第22話 国津罪2

 ごちゃごちゃと物事を複雑に考えるのは性分では無いのだ。私は湯上がりでさっぱりとして、見慣れない親友の部屋で横になっていた。静かな部屋だ。閑静な住宅街だとここまで物音がしないことに驚いた。私の家は桜並木の大通りが近くにあるので車の音がよく響く。



 玲奈の生活している世界。この静けさが彼女の日常にある。



 今も何処か、静かな場所で一人。



――大丈夫……。私はセンセを信じてる。玲奈だってそう簡単に殺されない。



 センセが言っていた。犯人から要求が無い以上はまだ安全である可能性が高いと。



「それにしても、よく似ているなぁ」



 玲奈の机に立て掛けてある写真をよいしょと起き上がった私は観察した。本当に似ている。一卵性双生児という私でも知っている難しい言葉を証明する双子の姉妹。小山内玲奈と小山内玲威。仲睦まじく微笑んでいる二人の仲を裂こうだなんて、どんな事情があっても許されるわけがない。



 私の携帯に着信が入った。



 メールだった。



 差出人は玲奈からで、『来世に生きる』添付された画像を開いてしまい、「あ、ああ……、いやあああぁぁぁ!!」携帯を投げ出した。



――ごちゃごちゃだ。



 何かがプッツリと切れた。容量の低い頭の中は感情の奔流によっていっぱいになって、溢れた分は口を伝って悲鳴となって静寂を塗り替える。溢れる涙。引き攣る声帯。癇癪を起こした子供の様に自分の髪を引っ張って、床を殴りつけて、悔しさ、怒り、後悔、それらが混然とした大波となって私を呑込み、自制のたがが攫われた結果に何事かと、風呂に入っていた玲威とおばあちゃんが尋常じゃ無い私を見て、二人がかりで押さえつけた。



「ああ、ああ、ああ……、玲奈がッ、玲奈がァ!」



泣き叫びヒリつく喉を絞って彼女の名前を連呼する私に、「何があったのよ。落ち着いて東儀ちゃん!」おばあちゃんが力強く抱きしめ、過呼吸状態の私の背中を何回か強く叩き、「しっかりするんだよ、東儀ちゃん。呼吸して、しっかり!」私の呼吸に合わせて背中をゆっくりとさすってくれる手の感触。温かな掌。「なにがあったの。怖い夢でも見みたのかい?」涙鼻水涎と汚い顔を見せても嫌な顔をせず微笑んでくれた。



 玲威も髪から水滴を垂らしながら心配そうにしていて、私は投げ出した携帯電話へと手を伸ばす。



「これ……、玲奈からメール。でも、玲奈じゃなくって」



 しゃっくりのせいで上手く話せない。自分の口から話すのも辛く携帯電話を差し出した。



 玲威が受け取って本文の一言と添付された写真を見て携帯電話が手から滑り落ちた。



「嘘……。玲奈姉さんが」



 おばあちゃんは険しい表情で落ちた携帯の画面を覗き込み、「ああ……、なんて」意を決して固めた表情が崩壊してわなわなと柔らかい皺を刻む顔を震わせた。



 添付された写真。



御座の上で頭部を欠いた少女が正座している。膝の上で大事そうに抱える壺には、玲奈の首が蓋ように乗せられていた。



 綺麗な白い肌が一層に白く見えるのは照明器具のせいだろうか。少し粗い画像の彼女は穏やかな表情で目を閉じている。まるで、ありきたりな表現だけど眠っているようであり、とても満足そうに、楽しい夢を見ているように微笑んでいるようにも見える。



 死んでしまっては本心も判らない。



「ごめん。私行くよ」

「え、行くって……、どこにですか」

「玲奈を迎えに行く」



 自分でも無茶を言っている。画像の場所は室内だが、それが何処かだなんて検討もついていない。無鉄砲な性格だから、思い立ったら即行動だから、ジッと待っているなんてとうてい出来そうにない。



「危ないですよ!」

「玲威ありがとう。私の心配する余裕も無いはずなのに、でも行くよ。行かなくちゃいけないんだ。だって、私は玲奈の親友だから」



 二人を残して私は藤井家を飛び出した。



 お風呂で暖まった身体が急激に冷やされていく。風邪を引くかもしれないけどそんなことはどうでもいい。センセに連絡を入れるくらいには冷静で……、いいや、冷静すぎている自分が恐ろしいのか、寒いからなのか、番号を押していく指が震えている。



「東儀さん、どうしたの……? あれ、まさか外にいるの?」



 車の音を拾ったのだろう。



「玲奈を迎えに行きます」

「迎えって……、ダメだよ。藤井さん家に戻るんだ。玲奈さんは俺や警察が見つけて連れ帰るから」



 玲奈がどうなったかはセンセにはまだ伝わっていないようだ。



私は先ほどのメールの件を告げた。



「助けられなかった……、のか」



 伝わるセンセの喪失感。焦燥の炎が完全に鎮火して佇んでいる姿が容易に想像できた。私もそうだ。でも私は直ぐに別の炎を再燃させた。この冷たく激情に逆巻く炎はそう易々とは吹き消されない。炉にくべる復讐という燃料。絶えず休まずくべ続けるべく、「私は止められません」通話を切った。



 折り返しの電話が鳴る。



 もちろんセンセからで。



 鬱陶しく鳴り続ける携帯の電源を切った。



 未成年がこんな時間に出歩いていたら補導されてしまう。桜通りの端には交番があり、よくパトカーが見回りに出ている。一本裏手の住宅街を歩きながら中央公園に身を潜めた。奥の方からパトカーのような車がゆっくりと此方へ向かってきたからだ。



 中央公園は外周を草木で覆われているので闇夜から人の姿を確認できっこない。パトカーがゆっくりと走行して桜通りに出たのを見届けてから、ゆっくりと立ち上がったところで後頭部に衝撃を感じた。



「いったぁっ!」



 反射的にしゃがみ込んで後頭部を押さえる。背後から荒い息遣い。不審者や変質者の類いより先に殺人犯という短絡的な根拠の無い発想に至り、立ち上がりながら回し蹴りを見舞った。



 暗くてよく見えないが男性だと判った。



 大腿を蹴りつけると彼は姿勢を崩しそうになるがすんでの所で踏ん張った。私の頭には逃げるという選択は用意されていない。カッと血が上っている頭でも相手との距離感を即座に測り、視線を周囲に配らせてあらゆる手段を探る。暗くて判りにくいがある程度の慣れによって木の枝を探り当てるくらいには視界は明瞭だ。



 男がまだ手に持っている拳大の石を振り上げて、威嚇するように唸りながら地を蹴った。素人の動きだ。こういった荒事に不慣れな、喧嘩もしたことが無い安穏とした人生を送ってきたに違いない。彼は腕が届く範囲で石を思いっきり振り下ろす。



――初動作が大きすぎるってば!



 タイミングを見切って彼の右腕に左手を当てて軌道を逸らす。上体が不安定になったところをしゃがんで足を払った。鋭い脚撃だと自分でも高揚していたがこれで止まる訳にはいかない。



 顔から地面に転倒した彼に追撃を加えようと立ち上がると、いつの間にやら手に持っていた小型の刃物を私の足首を一閃。



 驚いた反射で足を持ち上げた。痛みは無い。足は切られていなかったようだ。その一瞬、意識が男性から足に向いたことで、現状の有利を自らの手で放棄してしまっていた。私がハッとした時には既に遅かった。男の手が私の首を掴んでいた。これもまたタイミングが悪い。驚いた際に息を吐ききっていて肺の中は酸欠状態。体内に酸素を取り入れることも、叫び声をあげることもできない。棒きれ一本あればまだ打開もできた。



 反撃の術がない。



 頭の中が段々と圧迫されて意識がぼんやりとしてくる。



――ああ……、馬鹿だな。犯人を殺すとか意気込んで、結果がこれじゃあね。



 笑える。



 馬鹿みたいだ。



 霞む視界。目の前には帽子を目深に被った背の高い人物が、若干の腰を曲げて私の首を両手で絞めている。せめて最期に犯人の顔でも拝んでやりたかったが、どうもそれすら叶わないようだ。「ヒュゥ……」口から漏れた小さな音。私の意識はそれと共に落ちた。

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