第17話 新たな可能性1

 三人目と四人目、正確には小山内礼子を含めて四人目と五人目の被害者が出たことを祥子さんから早朝に電話で報された。被害者は二人とも成人女性である以外、身元についての情報を警察は一切掴めておらず、遺体は前二人同様の状態で八柱霊園の茂みと、秋山駅近くの公園に遺棄されていたという。



 電話越しに彼女の兄、海津原聖人君についてどうだったかを聞かれた。



「彼は何かにしがみついているの?」

「まあ、色々とあったみたい。昨日の夜、兄貴が私の家に珍しく立ち寄って、この間の情報料に四十万を上乗せして返してくれたのよ。理由までは話してくれなかったけど、久ちゃんと会った後のことだから、ちょっと気になって」

「何もなかったと思うけど」



 記憶にない。普通に事件についての情報を提供してもらったくらいだ。彼がアパートに滞在していたのだって一時間も経過していなかったはず。やはり思い当たる切っ掛けは俺には身に覚えがない。



「ごめんね。兄貴にはこの事件に首を突っ込まないように強く言われたから……、その」

「ありがとう。聖人君も海津原さんが心配なんだよ、きっとね」



――ああ、眠いしお腹空いたな。



 昨日は一睡もしていない。夕飯だって食べる間も惜しんで資料と睨めっこをしていた。原稿用紙のメッセージもあれからずっと考えてみても解読できなかった。資料はあらかた頭に入ったが、睡眠不足のせいで頭がもう働くことを拒絶している。思考のストライキだ。こうなっては俺にはどうすることもできない。



 くたくたになるまで使っていた布団を敷いて横になると、もう身体を動かすことも出来ない。たった一晩の徹夜でこの様でよく作家なんて仕事を続けてこれたものだ、と自分を褒めながら夢への旅支度を進める最中、インターフォンが鳴った。



 宅配だったら後で再配達を頼めばいい。宗教勧誘ならこのまま無視していて問題は無い。俺はこれから現世から解脱して夢の世界へ羽ばたくのだから。



 またインターフォンが鳴る。二度、三度、四度、まるで俺が在宅しているのを知っているかのように。眠っていたら叩き起こしてやろうという勢いで鳴る。



――こんな時間に誰なんだ。



 朝の七時過ぎ。



 今日は日曜日。



 なんとなく誰が来たのか予想が付いた。



「おはよう、センセ! 遊びに来ちゃいました」



 扉を開けると笑顔が眩しいピチピチの女子高生がいた。「降旗にアポは取っていますか」重い瞼をなんとか持ち上げて、面白くもない冗談を一つ提供する。



「アポイントメントは取っていないけど、顔パスとお土産でどうかお目通りを」



 そういう彼女の手にはなにやら美味しそうなモノが入っていそうな箱。「顔パスはいらないけど、お土産は歓迎だよ。入って」空腹を刺激されてつい家に入れてしまった。このまま帰らせる気もなかったわけだが。



 部屋の散らかり具合に東儀さんは、「あらら。これは部屋掃除から……、ん、何これ。松戸市の首切り事件?」そのままにしていた資料を手にとてまじまじと文章を読み初めて「これはダメだよ。俺の大切な資料だから」ヒョイっと資料を取り上げて引き出しにしまう。



 むぅと頬を膨らませて、「私だって無関係じゃないでしょ」資料の束を気にするように引き出しにチラチラと視線が逸れる。これを見せるわけにはいかないのは、俺が面倒臭いことに巻き込まれると百パーセント言い切れるからだ。それに小山内家、藤井さんについてのことも赤裸々に記されている。こんなものを友達の彼女の眼に通させるわけにはいかない。



「さっきね、祥子さんから電話があったよ。四人目と五人目の被害者が出たって」

「あれ……。あっ、そうか。一人目は玲奈のお母さん」



 事情は玲奈さんから聞いているのだろう。



 不安がる東儀さんの顔を見るのは辛かった。彼女の意識から資料を外させるためについ口を出た話題だが、彼女の小説の内容にでもしておくべきだったと後悔した。寝不足で頭が回っていない証拠だ。



「まだ身元は判明していない。今回は八柱霊園と秋山駅近くの小さな公園みたいだ」

「公園ばっかりだね。今回は二件同時の犯行。八柱霊園と秋山駅ってだいぶ離れてるけど、遺体や装飾品を車で運んだってことになるよね」

「そうだね」



 村瀬君から数えて四人の被害者の共通点は遺体を公園に儀式めいた装飾を施して遺棄されていること。これも何か意図あってのことだろうか。仮にあったとしても今の俺達にはその理由も判らない。テレビで見る名探偵や刑事であれば何かに気付くのかもしれないが、素人の一般人があれこれと考えても犯人の思想や行動を理解し予測するなんて不可能。



 何か判れば聖人君から連絡が来るようになっている。他人任せだが、彼の働きと警察の意地がこの事件の早期解決に繋がる。



――だから今は。



「東儀さんは何をしにいらしたのかな」

「センセに連れて行って欲しい場所があるんだけど」



 彼女はそう言うと、嬉し恥ずかし、モジモジと身体を気持ち悪い軟体生物のようにくねらせながら擦り寄って来て、「ここにいきたーい」ポシェットから一枚の紙を取り出した。



「なになに、日本刀展示会? 場所は松戸運動公園で開催日は今日から一週間。うーん、まあ、いいけど。松戸運動公園ってどこにあるんだっけ?」



 ダメ人間の部屋掃除を済ませると彼女は俺の手を強く引く。興味あることに真っ直ぐ突き進んでいく彼女によって導かれて行く。どうやら彼女の習っている実戦剣術という競技にも大会が存在するようで、ここの体育館を貸し切って開催されるという。



 園内には大勢の人がショーケースに飾られた刀剣類を眺めていた。入口で渡されたパンフレットによれば百三十本の刀がお披露目されているそうだ。素人目から見ればどれも同じに映る。しかし周囲の見物客の中にはどこがどうのとか、歴史についてのうんちくを垂れ流している。そんな情報をなんとなく聞きながら、隣で目を輝かせている侍少女の嬉しそうな顔を一瞥し、彼女の心を掴んで離さない刀剣へともう一度視線を向ける。



 銘を石田正宗。本来無銘の一振りであったが石田三成が使用していたことからその銘が付けられたという。



――たしか東儀さん、石田三成にゾッコンだったっけ。



 子供の様にはしゃいで俺にうんたらかんたらと語って聞かせる彼女の石田三成への愛は止まらない。しかし先ほどまで聞き流していた大人達のうんちくよりずっと聞いていて楽しめる。ただ事実をそのまま聞かせるのではなく、語り手が心惹かれたエピソードを交える手法、彼女は聞く相手にも楽しんでもらえるように配慮しているが、している、ではなくきっと素で何も考えずに夢中なのだけだろう。彼女がそこまで聡い子ではないからだ。ちなみに途中から刀ではなく石田三成の話にすり替わっていたのだが。



 ここまで楽しそうにしている様子は天真爛漫で言い表せてしまう。東儀さんは複雑多岐な女心は持ち合わせていない。そしてこれからも単純明快に己を表現して生きていって欲しいと願っている。



 彼女の魅力の最大はそこにあり、彼女のその持ち味は作品に影響を与えている。



「あっ、玲奈だ!」

「え、ちょっと東儀さん?」



 人混みを小さな身体を滑り込ませながらズンズンと押し進んでいく。思い立ったら即行動。考えるより身体が動いてしまう様は空腹の獣のよう。身体の大きな俺はいちいち断りを入れながらゆっくりと人の群れから抜け出した。



 東儀さんと藤井さんが向き合って話をしているが何処か様子が変だった。



 身振り手振りで必死に訴える東儀さんと合流して、「藤井さんも来ていたんだね。こういうのに興味あったなんて知らなかったよ」何か彼女が失礼を言ってしまったのだろうという軽い気持ちでフォローに入るが、まるで不審者を見るように、彼女の眼はオドオドとしていた。



「あ、あの、玲奈は姉で……、私は妹の玲威です」



 藤井さんから双子の妹がいることは聞いていた。確かお父さんと千葉県の下の方で二人暮らしをしているはずだ。久しぶりに姉に会いに来たということだろうか。



「お姉さんとは此処で待ち合わせかな?」

「はい。でも約束の時間になってもまだ来てなくて……、私、やっぱり嫌われてるのかな」

「そんなことないよ! えっと、色々あったのは、えっと……、聞いてるけどさ、玲奈は玲威ちゃんの事大好きだって言ってたもん」

「姉がそんなことを話したのですか?」



 困ったように笑う玲威さんは、やはり姉の玲奈さんと瓜二つではあるが、彼女達の珍しい灰色の眼をよく見れば僅かばかり色味が異なっているようだ。



 二人は9時に待ち合わせをしていたと言うが、もう10時を過ぎている。一時間の遅刻は流石に遅すぎやしないだろうか。



 東儀さんの先ほどの発言、姉妹間で過去に何があったのかは聖人君の情報で知っていたし、それからも日々の一方的な小さな諍いはあったようだが、ここ数年は関係が良好だと記されていた。



 もしかしたらもう来てはいるがこの人混みだ。周りと比べて低い背丈の少女を見つけるのは困難なのかもしれない。俺がグルリと人混みを視線でザッと見渡すと知った顔を二つ見つけた。



 二人の人物は親しそうで、また別の二人組の男性を交えて会話している。四人は人の群れを抜けて体育館の方へと歩いて行く。



――こんな時に、どうしてあの人がここにいるんだ。



「二人ともここにいてくれるかな。ちょっと見知った顔を見たから挨拶してくるよ」



 二人を残して俺は走り出す。もしかしたら事件に関係することかもしれない。



――事件に関係することであっても、どうして俺はこんな行動を選択している?



 俺が認知していない俺が、自分の立ち位置を自らの意志で外れようとしている。これは異常だ。バグだ。事件について調べて警察に情報を提供するべく情報屋を利用した。それはこれ以上の被害者を出させない為。ちゃんと行動に理由付けが出来る。しかし今の自分の行動には正当な理由付けができない。



「こんにちは、こんな場所でお見かけするなんて思いませんでした」



 四人が一斉に此方を向く。



 わざわざ人目を避けて体育館の裏口から入館しようとする四人は驚きに瞬く。俺の発言に見知らぬ二人は、誰に対して声を掛けたのかといった様子だ。「柴田先生と久内刑事はお知り合いだったんですね」偶然と自然を装いながら彼等に近付く。



「柴田先生は道場の師範代。ここにいても不思議ではないけど、四人目の被害者が出たというのに、久内刑事はこんな場所にいてもいいんですか? それとも、今回の事件と関係があって、ですか?」



 あからさまに嫌な顔をした久内刑事は、「そうだと言えば、このまま引き返してもらえるのか?」当然歓迎の態度はない。



「いいんじゃないかな、久内君。隠しても余計に勘ぐられるだけだよ。それに一件目の被害者と親しかったそうだし、何か得られるものもあるだろう」



 柴田さんが村瀬君との関係を知っているのは東儀さんを伝ってのことだろう。つまり、この四人は松戸市連続首切り殺人の関係者ということになる。残る二人は見たところ年齢的にかなり離れているように見える。一人は柴田さんと同じくらいか。もう一人は俺と同い年か少し若そうだ。



 警察の権限で部屋を借りたのだろう。対面に合わせた二つの長机と椅子があるだけの簡易な部屋。小会議室にでも使う部屋なのか、パイプ椅子やら給水器などが部屋の隅に置かれていた。俺は柴田さんの隣に座り、対面にはまだ名前も知らない男性二人。久内刑事は足の置き場に困る扉とは真逆の窓側に座る。



 同年代くらいの男性が、「飛び入りの彼、ええと、被害者の方と親しいと仰っていましたが」見た目より声が若い。長めの髪の間から僅かに覗く眼が俺を見た。



「降旗久七と申します。村瀬君は私の担当編集者として長く付き添ってくれていました」



 自身を私なんて言うことにゾワリと背筋がむず痒くなった。



「作家さんですか?」

「SF小説を書かせてもらっています」



――やはり俺の知名度なんてそんなものか。



「私は神崎富美恵かんざきふみえです。ちょっと女の子っぽい名前で名乗るのが恥ずかしいですが……、矢切で医師をしています」



 ちょっと頼りなさそうな、見方を変えれば甘え上手な笑顔を浮かべている。色白の肌に艶やかな髪は名前も相まって確かに女性のようにも見える。



 俺はチラリと視線を彼、神崎さんの隣に向けると、「常磐健介ときわけんすけ。骨董商を営んでいましてね、今回の展示会はうちの出展なんですが、もうご覧になられましたか?」怪しいものでないと判るや、彼は先ほどまでのオロオロとした態度を一変、あっけらかんとして歳相応の笑顔を浮かべる。



 とりあえず見知らぬ人との自己紹介が済んだところで久内刑事は咳払いをし、「そろそろ初めさせてもらいたい」注目を集める。



「始めるのは構わないよ。でもねぇ、キミ。目上の相手に少々失礼じゃないかな。慇懃無礼だよ。此方も貴重な時間を割いているんだから、そのところ慮ってもらいたい」



 確かに久内刑事の態度はどうなのだろうとは思っていた。



「これは失礼、育ちが良くないもので。では皆さん。初めさせてもらってもよろしいでしょうか。これで満足ですか、常磐さん」



 指摘を受けた久内刑事は改めたがどうしてこうも挑発的になってしまうのか。常磐さんもグルリと眼を回して、「ああ、初めてくれていいよ。うん」直感で何を言っても無駄だと肩を竦めて匙を投げた様子。



「ご存じの方もいるだろう。新たな被害者が八柱霊園と秋山駅付近の公園で発見された。一人目は降旗さんの証言とDNA鑑定から村瀬牧人と特定。二人目は着用している学生服から松戸市内の高校に通う女生徒。今日発見された三人目と四人目は身元もまだ特定できていない状態だ」



 話が進む前に、「久内刑事。一つ訂正を入れてもいいですか。今回の被害者で五人目です。一人目は村瀬君より前、去年の秋に亡くなった小山内礼子さんという女性です」進言しておく。久内刑事は舌打ちをして俺を睨み、「断定する根拠がないが進言感謝します」人前でそういう情報を漏らすなと非難している眼で睨まれた。



「私たちを呼び出した理由をお聞きしても宜しいですか、刑事さん」



 神崎さんが小さく手を上げて言った。



「柴田先生は剣術道場の師範であり、我々警察組織に剣術指導も行ってくださっている。斬首という残虐極まりない業についての意見をお聞きしたい。神崎先生は一件目……、いや二件目と三件目の被害者と面識があるそうなので、お話を伺えればとお呼びしました。最後に常磐さん。貴方のコレクションから一振りの刀が盗まれたと被害届を受けています。もし仮に殺害に使われている代物であるならば……」

「馬鹿馬鹿しい話だね。確かに盗まれたよ。しかしだね、盗まれた一振りは真剣ではあるけど現代の刀匠に芸術的価値を優先させて、切れ味なんて大したことない粗悪品だよ」



 久内刑事は懐から数枚の写真を撮りだして机の真ん中に並べた。



――これは。



 五人の被害者の首の断面だった。



 ちゃんと小山内礼子の写真も用意されていた。



「まずはこれを見て欲しい」



 俺達は顔を付き合わせるように身を乗り出して写真を見下ろす。村瀬君の首の無い遺体。その無残で痛ましい姿は見ていられない。「降旗先生はあまり無理をして見なくても」事情を知っている柴田さんの心遣いだけを頂戴した。



「ありがとうございます。ええ、大丈夫です。久内刑事が俺……、私たちに気付かせたいのは遺体の違いを気付かせたかったということですよね」

「わざわざ指摘する手間が省けるな」



 別に写真を見て気付いたわけじゃない。これも聖人君に貰った資料に被害者の首の断面の粗さが目立っていたという情報が記されていただけだ。しかしいったいそんな警察組織の一部でしか得られない情報をどうやって入手したのか。



「一人目の小山内礼子、二人目の村瀬牧人、四人目の女性は断面が綺麗な状態だ」

「ああ、本当ですね。三人目と五人目は引きちぎった……、というか、のこぎりのような粗さが目立ちます」



 神崎先生も気付いてより一層に顔を近づけて言った。



「柴田先生。この違いからはどう考えられますか」



 柴田さんにだけ丁寧な口調で話す久内刑事に常盤さんと俺は一瞥した。



「考えられる理由は二つ。一つ、使用する刀を何かしらの法則で分けている。片方は切れ味の良い代物、もう片方はそれこそ芸術鑑賞用のナマクラでしょう。二つ、剣士はそれぞれ斬り方に癖というものが斬撃に反映されます。江戸時代などでは切り口や傷の深さといった点から、どの流派の誰々じゃないかと個人を特定していたという話を聞きます」

「つまり、犯人は一人ではない可能性がある。そう仰るのですね?」

「これだけの写真では断定は出来ませんよ。もちろんキミのことですから、他の写真も用意しているのでしょう、久内君」



 久内刑事は携帯電話を開き、ちょっと見づらい、隠し撮りしたような違和感のあるアングルで現場状況を見せてくれた。

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