第25話 日常のジャンル2

 投函されていた一枚の原稿用紙によってお祝いの雰囲気は総崩れとなった。



 東儀さんはご両親と一緒に帰宅した。これを誰が投函したものかなんて考えるまでもなく、小山内玲威であるのは確かだ。神崎富美恵は俺が作家だと言うことを知らなかったし、その名前にも心当たりはないといった様子だった。もし知っていてあの素振りができるなら医者なんかでなく詐欺師や劇団にでも入った方が活かせただろう。



「文字が潰れたところに意味があるんすか?」



 須藤君が卓袱台の上の用紙を見て首を傾げている。



 俺と久内刑事はこの暗号の解き方を知っているので、さっそく解読を始めていた。文字をメモ帳に書き殴っていく。頭の中で組み立てていく作業も慣れてきたもので、「ありがとう、救ってくれて……、までは解読できたんですけど」同じように久内刑事もそこまでは解読したが、その後に苦戦しているようで、『そ、さ、の、う、穂、月、最後』が難解だ。



「さそう最後の月、だけなら意味は置いといて文章として完成はするが、穂の一文字だけが余ってしまう。ありがとう、救ってくれてからそもそも間違っているのか?」



 いい大人が三人顔を付き合わせて唸る光景というのもシュールである。作家、編集者、刑事の頭を使う職業に就いている三人が集まって知恵こたえの一つも出せないようでは、三人寄れば文殊の知恵なんていうのは眉唾な諺だ。



久内刑事の言うように、『ありがとう、救ってくれて』から組み立て直さなければならないのなら途方もない労力が強いられる。しかし、この全文にある感謝の言葉を崩す必要が無いのではないか、というのが俺の直感だ。



 久内刑事と須藤君には一度全てをバラして最初から考えてもらい、俺はそのままこの文章だけに注力することにした。



――原稿通りに読めば穂はホと読むが、スイという読み方もある。月だってゲツやガツに言い換えられるし。



「誘う最後の水月?」



 元来の意味で水面に映る月という意味だ。他には人体で言う所の鳩尾のことを水月と言ったりもするが、しかしそれでは誘う鳩尾になってしまう。殴れとでも言うのか。



「水月って水面に映る月って意味っすよね。それって瓜二つってことですか?」

「瓜二つ……、今回の事件の発端となった小山内玲威は瓜二つの双子だが。小山内玲威が誰かを最後に殺すということにならないか?」



 小山内玲威と小山内玲奈は一卵性双生児として産まれた双子姉妹。水面に映る月の例えを用いればこの文章も納得できる。



「自殺するってことじゃないっすか? 誘う最後の水月じゃなくって、最後の水月をいざなうにすれば、ちょっとホラーチックになりません? 死者にひっぱられる感じで。あれ、それって、小山内玲奈が小山内玲威を殺すってことになるっすよ。死者が生者に干渉なんてできるわけないけど」

「小山内玲奈が死んで残った妹……、つまり最後の水月か。いいや、月が失われたら湖面の月も消えるな」



 警察は二人の犯人を追わなければならない。しかも片方は自殺をしようとしている。俺は一般人だからもう首を突っ込む必要も無いはずなのに、小山内玲威という人物が気になっていて、何か彼女に引っかかりを覚えているのは、『私を止めて』というメッセージが自分の中に強く残っているからかもしれない。



 聖人君はもうこの事件に関わらないと言われた以上は、もう彼に頼ることは出来ない。自力で彼女を見つけなければならない。俺に暗号という形で救いを求めた彼女を俺は救ってやりたいと思った。自殺を止めて、殺人を止めて、しかるべき罰を受けさせるのが大人の務めというもの。



「小山内玲威さんを見つけます」

「キミはもう……、そもそも一般人が事件に首を突っ込むな。キミからは得られる情報も無い以上は、捜査の邪魔でしかない」

「友人ですから。心配して探すのは当然だと俺は思います」



 予想していたより早く折れた久内刑事は、「松戸市内に隠れているという可能性も低い。全国に指名手配を掛けているが、なんとなくだが見つからないような気もしている。近しい間柄だというなら、探す当ても思いつくだろう」立ち上がって捜査に出向くと言った。



「さて、俺もまずは近場から探してみるとしようかな」



 しばらく求めていた娯楽や仕事はお預けになりそうだ。



「降旗先生、俺も手伝わせてもらいますからね。早く解決して仕事してもらわないと、俺が上から怒られちゃうんすから」



 警察や市民の眼から身を隠せそうな場所はそう多くもないだろう。松戸市内に廃墟なんてそうそう多くもない。警察だってそこら辺に探りは入れるだろうし、彼女も承知しているはずだ。



 もし彼女の立場だったら、まず初めに信頼の置ける相手に匿ってもらうことを考えるだろうが、玲奈さんを殺すために松戸市にきた玲威さんにそんな相手がいるとは到底思えない。



――頼る相手もいない。実家にも帰れない……、か。



 そうなるとそういう相手は現地調達するしかない。好きではない考え方だが、若い女性という武器を上手く使う方法もある。



「それは否定するかな」

「え、なんの話です?」



 小山内玲威は罪に対して潔癖なまでに否定的な考えを持つ。小山内の家系が元来、人柱に罪を被せて首を刎ねていたのも要因だろう。神崎富美恵は快楽的な犯行であったのに対し、彼女のそれは、唯一、小山内玲奈の件を除けば御家の流儀に倣っているとも言えなくない。



 そんな彼女がただ身を隠すためだけに身体を売るなんて考えにくい。



 自殺予告だけでは居場所なんて特定もできない。



 作家を生業としてここまで頭を悩ませたことなんて、締め切り間近まで筆が進んでいない時くらいだ。「降旗先生。電話なってますけど、いいんすか?」進展のない思考に藻掻いていると須藤君が肩を叩いた。



「え、電話? ああ、ほんとだ。誰からだろう」



 着信の相手は海津原祥子さんだった。



 彼女は聖人君に言われてこの事件からは手を引いたはずだ。となると、この間の情報料についての相談だろうか。正直言ってそんな話をいましている余裕はないが、協力して貰った手前無視するわけにもいかず、「海津原さん、どうしたの?」なんでもない風を装った。



「ねぇ、一つ確認したいんだけどいいかしら。ぼくに暗号を解くように沙穂ちゃんにお願いした?」

「はい……? なんの暗号?」

「やっぱりね。ちょっと何か隠してる風だったのよ、あの子」

「ごめん。海津原さんが何を言っているのか俺にはさっぱりで」



 つまりこういうことか。俺は東儀さんを通して海津原祥子さんに暗号解読の連絡をしたと。もちろんそんなことはしていない。ポストに投函されていたこの暗号だって彼女には見せていない。



「どんな暗号か聞いてもいい?」

「あ、うん。ええと……、『水月の君。八ツ俣の災厄打ち祓い、虚言の罪、壷に溜めて、立待月に晒す』よ」

「それはどういう意味なんだ!」

「私もだいたいで解読しただけだけど、八ツ俣の災厄は日本神話の八岐大蛇伝説だと思うのよね。久ちゃんは、日本神話は得意?」

「まったく」

「ある神様の夫婦には八人の娘がいたの」



 祥子さんが語って聞かせる日本神話をなぞらえると解読できるという。



 足名椎と手名椎という夫婦の間には8人の娘がいた。うち7人は八つの首を持つ大蛇、八岐大蛇に贄として食べられてしまった。残った最後の娘、櫛名田比売を助けるべく、須佐之男命が壷なみなみに溜めた酒を八岐大蛇に飲ませ、酔い潰れた隙をついて剣で首を全て切り落としたという話らしい。



「今回の事件……、小山内家の祭儀ってこの八岐大蛇伝説をベースにしているのよ、きっと。壷に溜めた酒は、被害者達の血。被害者は八岐大蛇と考えれば侵した罪は、足名椎と手名椎の娘を食い殺した罪。罪人の首を須佐之男命が剣で以て首を刎ねる。繋がらないかな?」



 祥子さんの言うように小山内家は神職の家系だ。聖人君の資料には毎年行われる祭儀に集まる関係者は国津罪と自称している。日本神話になぞらえた暗号を送るのは間違いなく小山内玲威本人だ。しかし何故、俺とは異なる暗号を東儀さんに送ったかだ。



「解読に日本神話を用いるのは判った。それで、暗号の意味を教えてくれるかな」



 水月の君という手紙で言う所の差出人の宛名部分だが、それではまるで東儀さんに宛てた手紙ということになる。



「水月の意味は久ちゃんなら判るよね?」

「そこが引っかかる。水面に映る月、鳩尾とかだよね。水月は水面に映る月、つまりまったく似通ったモノ。一卵性双生児の小山内玲威さんと姉の玲奈さんの事だ。文末に持ってくるならまだしも文頭に持ってくるのはおかしい。それに君とは相手を指す言葉だ」

「水月って他にも爽やかな人柄の人って意味もあるのよ」

「え……、それって、え、だって……」



 一瞬で繋がってしまった。解読できたと思っていた暗号は間違えていたのだ。先程までうんうんと唸り苦戦していた解読がどうしてかピッタリと当てはまったのだ。



『そ、さ、の、う、穂、月、最後』は『最後の水月誘う』ではなく、『最後嘘つきの沙穂』だったのだ。



 自殺予告なんかではなく殺害予告だったのだ。



 なんてことだ。



「水月の君は、東儀さんだ……。八ツ俣の災厄……、八人の犠牲者。変だ……」



――東儀さんを殺しても七人目だ。いや、もう七人目を殺していて、八人目を東儀さんに選んだんだ。しかし、東儀さんを選んだ理由。



「虚言の罪というのは嘘をついた罪ということか?」



 東儀さんは玲威さんに犯人を捕まえると宣言していたような気がする。まさかそれが、それだけで彼女は罪人扱いなのか。



――じゃあ、最後の。



「立待月に晒すは?」

「旧暦で17日のこと。今か今かと立って月が昇るのを待っていた、ことから付けられたみたい」



 刑務所に入っていて日にちが判らない。手近に日付が判る物が無く、「須藤君。今日って何日?」彼は自分の携帯電話を開いて、「17日っすけど?」首を傾げた。



「その暗号は東儀さんに伝えたの?」

「うん。伝えた」

「そうか。また今度」



 電話を切った。



 すぐに電話帳から東儀さんの連絡先を探してコールする。



 あんな目にあってもう馬鹿な真似はしないはずだ。するはずがない。そこまで馬鹿じゃないと信じている。正義感が強く、俺みたいな冴えない男にも嫌な顔しないで接してくれるほどの天真爛漫な性格をした、侍に憧れる少女。



 コール音は一向に途切れない。



彼女の声が聞こえない。



これではこの間と全く同じではないか。一度通話を切って久内刑事の番号をコールする。彼は直ぐに応答してくれた。



「あの暗号は間違っていたんだ。本当の暗号は最後、嘘つきの沙穂。つまり東儀さんが最後の被害者になる!」



 東儀さんに送られた暗号とその解を手短に伝えて彼女を探すように要請した。しかし帰ってきた返答は、「俺は捜査から外されたよ。上の連中から先程通達された」独断で捜査を進め、神崎富美恵の病院に乗り込んだあげくに犯人を取り逃した。



 彼を責め立てる材料は揃っている。



「警察としては力を貸せないが、個人的であれば協力する。いや、させてくれ。これ以上、一般市民に危害を加えさせるわけにはいかない」



 上層部の通達を受けてから此方に引き返していたということで、彼がまたこのアパートに顔を出すのに時間は掛からなかった。



「お祝いムードで話すタイミングを逃していたが、あの晩、向かおうとしていた住所には小山内玲奈の遺体があったよ」



 だいたい予想通りだった。



 次いでに俺が留置場にいる間に七人目の被害者が出たという。その人物は常磐展示館で警備員として働いていて、俺が電話を掛けても連絡が取れなかった葛西昌明。彼の首の断面は粗く、神崎富美恵の犯行として警察はより一層彼に対して呼びかけを強めているようだ。



ひとまず三人で東儀さんの自宅に向かい、暗号のことは伏せて、インターフォン越しに彼女が在宅しているかを確認した。



「何かに打ち込んでいないと、怖いって、私たちの制止を振り切って道場に出掛けましたよ」



 東儀さん宅から柴田道場まで車でなら五分も掛からない。フロントガラスから差し込む夕陽に目を細くしながら東儀さんの携帯電話に何度もかけ続けるがやはり応答しようとはしない。



 柴田道場の門下生の中に東儀さんの姿は無く、柴田師範も東儀さんを今日は見ていないと首を振った。



道場から出るともう辺りは外灯や家屋の明かりが灯っている。情報が少なすぎる。そんな俺の携帯電話に一通のメールが届いた。『始まりの首が最後の罪示す』犯人、小山内玲威からのメールだ。



「玲威さんからです。始まりの首が最後の罪示す。これは東儀さんの場所を示しているのかも知れません」

「からかっているのか」

「違う。止めて欲しいんだ。久内刑事、21世紀の森です!」



 もう閉館時間は過ぎている。人目を気にすることもなく、高架橋にはたくさんの車が走り少女の悲鳴なんてかき消えてしまうだろう。あの場所ほど適した場所もない。

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