第18話 新たな可能性2

 少し離れた所からの儀式めいた現場と遺体。御座の上に座らされ首の無い遺体が壺を抱きかかえている姿。それ以外は特に目立って違和感も無い普通の写真だ。聖人君の資料にも現場についての詳細な情報は載っていなかった。



 しかしその些細な違いに気付いたのは食い入るように見ていた常磐さんだった。



「なぁんか変じゃないか。切り口が綺麗な遺体の方がやや前傾姿勢にも見える。遺体欠損とかそういうので硬直とやらにも違いはあるのかね、神崎先生?」

「死後硬直は確かに性差や年齢、環境下等でズレは見られますが……、姿勢についてはあまり関係なかったかと記憶しています」



――遺体の違い……、か。



 確か斬首をする際には首を前傾させて頸椎の隙間を広げ、その間隙に刀を振り下ろして首を刎ねるという話を柴田さんから聞いていたのを思い出す。



「久内刑事、遺体の死亡推定時間とかは判りますか?」



 今まで黙していて半ば空気と化していた俺が口を開くと四人は一斉に視線を集めた。久内刑事はすぐに手帳を取り出して、「小山内礼子、村瀬牧人がだいたい五時間から7時間だ。八柱霊園の女性もだいたいで同じくらいではないかと報告されている。逆に佐山明美と秋山の方は死後10時間から11時間だそうだ」それがどうしたという眼で睨まれる。いや、睨んではいないのかもしれないが、彼の細い眼で見られると睨まれていると錯覚してしまう。きっと学生時代は上級生と揉めていたかもしれない。そんなどうでもいい彼の過去想像に一瞬だけ気を取られる。それと一つ、「私って言うのはもう止めても良いですか?」そんなどうでもいい発言に、「ああ、好きにしたらいい」久内刑事以外は苦笑して、彼は真面目な口調で許可をした。



「やはり実行犯が異なっているように思えてなりません。断面の損傷具合、姿勢、死亡推定時間。柴田先生、写真をもう一度よく見てもらえませんか」

「ええ、それは構いませんけど」



 四枚の写真を柴田先生の前に殺された順に左から並べ直した。



「損傷以外に何か判りませんか。言いましたよね、剣士は斬撃に癖が出て、その状態から流派や個人を特定できたと。実戦剣術の師範代を務める柴田先生なら、なんとなくでもこの違いを見抜けませんか?」



 断面を真上から撮ったアングル。誰もが黙って柴田先生を見つめている。「そっちの写真もいいかな」遺体を側面から少し離れた距離で撮影した写真とも見比べる。



「確かにこれは癖が出ている……、というよりかはですね、片方は儀式の真似事かもしれない」

「それは確かですか」



 しっかりと久内刑事を見て柴田先生は頷いた。



「前傾姿勢になっている遺体は真後ろからではなく、側面から刃が入っている痕跡があるように見えますよ」



 小山内礼子と佐山明美の写真を並べたのは俺に配慮してくれてのことか、柴田先生は小山内礼子の首を指さし、「すこし皮膚が左側へ向かってささくれになっているのが見えますね。これは刀が右から左へと抜けて行った証です」次に佐山明美の写真を見せる。損傷が目立っているので本当に判りづらかったが、前方に皮膚が伸びているのがそうだろうか。ささくれというよりは捲れた、引きちぎったという表現が近いかもしれない。



「此方の若い女性の方は素人が見様見真似で斬った印象を抱きます。それに比べて此方の遺体はどうして側面から刃を通したのでしょうか。理由は判りませんが首を刎ねる技量は本物です」

「判りませんな。どうして実行犯が異なるんだね。模倣犯というやつか? まったく平成という世になってもまだこんな危険な輩が存在していると思うとゾッとる」



 推理はお手上げだと肩を竦めて身を引いた常盤さんに、「たとえば、儀式の決め毎の中に分担して行うとか、でしょうか」遺体の写真を哀れむように一瞥して神崎さんが可能性の一つを提示した。



「複数犯であると考えるのが妥当だろう。被害者を何処かで殺すにしても、まずは殺す人間の身柄を確保しなければならない。今回以前の三件からは……、目撃証言がまだ得られていない。まあ、村瀬については遺棄現場に本人が赴いている防犯カメラの映像が残っているが、犯人の姿は捉えられていない」



 このまま事件について話していても埒があかないと判断したのか、「神崎さん。村瀬牧人と佐山明美は貴方の病院の患者だそうですが、二人との接点を持つ人物に心当たりは?」細い眼を一層に細くして、今度こそ睨んでいるという気迫で神崎さんへ目を向けた。



「接点を持つ人物ですか……。いえ、心当たりはありませんね。そもそも受診時間もバラバラだったので、二人は面識もないはずです」

「本当にそうかい? 二人に接点のある人物ならいるじゃないか。神崎先生や受付の看護師なら二人に接点もあるじゃないか」

「止めてください! 私が殺したと言うつもりですか、常盤さん」

「いやいや、そんなつもりは毛頭無いよ。ただねぇ、被害者二人が先生の患者さんだった、っていうところが気になってしまってね。もしかして、四人目と五人目も先生のところじゃないんですか?」



 長い拘束時間に常磐さんは苛立ってきているようだ。執拗に嫌疑の言葉を神崎さんに向けている。穏やかそうな彼もこんな疑いを向けられればそれは反論する。しかし声の大きい常盤さんがそれを上乗せして押し潰して尻込みしてしまっている。彼が普段どういう風に相手と接しているか想像に難くない。



「その辺にしてください。俺達がいますべきは犯人を仕立て上げることではなく、警察に協力して真犯人を捕まえてもらうことのはずです」


 

 この場は警察が収めるべきだろう、なんていう不満は口にせず、言ってからこれは火に油を注ぐ行為だったと反省する。



「たかが作家のキミにねぇ、横やりを入れて欲しくは無いんだが? この場で一番怪しいのはこの若いお医者様じゃないか。刑事さんだって口出ししないんだ、内心では犯人だと決めつけているに違いない。一時間もこの場に詰められているんだ、私も今日の出展で忙しいんだよ、暇な作家先生とは違ってね」



 なんともまあ口が悪い。何かを言い返す気力も削がれたが、証拠もないのに犯人扱いされて責め立てられている神崎さんを無視することもできない。そもそも彼が口を閉じなければ話は進まないし、俺もそろそろ東儀さん達が心配になってくる。無事に小山内玲威さんは玲奈さんと合流できただろうか。できているならば三人で行動をしているはずだ。彼女達のことはしっかりしている藤井さんに任せていてもいいだろう。



「常盤さんにお聞きしますが、息子さんの洋一さんは売春の仲介人をしていますね。村瀬牧人は未成年の少女に過去、売春行為をしていた疑いがある。佐山明美の家は貧しく、学校でも友人の付き合いを断ることが多かったらしいが、彼女が亡くなる二週間前から見違えるようにブランドを身に付けるようになったそうだ。もし三人が繋がっているのであれば、神崎先生よりも怪しいのは」

「な、何が言いたいんだ!? まさか、息子がそんな馬鹿げた真似をするはずがないだろう」

「では、この後にでも彼を訪ねるとしよう。学校ではヤンチャを働いているそうだな。俺なりのやり方で調べれば、色々と話さなくてもいい証言が聞けるだろう。あまり警察を舐めるなよ」



 ゆっくりとジャケットから携帯電話を取りだし、「待て、待ってくれ! 息子は関係ないんだ」パイプ椅子が倒れる勢いで久内刑事に飛びかかる。「公務執行妨害にでも適応されたいか?」彼の気迫は尋常ではない。その気迫を裏取りする何かが彼にはある。



――そういえば、村瀬君の話をした時にも……。



 似たような。あの時は電話越しであったが彼の言葉の端々からは警察官としての責務や正義といったものとはかけ離れた感情のようなものが滲んでいた。



「二人ともまずは落ち着いたほうがいい。俺から情報を幾つか警察に提供したいと思っています」



 聖人君の資料から得た情報。もちろん、玲奈さんや玲威さんの実家、首切りを儀式とした小山内家についても。



 俺の話を聞いて誰もが考えている処は同じだろう。



犯人は小山内家の人間ではないか。



当然、一番怪しいのは千葉県松戸市に住む藤井玲奈ということになる。しかし少女の細腕で人間の首を跳ねることは可能なのだろうか。俺はふと隣の柴田さんに、「16歳の標準体型の女の子が人の首を落とせますか?」問うと、「まあ、不可能ではないでしょう。首を刎ねるという行為については。いささか私としては疑問を抱きますね。あそこまで綺麗に首を断てる技量を16歳の少女に習得できるとは思えません。しかし、どうして16歳の少女なのでしょうか。なにか気になることでも?」俺はてきとうに首を振って誤魔化した。



「首を刎ねること事態は可能。となると、佐山明美と五件目の被害者は、可能ではある、と」



 証拠も何も揃っていない。



ただ可能性があるという話だ。



 携帯電話を弄りながら久内刑事は、「少し電話をしてくる。各々で休憩をとっていてくれてかまわない」狭い会議室を出て行ってしまった。彼の足音が遠ざかると張り詰めた空気が幾ばくか緩和したように思える。ひとまず空気の入れ換えがしたかった。窓を開けると冷たい風が流れ込んで足下を冷やしていく。



「すみません。僕も患者のことで病院から連絡が来ているので少し席を外します」

「息子にちょっと連絡を」



 残されたのは俺と柴田先生だった。



 柴田先生はこの聴取であまり発言をしなかった。必要最低限の聞かれたことや重要な点を話すだけで、誰彼が揉めようが静観を決め込んでいた。



「降旗さん。一つだけ、聞いても良いですか」

「ええ……。なんでしょうか」

「この間、キミが道場で見せてくれた構えのことですよ。これまで何十年と色々な流派を学んできたつもりです。しかし、降旗さん。貴方のあの構えは私が知り得るどれにも当てはまらない」

「素人の思いつきです」

「いいえ、それはありえません。貴方は木刀を受け取り、即座にあの構えを取りました。迷うことなく……、いや、素人であれば正眼や上段、八相の構えなどの一般人でも知っているような構えを取るはずなんです。それに腰の落とし方は身体が覚えているような自然味がありました。上手昔より上手ならずという諺があります。貴方の構えはまさにその結果のように思えてなりません」

「あの子……、東儀さんには内緒にしていただけますか?」



 俺を見た柴田さんはゆっくりと頷いた。



「俺の実家は」



 携帯が振動する。振動幅からメールだと判った。後回しにしてもいいのだが、どうしてか俺には不吉な報せであるように思えてしまい、「すみません」柴田さんに断りを入れてメールを開いた。



 知らないメールアドレスからだった。



 画像ファイルが一枚添付されているだけのメール。



 ファイルを開くと薄暗い画像が画面いっぱいに広がる。



「なんだ?」



 しかしその薄暗い場所の中心には、椅子に座っている人らしき影のようなものが映っている。力なく首は項垂れている。髪が垂れ下がっているせいで表情が窺えないが、髪の長さからして女性。



 同じように画像ファイルが添付されただけのメールがもう一件届く。



 今度は女性の顔だった。



 意識を失っている少女の、「あっ!」その顔には見覚えがあった。



 俺は急いで部屋を出た。まず何をすれば良いのかも判らずに、勢い任せに久内刑事を探す。すると、「うわっ、危ないじゃないか! 何をそんなに慌てている?」トイレから出てきた常磐さんとぶつかりそうになり、「あ、ああ、ええと、久内刑事を見ませんでしたか?」呆気にとられつつも、「い、いや。見ていないが」彼の言葉を最後まで聞かずに下駄箱辺りを探し、二階、三階と階段を駆け上がる。



 三階廊下で壁に背を預けて携帯で誰かと話している久内刑事を見つけた。



――なんでわざわざこんな所で。



 電話だったら一階でもいいじゃないか。そんなに聞かれては不味い内容なのか。駆け寄ってくる俺に気付いた久内刑事は携帯を仕舞って、「何を息せき切っている?」不審者をみるような眼、というのはどうでもよくて。



「あ、あの。これを……、見せたくて」



 先ほどのメールに添付された画像を見せると、彼は眉間をわずかに筋収縮させた。そうとうイラついている証拠だ。もしくはストレスだ。そんなことはどうでもいいから早く警察には動いてもらわなければならない。



「彼女を知っているのか?」



 久内刑事は仕舞った携帯電話をもう一度取りだす。



「先ほど話した藤井……、いいえ、小山内玲奈です! たぶん監禁状態にある。殺されるかもしれない!」

「判った。彼女の捜索に人員を回すように伝える」

「急いでください。あっ、この会場に妹の玲威さんも来ていて、玲奈さんと会う約束をしているそうなんです」

「彼女も狙われるかもしれないな。キミは急いで小山内玲威の安全の確保をしろ。小山内家が今回の事件と関係があるかは判らない。仮に関係ありと考えた場合、複数人もしくは組織的な犯行だ。この人混みに仲間が潜んでいることも否定できない。ありとあらゆる最悪の事態を防ぐべく、早く行け」



 元来た道を引き返す。背後で久内刑事が小山内玲奈の捜索を強い口調で命令していた。一階の下駄箱で常盤さんと神崎さんを見かけた。彼等が俺を呼んでいたようだけど足を止めている猶予は無い。



 玲威さんには東儀さんが付いている。それにこの人混みだ。いくら犯人の仲間が潜んでいても迂闊に手を出せるはずもない。



 電話で東儀さんを呼び出す。



「あっ、センセ! もう、何処行っちゃったの。私はずっと心配してたんだけど。それとも退屈させちゃったかな」

「玲威さんは!」

「えっ、なに」

「東儀さんの近くに玲威さんはいるの?」

「あー、うん。隣にいるけど」



 ひとまずは大丈夫なようだ。東儀さんに玲威さんを連れて体育館入口まで来るように伝えると二人は直ぐにやって来た。ある程度の指示出しを終えた久内刑事もやってきて、「小山内玲威さんだね。松戸警察署の久内鳴海と言います。キミに話を聞きたい」端的に伝えて先ほどの会議室へ連れて行く。玲奈さんと一緒にいた東儀さんを一人にさせるのも危ないと判断した久内刑事が彼女の同行を許可した。



 会議室には残っていた柴田先生、それと各々の理由で部屋を出た常盤さんと神崎さんも揃っていて、彼女たちを見るや怪訝な表情を同時に見せた。



「此方は小山内玲威さんだ」



 余計な事は言うな。久内刑事は常磐さんを睨んで黙らせると、二人分のパイプ椅子を新たに用意した。誰とも知らない男性陣に囲まれる少女二人は萎縮している。たぶん、常盤さんと神崎さんも刑事だと思っているのだろう。



 何かがあったから呼び出された。



 その何かを玲威さんは思い至ったらしく、「姉の……、玲奈のことですよね」黒みが強い灰の眼で一同を見渡す。



「どうしてここに師範もいるの?」



 隣に座った東儀さんがそっと耳打ちする。



「まあ、いいから」

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