第4話 作家師弟4

 昼食を済ませたら海津原さんはさっそく仕事に取り掛かると帰ってしまった。情報屋がどこから情報を仕入れるのか興味はあるものの、きっと企業秘密の一言で突っぱねられる。できれば今後の彼女からは血生臭い情報ではなく、美味しい店の情報などを聞き出してみたいものだ。



 友人の死に何もできない歯痒い気持ちがあっても務めて平静を装い見せる。自分の立ち位置を自覚して自分ができることをする。皿洗いをしている東儀さんに背を向けながら彼女の時代小説に目を通すことがその一つだ。これが自分の立ち位置で日常だと言い聞かせながら物語を追っていく。



 お取り潰しとなった藩主の娘が売られ、彼女を身請けするべく悪党を斬って金稼ぎをする浪人の話だった。恋愛要素を強く交ぜた時代小説のようで、しかし読み進めていくうちに官能的な表現が増えてくる。男性のあれこれや女性のあれこれが事細かく書かれているのはどうしてか。



――東儀さんはどこからこんな知識を?



「東儀さんは欲求不満なの?」

「え、なぁに? ごめん、水の音で聞こえなかった」

「いや、いい」



 ただし文章のリズムや言葉選びは若者的な感性を活かしていて読みやすかった。ボールペンで誤字の箇所に印をつけ、誤った言葉には訂正を入れておく。それくらいしか自分にはやってあげられることはない。



 読み終わる頃に彼女は茶を淹れて戻ってきた。原稿用紙を返して、「まだ若いから本を読めば言葉を直ぐに吸収できるよ。本を読んで無駄なことなんて一つもないんだ。俺はSFしか読まないから他のジャンルにはとんと疎いけど、東儀さんは多様なジャンルを読んで作品に取り入れてもいいのかもしれない」そんなの当たり前だ、と突き返されそうなアドバイスにも、「はい!」と素直に返事をする。



「一つ聞いていいかな。どうして身分違い……、いいや、お取り潰しになったから身分なんて意味ないか。まあ、その、時代小説に恋愛話を取り入れて書こうと思ったの?」

「え、だって、囚われのお姫様を救い出すのは王子様の役目って古今東西でお決まりだから。それに主人公を浪人にしたのは、顔良し、家柄良し、財力良しなんてありきたりでつまらないし、好きじゃないんです、私。こういうパッとしない人が頑張るから話も盛り上がるんじゃないですか?」



――囚われのお姫様、ね。



「まあ、確かにそうだね。東儀さんの言う通りだ。作中の斬り合いは想像で? 俺もそういうシーンは想像しながら書くんだけど、なかなか、ね。そうそう、想像している時って書いている時より楽しいよね。おかげで想像だけで満足しちゃって筆が進まないのは悩みの種なわけで、迫る締め切りには不安の種が元気に芽吹くんだ」

「想像で満足しちゃうのはよくあるなぁ。私は現実味を持たせるために道場で剣術を学んでるんだよね。休憩中に流派とかそういったのを道場の先生に聞いて勉強してるの。偉いでしょ!」

「ああ、それで……、なるほどね。東儀さんって本当に行動力のある子だね。俺には剣道なんて真っ当な剣術は無理だな」

「剣道じゃないですよ。実戦剣術っていうやつです」



 実戦剣術は剣道とどう違うのかは曖昧な想像で区別は付くが、明確な違いはわからない。ただ、彼女が休日に原稿を持ってきたり、遊びに来たりするときは胴着姿の方が私服姿より比率が多い気がする。白衣に黒袴。肩には長い竹刀袋を掛けている。中身は木刀なので、やはり竹刀を使う剣道とは根本が違うのかもしれない。



――剣術なんてよく自分から打ち込めるものだ。



 彼女に感心しながらしばらく黙って茶をすすり、東儀さんの小説の今後について耳を傾けていた。将来は戦国物も書きたいとのことらしく、石田三成について調べているようだ。歴史に興味なくても名前くらいは知っている有名な武将だろう。天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いで毛利家に代り西軍を率いて東軍徳川勢と合戦を繰り広げ敗北した人物、くらいしか知識はないが。



「石田三成のような人と結婚したいなぁ。真面目で堅物だけど、友人想いで気が利く人ってグッとくるんだよね」

「そう」



 そんな人物と一緒に居て楽しいものだろうか、と少し想像を巡らせるが、俺は気まずくなって一日と持ちそうにない。



 俺も三十半ばと言い年齢だ。周囲の友人はもう何人か結婚して家庭を築き、人並みの幸せというものを享受しているが、俺にはその人並みの幸せというものに理解を示せない。家庭を持てば自分で使えるお金も時間も制限が掛かり、家族を食べさせなくてはならないという責任が常に重くのしかかって窮屈に思えるからだ。そのデメリットに見合うメリットを見出せればまた考え方もかわるとは思うが。自分の人生は自分の物であるのは当然のはず。周囲からそれを身勝手な責任逃れとか、可哀想で寂しい人生と口にされた事も多々あった。



 そういった自分とは異なる価値観を、社会の少数勢力を間違っていると非難するのは、個人の尊重を蔑ろにしているのではないだろうか。同性愛だっていいではないか、自分の性別の認識が異なっていてもいいではないか。フワフワとした思考が際限なく自由に広がりながらある問題に帰結した。



――人を殺すことは人の敷いた倫理に反しているけど、個人の価値観や主張によるものだった場合であっても非難されるべきなのか?



 頭を振るい、放任して飛躍し過ぎた思考を断ち切って意識を現実に戻す。いまは平成の世だ。戦国時代でもなければ世界大戦時でもない。人を殺して賞賛されていい時代ではない。



――ああ、本当にこの飛躍癖はどうにもならないな。



「東儀さん。何の話だっけ?」

「また、そうやって人の話を聞いてなかったんだ。センセは学校で注意散漫とかって通知表に書かれたでしょ、絶対そうだ」

「書かれた事さえ覚えていないよ。あ、でもね、科学と社会の成績だけはとても悪くて、期末テストも用紙に名前だけ書いて寝てやったことがある。それも自分の名前じゃなくて、前の席の奴の名前を書いて提出した」

「なにそれ。すごく面白い話だけどその後どうなったの?」

「目の前の奴は頭が良かった。全教科ほぼ毎回満点を取っていてね。彼の成績がどうなるか試してみたんだよ。テスト返却の時に先生はクラス全員にこう言ったんだ、このクラスには天才の青島時也君と頭の悪い青島時也君がいるらしい、ってね。しばらくはクラス中から頭の悪い方の青島君を呼ばれて過ごしたよ。青島君もそれが面白かったらしく、一緒になって俺をそう呼んだんだ。あの時は流石に嫌になって一週間学校を休んでやったのはいい思い出だ」

「意外と子供みたいな事してたんだ。親近感が湧いたかも。両親に怒られたでしょ」

「親はそんなことに興味なんてしめさなかったよ。まあ、俺も子供だったからね。いまは大人だ。責任逃れに忙しい現代のダメダメな大人さ」



 自虐的ではあるが努めて自然に笑って見せた。彼女の眼には今の自分がどう映っているのか。よく小説や漫画で目の前の人物の瞳に映る自分を見るという表現があったが、あれはどういった理屈が働いているのだろう。鏡のように綺麗な眼なのか、もしかすると最新技術を用いて鏡のような機能を備えていた眼なのかもしれない。あまり好きではないが、恋は盲目なんていうむず痒い言葉を思い出した。恋は一種の病だ。それも難病だ。そんな病魔に侵された者の眼はこの世界がどのように見えているのか実際に聞いてみたいし、見てみたいと常々思っている。



――それは叶わないか。戦う前から逃げ出すような人間ではね。



「まぁた、センセは変な思考に意識が飛んでるよ」



 目の前を見ているつもりでも視覚的情報が遮断されていて、目の前で手を振るう東儀さんを今になって気付いた。



「今度は何を考えてたの、私の事だったりして?」

「恋は盲目。幻想病に侵された人とそうでない人では、同じ世界がどうのように違って見えるのかなって」

「卑屈すぎぃ!」



 恋は盲目。一つに注意を奪われて他一切を自分の世界から隔絶させてしまう。そういった理由で犯罪に走る病人もいる。風邪のように処方薬でどうにかなるような病気ではないのは不治の病なのかもしれない。



――まったくもって傍迷惑な病ではないか。



「あれ、東儀さん。そろそろ道場に行かなくていいの?」



 壁がけ時計が午後三時を指していた。



「あ、あ、あぁ!? やっばい、もう行かなきゃ。えっと、残りはタッパーに分けて冷蔵庫に入ってるから、お腹空いたら温めて食べて!」

「まるで仕事に行くお母さんのようだね。迎えに行くから、えっと、十八時くらいだっけ?」

「それくらいに終わると思う……、けど。でも、いいの? センセだって忙しいのに」

「東儀さんの稽古が終わる前まで仕事してるから問題はないよ。息抜きも兼ねて送り届けるだけだから」



 茶目っ気なウィンクをした東儀さんは布袋を肩に掛け、大慌てでドアを開け放って階段を慌ただしく降りていった。



 アラームをセットした携帯電話を傍に置いてさっそく作業に取りかかるが、直ぐに集中力が途切れて思うように執筆が進まない。こういうときは作業から離れて頭からも物語を追い出す。



「まあ、まだ締め切りまで時間があるからいいけどね」



 少し外に出てみた。行くところもないけど家に籠もってばかりでは身体も鈍ってしまう。東儀さんは俺を引き籠もり気質だと思っているかも知れないが、深夜によく散歩にでかけるし、日中も近くのレンタルビデオ店まで足を運んだりする。



 ふと思い至って元山駅で切符を買った。松戸方面のホームに降りるとタイミングよく電車が停車し、常盤平駅までそのまま揺られていく。



 改札を出てから線路沿を八柱方面へ歩いて行けば21世紀の森の公園がある。まだ開園している時間だ。自然に囲まれた広い公園。とくに遊具とかがあるわけでもないが、園内には広い池や花園、竪穴式住居なんかもあって、ピクニックやちょっとしたスポーツくらいなら楽しめる市民の憩いの場として重宝されている。子育て世代ならなおさら都合のいい公園に違いない。



 車の騒音を喧しく響かせながら公園を跨ぐように掛かる大橋の高架下。黄色いテープで隔離された区画には鑑識や警察官がまだ現場調査をしていた。その中に見た顔があった。向こうも此方に気付くとゆっくりと規律を重んじるような足取りでやって来て、「降旗さん……、でしたね。何をしに?」狐のように細い顎と眼、抑揚はないが威圧的な声。松戸東警察署に出向いた際に対応した、確か久内くないと言う刑事だ。



「村瀬君の遺体は見ましたが、殺害現場は見ていなかったので、見ておこうと思ってね」

「悪いが一般人には見せられない」

「ここからでも十分です。遺体はあそこに?」



 首の無い遺体が御座の上で自身の血を溜めた壺を大事そうに抱える、という異質な有様であったことを彼から聞いた時はゾッとした。



「まるで宗教的な儀式にも思えますね。警察の捜査は進展していますか?」

「一般人に話せることはない。だが、必ず罪を侵した罪人は捕まえる。それが警察の仕事だ」

「お仕事中にすみませんでした」

「いや。村瀬牧人について何か知っている事はないか?」

「此方の質問には答えて頂けないのに、ですか?」



 久内刑事の眉間に寄った皺は意識的なものか、「話したくなければ構わない。彼の繋がりから犯人を特定する近道にもなることもある。ただそれだけだ」これで第二第三の被害者が出たらお前のせいだと責めているように聞こえたのは被害妄想か。



 参ったと両手を軽く挙げ、「ある筋の人に事件の情報収集を依頼しています。此方が得た情報を久内刑事に流すことを約束しましょう」友人の殺害現場で不謹慎なのは重々承知していたが、「警察が仕入れた情報を極秘に流して頂けませんか。もちろん他言はしないと誓います」警察との駆け引きに胸躍っていた。海津原さんに情報を集めて貰うのは警察に交換条件を持ち込む為だ。



「これが俺の番号だ。情報を得たら直ぐに報せろ」



 携帯電話を開いて互いの番号登録を済ませた。



「刑事さんは剣道ですか?」



 携帯電話を持つ彼の手の皮は厚く、竹刀ダコのようなものを幾つか見た。警察は柔道か剣道を専攻して、警察官同士の大会なんかも開かれていると聞いたことがある。



「剣道の実力者なら首を刎ねられるものですか?」

「剣道は己を磨くスポーツだ。首を切り落とす技量は磨かれない。間違っても剣道家にそんなことを聞くな、侮辱されたと捉えられる」

「そうですね。すみません、失言でした」

「そういう降旗さんも作家にしては、ずいぶんと逞しい手だな」

「ええ、そうですね。よく言われるんですよ」



 彼はもう一度俺の手を一瞥してから、「現場の指揮をしなくてはいけないので、これで失礼する」会釈した久内刑事はまたテープの中へと戻った。



 気まぐれに事件現場を見に来ただけだったが、まさかここで警察と繋がりを築けるとは思わなかった。



 園内を改めて見渡すと原っぱが広がる気持ちの良い場所だ。殺人事件なんてなければ今頃は子供を遊ばせに主婦達で賑わっているはすだが、いまは警察を除いてガランと寂しく異様な光景だ。

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