第23話 国津罪3

――くそッ!



 何度掛け直しても東儀さんに連絡が付かない。隣で自家用車を運転する久内さんに藤井さん宅の連絡先を教えてもらうが、此方も留守電になっていてた。苛立ちながら溜息を強く吐いた。「東儀さんに玲奈さんが殺された画像を送った理由が判らない……。俺に送った理由も判らないけど」チラリと久内さんが俺を睨んで、「東儀沙穂さんについては犯人の思惑通りに進んでいる可能性がある」こんな状況で一切の感情を読ませない乾いた声で返された。



「どういうことですか、それ」

「藤井玲奈の遺体を東儀沙穂に送った理由、彼女の性格を上手く利用して誘い出された、という可能性だ」

「それは彼女の性格を知っている、という前提での話ですよね。犯人は藤井玲奈の携帯電話を使って……、たぶんメールの履歴から探って彼女を知った、と考えた方が現実的だと俺は思いますね」

「知っているから送ったんだ」

「刑事さんが根拠のない可能性を頼りに捜査するんですか?」



 久内刑事は車を急発進させた。嫌な言い方をしてしまった事に謝罪しようと口を開きかけたところで、「少し馬鹿げた話をしよう」口調を和らげた久内刑事を横目で伺うと、不貞不貞しい狐の顔にも人情味を感じた。



「降旗さんはミステリー小説は読むのか?」

「いえ。SFくらいしか読みません。たまに、ホラーだったりは読んだりしますけど」

「幽霊なんて非科学的だな。まあいい。だが、今回の事件を起こしている犯人が幽霊だったらどうする」

「はい? 言っている意味が判りませんけど、もしかして酔ってます?」

「酔っていたら運転はしない。もちろん冗談なんかでもない。ミステリー作品では叙述トリックという手法がある。まあ、これくらいは知っているか。現代の技術では双子をDNA鑑定では識別できない」

「まさか死んだ誰かが、双子の誰かと入れ替わって殺しをしている、とでも言うつもりですか」

「そのまさか、だ。一卵性双生児がどうやって作られるか知っているか?」

「一つの受精卵が二つに分かれることで同じDNAを持つ双子が産まれるんですよね」

「SF作家はそういったことも知識として取り入れているのか?」

「たまたま、知っていただけですよ」

「世間一般の男性は言葉を知っていても、それがどういうものかは説明できないだろう」

「保健の授業で習いますよね?」

「あいにくと保健の授業に興味が持てなくてな。寝ていたよ」

「右に同じく」



 彼が冗談をいうタイプでないことくらいは少し関わっただけでも判る。それもこんな事態に冗談なんて言っていられるはずもない。警察の威信と市民の安全に関わる事件の渦中にいるならなおさら。その彼が叙述トリックなんていう創作の中でのみ効力を発揮する手法が現実に使われているなんて口にしたことが驚きだ。



 でもたしかに首が無い遺体ともなれば、死人として犯行を繰り返すことが出来る。首を持ち去るのは小山内家の祭儀に則ったものであり、はたして神聖な取り決め事を隠れ蓑なんかに、「いや……。犯人が結託して行動していると思い込んでいただけで、本当は二人の犯人は顔見知りでもない別々の事件と分けた場合、首切り事件を隠れ蓑に動いているのかな」恐ろしくも馬鹿馬鹿しい推理が構築されていく。



 つまり死んだと思われていて、俺と東儀さんの知り合いとなる人物こそ犯人の一人。



「村瀬君?」



 だが、彼に双子の兄弟がいるなんて聞いたことが無い。いいやそもそも、彼の家庭事情なんて聞いたことが無かった。結局は相手の上辺だけしか知らない薄っぺらな関係ということだ。



――まったくもって軽薄だな、俺は。



「村瀬牧人について探りを入れたら、双子の兄がいることが判明した」

「じゃあ、本当に村瀬君が、村瀬牧人君が今回の事件の犯人?」

「一概にそうとも言えない。双子の兄、牧也まきやは精神的な病気を患っていて、母親が少し目を離した瞬間に自宅マンションから飛び降りて亡くなっている。二年前のことだ」

「それじゃあ、村瀬君は叙述トリックを使えませんよね。隠れ蓑に利用する死体が手元にないわけだし」

「そういうことになる」

「久内刑事、もっと判りやすく話してください」

「俺は犯人を小山内玲威だと睨んでいる。キミが教えてくれた、小山内家が秘中の秘とする首切りの祭儀。上層部に掛け合ったが、小山内家に干渉するなと凄まれた。小山内家に身を置いていたならば首切りの術くらいは習得していてもなんら不可思議はない」

「玲威さんは今朝松戸市こっちに来たんですよ? 二週間前から起こっている事件に関与なんて」

「密室トリックと同じで不可能ではないだろ。実際、俺は上に打たれた釘を無視して小山内家に先ほど連絡を入れた。小山内玲威は二週間前から姿を消していると現当主は言ったよ。家を抜け出して数日遊び回っているなんてのは日常茶飯事で、数週間前から姉に会いに行ってくると、嬉しそうに話していたそうだ」



 首切りの剣。事件発生の日時。二つの条件はすんなりと納得がいく。玲威さんは玲奈さんを殺害するために家を抜け出し、自分に嫌疑の視線が向かないように無関係に殺した人の中に玲奈さんをそっと紛れ込ませる。無差別殺人であるように思わせるべく。そしてまったく関係ない誰かが玲威さんの犯行の裏で同様の方法で殺害に至る、といった筋書きが組み上がる。玲威さんも勝手に殺して回っている影の人物を都合良く思っていたかも知れない。互いが自然と協力し合う形が警察の捜査を攪乱している結果を生んだのだから。



「私悪い子だから、もうすぐ死ぬ、か」



 小山内玲奈が言った言葉だ。小山内家で玲奈さんは玲威さんに辛く当たっていた家庭事情を聖人君の情報で知っていた。玲威さんが日頃受けていたという虐め。殺害するに足る動機としては微妙なラインだ。ただ、どうしても引っかかってしまう。事件はそれだけの為に起こされていたのか。本当にそうだろうか、という疑念が拭えない。



――何かが欠けているんだよな。



――あれ……。



 東儀さんは。



――しまった!



「すぐに、藤井家に向かってください! このままだと東儀さんが危ない!」

「もう向かっている」



 車窓からは見慣れた風景。常盤平駅から五香駅へ延びる桜通り。松戸鎌ケ谷線を走らないのは道路渋滞を踏んでの判断だろう。あの通りは五香十字路のせいでだいぶ混んでいる日が多い。夕方が一番酷い。一キロ進むのに20分なんてざらだ。



 久内刑事は内線で俺達が向かうはずだった、暗号の住所へと人を向かわせるよう指示を出していた。



 深夜にはもう空いていそうな気もするが断定はできない。実際に工事をしていて車の流れが滞っていた。五香十字路を過ぎて六高台の桜通りまでは五分と掛からず、住宅街の藤井家に着いた時間は24時少し前だった。東儀さんと別れて3時間経過している。彼女の最後の電話からは1時間後だ。



 久内刑事と同時に車を降りて藤井家のインターフォンを押した。家内には照明が付いている。あの場所は居間だ。しかしいつまで経っても応答はしない。それどころか人が動く気配さえ感じられない。



「これから俺は法に抵触する行為に出る。降旗さんはここで待っていて構わない」

「いえ。俺も行きます」



 二人で小さく頷き合う合図をしてから庭へと侵入した。扉に鍵は掛かっていない。久内刑事を先頭に俺も続く。テレビの音が居間から聞こえてくる。一番手前の右手側の襖から居間の明かりが漏れている。久内刑事は懐に手を差し入れたまま足音を立てないように襖へと近付く。



 勢いよく開けた襖に素早く身を滑り込ませた。俺は顔を覗かせて居間を見渡すが誰もいない。



「藤井玲奈の部屋も確認しよう」



 突き当たりに一番近い右手の部屋が藤井玲奈の部屋だということを指差しで教えた。



 またしても勢いよく開け放たれた襖の向こうは異様の一言で片付く有様だった。言葉を忘れたのは死体という非日常を目の当たりにしたせいであり、冷たい検視台の乗せられた村瀬君より、生活感の漂う現場に在るほうが生々しいからだろう。



 遺体は衣服からして此処の家主、藤井登美子さんだ。頭部を欠いた遺体が大きな壺を抱いて正座している。敷かれた二枚の布団は真っ赤に染まっていて、締め切られた部屋に充満する死臭が鼻につく。



 この状況にも怯まないのは流石ベテランの刑事。携帯電話で何処かに連絡を付けると、遺体やその周囲を荒らさないように部屋の隅々に視線を行き渡らせ、勉強机の上に置かれた本に定めた。



 遺体をなるべく見ないようにしながら俺も机に向かうと、その本は小説だった。俺の書いた小説だ。しおりが挟んであり、そのページを久内刑事が見開き、「塗りつぶされた文字はなんだ?」俺へと差し出した。



「潰された文字は関係ありません。見開きのページと見比べて対となる箇所の文字を拾うんです」



 あまり小説を読んでいないのか、対の文章とを照らし合わせる作業が不得意なのかもしれない。俺は直ぐに左右のページの潰された箇所を記憶しながら文字を拾っていく。慣れていても結構大変な作業だ。細かい文字のせいで一行ズレたりもする。こんな手法を颯爽と見つけ出し、平然と解読してしまう海津原聖人という人物には脱帽する。



「救うも殺すも彼の手腕による、でしょうね」



 フル回転させた頭から導き出された文章。「なるほどな。これ以外には無さそうだ」久内刑事も納得したが、これでは東儀さんの行方は掴めない。



 他に何かないか。なるべく遺体に触れないように辺りを探っていると携帯電話が着信を報せる。東儀さんからのメールに俺はあやうく携帯電話を取り落としそうになった。



「東儀さんから……、いいえ、犯人からのメールです」



 本文の無い画像一枚を添付した内容。玲奈さんと同様に椅子に座らされている東儀さんの姿。力なく項垂れていたが、まだ首があったことに少しだけ安心した。



 久内刑事に携帯を渡して身体から力が抜けて崩れそうになるのを、窓に寄りかかることで耐えた。耳鳴りがする。心臓がこれまでに無いほど早く打って息苦しい。「東儀沙穂に掛けてみろ」俺の手にしっかりと携帯電話を握らせた。



 もちろん呼び出しには応答する様子もない。通話を切るとメールが送られてきた。『この少女の首を落とす。夜明け前に見つけてみろ』相手は完全にドラマで警察を挑発する犯人気取りだ。



 頭に血が上る寸前の所でこの文章をもう一度読んでみた。



――この少女?



「東儀さんを誘拐したのは玲威さんじゃない」

「この家を飛び出した所を小山内玲威に捕まり、どこかに連れて行かれたわけじゃないのか?」

「この文章をよく見てください。顔見知りにこの少女なんて表現は変だ。それに祭儀に倣っているのなら、こんな愉快犯みたいに見つけてみろなんて書きませんよね」

「確かに……、そうだな。つまり」

「ええ。もう一人の犯人と考えていいと思いますよ」



 送られてきた東儀さんの写真は、玲奈さんを撮影した場所とは明らかに別の場所だ。玲奈さんが撮られたのは廃墟のような少し散らかった場所。対して東儀さんがいるのは綺麗な真っ白い部屋だ。



 東儀さんを誘拐した犯人、仮にBと仮称しよう。誘拐した手段や場所がまず何処か突き止める必要があるように思える。ここら辺で誘拐しようにも住宅が密に並ぶ地区だ。大きな声で助けを呼べば犯人Bにとって都合はよくない。それに彼女は実戦剣術道場に通う手練れだ。棒きれ一本あればそこら辺の男性くらいならば撃退できるだろう。



 玲奈さんが行方を眩ませて慌てた彼女は、何も考え無しに家を飛び出したことだろう。そのまま桜通りを歩いていたのか。あんな車の往来が多い場所で誘拐なんてそれこそ目立ってしまう。



「近くの交番に問い合わせたが、少女の悲鳴などの通報は入っていないようだ」



 窓の外から赤い光が差す。久内刑事が呼びつけた警察官が到着したようだ。玄関から数人の足音が此方に向かってくる。



「うぅ……、これは酷い」



 部屋の惨状を目の当たりにした若い制服姿の警察官が眉を寄せた。



「鑑識と救急はもうじき到着しますが……、彼は一体何者ですか。警察関係者じゃないですよね」



 不審者を見るような目でその警察官は俺を見た。



「今回の捜査に協力してくれている、作家先生だ」

「はあ、作家……、ですか」



 余計に懐疑な眼を向けてくるが久内刑事と行動を共にしていると判った以上、追及の言葉も飲み下さなければならない。彼等は屋外に集まってきた野次馬の対応に家を出た。



「警察官がこうして夜遅い時間にも見回っても防げない事故や犯罪はある」



 見回りという言葉にハッとした。東儀さんは警察の眼を掻い潜るべく大通りではなく、身を潜めやすいルートを選んだのではないかという発想に行き着いた。頭の中でここら辺の地図を展開して、「中央公園か、しいの木公園かな」人の眼が届きにくい二つの公園が候補に挙がった。



「久内刑事、車を出して頂けませんか」

「ああ、その公園でいいんだな」

「現場は大丈夫ですか?」

「後で上からお叱りの言葉を頂戴するだけだ」



 久内刑事は俺と一瞬だけ目を合わせて、「急ぐぞ」先に駆けだした。外にいる警察官にはてきとうな事を言っていたが、彼等が慌てている様子で留めようとするも、それを振り切って運転席に滑り込んで車を発進させた。



 ここから一番近い中央公園は外周を木々や茂った草で覆われていて、身を隠すにはちょうどいい。パトカーをやり過ごすだけなら園内の奥まで足を踏み入れる必要は無い。茂みを影にしゃがみ込めばまず見つかることはないはずだ。



 車から持ってきた懐中電灯で辺りを照らして、主に地面を念入りに探っていると落ち葉の間に何かが反射した。



「久内刑事、直ぐに警察を動かしてください!」

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