物学の教科書に載っていた注意文。

 ルビスホーンに出会ったら絶対にしてはいけないことの喚起かんきの内容だ。

 しかし、この時ばかりはその文が――。

 リタには悪魔の囁きのように聞こえた。


「な、な、何を考えているのですか、私は――」


 よせ、やめろ――と、理性は叫んでいる。

 それとは別に、考えている暇なんてないだろうと本能が叫んでいる。

 指先が震えた。

 足は石のようだ。

 心臓の音がうるさい。

 これから自分がやることを、自分自身が恐れている。

 でも、それでも。

 守りたい者のために、リタは大きく息を吸った。


「はぁあああああああああああああああ〜〜〜っ!!」


 高く澄んだ、歌声のような音の響き。

 森全体へと鳴り響く、少女の声。

 それは、この大自然への宣戦布告。

 エイトールの命がかかっている。

 そのためならばリタは、この無謀の森に立ち向かえた。


「――っ!」


 ダンッダンッと、重い足音が聞こえてくる。

 すぐだった。

 木々の間を縫って、その巨獣は姿を現した。


『ブルルル……っ!』

「――!」


 興奮したように鼻を鳴らすルビスホーン。

 その赤い瞳はまっすぐに、敵意を宿しながらリタを睨んでいた。

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