第3話 作家師弟3

 美容院にセンセをお任せしてから近くのスーパーへ。休日の開店間もない店内の雰囲気が好きだった。野菜売り場でキャベツとトマトをカゴに入れながら精肉売り場を視察。豚バラ肉を手にして、「お客さんの分も作っておいたほうがいいよね」残るようであれば夕食になるだけなので少し多めのパックをカゴへ放る。



 アパートを出る前に覗いた冷蔵庫には呆れて溜息をつきたくなった。というか、盛大についてしまった。酒缶とつまみとジュースしか入っていないダメ人間の在庫事情。立派な大人ならもう少し自炊とか栄養に気を遣うべきなのではないだろうか。



 少し重くなるが大きいサイズの麦茶を一本、細腕にずしりと籠の持ち手に食い込ませながらレジに並ぶ。



 だいぶ買い物を楽しんでいたようだ。美容院に預けてから三十分くらい経っていた。センセとはスーパー入り口で待ち合わせをしている。もう切り終わっているかもしれない。バッサリ切っていたら、気付かないフリをしてみようか、と悪戯心が掻き立てられていく。ワクワクしながら入口を出ると、ボーっとした顔で空を見上げるセンセの姿。



「ねえ……、センセ」

「ああ、買い物は終わったんだね。荷物は持つよ」



 髪をジッと睨みつけながら様々な角度から見上げて、「本当に切ったんだよね? お金払って切ってきたんだよね」見た目何処も変わっていない長めの髪を指摘する。「お金を払ったんだから切ったよ。ほら」センセは前髪と耳辺りを指さした。



 よく見れば目を覆っていた髪はまつ毛にかぶさるくらいには短くなっていた。完全に隠れていた耳も下四分の一くらいは出ている。こんなのパッと見でわかるはずもない。ちょっと難しい間違い探しをぱっと見でわかれというほうが無茶難題ではなかろうか。



「もっと切らなかったの? もったいない」

「切ってもまた伸びるし」

「理解のできない言い訳は言い訳として成立しないでしょ」

「かもね。たまたま東儀さんが理解できなかっただけで、他の誰かは理解してくれるかもしれないよ。確率論だね。テレビ番組でもよく国民に聞いてみた、みたいな統計を取っているけど、結局はその時に聞いた人の考えによるんだ、こういうのって。それかテレビ側が世論を誘導するように雇ったエキストラか。民主主義ってなんだろうね、と考えるときがあるよ」

「それって……さ、村瀬さんの首を切断した犯人の言い分も理解できる人がいるってこと? 大勢が理解できたら許されるの? そんなの認めない。私は許せない」

「仮に理解できたとしても殺人は罪だよ。人の敷いた倫理や道徳に背いた者には、人の定めた罰が適応される。というより、話の論点がズレてるよね、これ」



 ビニール袋を押しつけると、「これくらいだったら自分で切れたかな。余計な出費だったかも」肩を落として誤魔化すように笑った。



 アパートの階段を上がると扉に背中を預ける見知らぬ女性が一人、此方に気付くと、「久ちゃんがお出かけなんて珍しい。そちらの子が言っていたお弟子さん?」長い髪をポニーテールに結った女性がやんわりと微笑んで手を振った。



「初めまして、ぼくは海津原みつはら梢子しょうこです。都内の大学に通いながら、杉並区で情報屋という仕事をしているの」



 落ち着いた余裕のある柔らかな声。彼女は一枚の名刺を差し出してきた。受け取り方も分からずに卒業証書を貰う様にして受け取った。



 職業名、名前、電話番号だけが書かれていた。



「東儀沙穂です。センセのお客さんって海津原さんの事ですか?」

「ぼく以外にはいないはずだけど。久ちゃんにそうそうお客さんなんてこないのは調査済みだから。この間ね、面白い情報を提供してもらっちゃったから。で、その情報が確かだったから報酬を振り込みじゃなくて、手渡しするためにわざわざ千葉県まで足を延ばしたわけなの。凄く貴重だったこともあるし、ぼくからの気持ちも含めて、ね。それと……、沙穂ちゃんのその格好ってコスプレかなにか?」



 ブーツに袴姿の私を頭から足先まで往復して見て首を傾げた。このあと道場の稽古がある事を伝えると、「東儀さんは時代作家になりたいそうなんだ」センセがニヤリと笑って付け加えた。



「へぇ、剣術に自信ありなのね。あ、忘れるところだったわ」



 実際に初めて見た茶封筒での現金渡し。それなりに分厚く、「ぼくからの気持ちも上乗せ。この想いは、重い?」その重みにほくほくと顔を綻ばせ、「だいぶ重い、想いだね。いや、俺としてはありがたいよ」上着のポケットにしまうセンセ。私の時代劇が大部分を占める思考は、お代官と越後屋のやりとりと重なって見えてしまう。



 女性二人で男性宅へと上がこんで、時計を見るとまだ十時を過ぎた頃だった。昼食にはまだ早いので海津原さんとセンセの関係について、何か面白いネタにでもならないかな、という軽い気持ちで聞いてみた。



「初めてだったの。ぼくから情報を買う人で、この近くにある美味しいラーメン屋の場所を聞いてきた人。面白い人だったから連絡先を交換して、情報の売り買いをしたりしてる関係かな」

「高円寺なんて行ったことなかったし、ラーメンが食べたかったのに携帯の充電も切れてラーメン屋の情報が分からなかったんだ。話しかけやすそうな子に聞いたら、情報屋だっただけだよ」



 センセは直ぐに顔つきを変えた。今までに見たことの無い、否、四日前の駅改札口から出てくる際に見せていた思い詰めた顔で、「首切り事件を知っているね。21世紀の森の公園で殺された被害者は俺達の知り合いなんだ」切り出した声が段々と低くなっていく。「犯人に繋がる情報を集めるのは構いけど。でも一般人が情報を手に入れてどうするのかしら? まさか、自分で犯人を捕まえようなんて考えてないでしょうね。それとも……、殺すの?」訝しむ祥子さんはセンセの返答によっては依頼を受けないと姿勢で示した。



「俺は村瀬君の遺体を見てきた。帰り際に警察から事件と関係ないものとして返されたのが、これだ」



 三人で囲む小さな丸テーブルに数十枚の原稿を乗せた。その何枚かには乾いて茶色く変色した血痕が付着している。その中の一枚を一番上に乗せて点々と付着している血痕を指さす。



「これがどうしたの、センセ。犯人に繋がるものには見えないけど」



 警察が証拠品としての可能性がある品を返還したものだから、事件の手掛かりにはなりえないと判断されたのだろう。しかしこの一枚の原稿用紙に付着した血痕が不自然だとセンセは言った。



「他の物を見てくれ。ほとんどが左半分にべったりと血が染み込んでいる。もちろんこの原稿にもね。書いた本人だから分かるんだ。この原稿はちょうど真ん中あたりに該当する。それなのに、どうしてこの原稿の右側五箇所、狙ったようにマス内に合わせて血の跡があると思う?」



 祥子さんと頭を突き合わす距離で原稿を覗き込んだ。確かに右側にはちょうど原稿用紙の一マスが塗り潰されているのが五箇所ある。その規則性の無い血の付着を見て私たちは首を傾げた。



「罪人後六人」

「え、それって……」



 二人して同時にセンセを見た。二人の視線、女性から見つめられることに慣れていない、シャイなセンセは原稿用紙に視線を落とし、「書いた本人だから分かるんだよ」腕を組んで、「これは偶然なんかじゃない。付くはずの無い用紙に血が、それも罪人後六人だなんてあからさまに誰かの意図がなければ不可能だよね。誰が考えてもわかる。警察はこの用紙がどのページか分からず、付着した箇所の文字も分からないから、事件とは関係なしと判断したんだろうね」そこで私たちを見た。



「首を切り落とされた牧瀬君には不可能。つまりこれは」

「犯人からのメッセージ!?」

「それって後六人の人間が死ぬって言いたいわけね?」

「ほぼそう考えていいと思う。犯人が何を考えて、何を訴えたいのかは俺には想像も付かないけど、人が死ねば身近な人の悲しみは理解できる。このことは警察に知らせるべきだろう」



 このメッセージに、「ちょっと待ってよ! 罪人ってどういうことなの!? 村瀬さんは罪人なんかじゃないよ!」違和感に思い至って声を荒げていた。



「俺は村瀬君の個人的なプラーベートまでは知らないよ。俺が知っているのは、俺と、俺達と関わっていた部分の村瀬牧人という側面だけ」

「よく……、よくそんなこと言えるよね。一緒に居れば、その人の人間性だってわかるよッ!」

「落ち着きなよ。じゃあ、聞くけど。俺のことわかる?」

「それは……」



 ギスギスとする空気を作ってしまい、問いに返せずに視線を落とした。こんな空気に変えてしまった本人ではどうすることもできない。タイミングを見計らった祥子さんがパンと手を叩き、「六人が殺される可能性があるのは分かったわ。でも、ぼくが久ちゃんに情報を売ってあげるに足る理由にはなっていないでしょう。売った情報で何をするのか、ぼくが聞きたいのはその一点」話の路線を戻した。



「俺は創作上の敏腕刑事や名探偵みたいに事件を考える職業じゃなければ、自分で組み上げた謎を登場人物達に解かせるミステリー作家でもない、ただのSF作家だよ。自ら事件に首を突っ込むなんて酔狂な好奇心は持ち合わせていない。キミに情報集めをしてもらいたいのは、警察にその情報を流して新たな犠牲者を出す前に犯人を捕まえてもらいたい、それ以上でも以下でもないのは確かだね」

「そういう事ね。なら、ぼくがその情報を全力で集めてあげる。千葉県かんかつがいだからなかなか情報が集まりにくいと思う。でも、大好きな久ちゃんの頼みですからね。まあ……、半人前の仕事だから期待しないで。最悪の場合は兄貴に情報を提供してもらうから」



 話題の外側にいた私は小さく挙手し、「犯人はセンセの原稿を一枚一枚読んで、そのワードを探したってことだよね。だとしたら、どうしてわざわざそんな回りくどくて、警察には伝わらないメッセージを残したんだろう。どう考えても変だよ」二人は唖然とした表情で私を見る。再び顔を合わせるようにテーブルに乗った原稿用紙へと視線を落として唸り始めた。



「ここにある原稿は全部で四十三枚。俺の記憶が正確であった場合、一枚の原稿用紙に罪人後六人という単語が書かれているのはこの一枚だけのはずだ」

「確かに変ね。もしぼくが犯人なら今後の殺害予定なんて教えない。仮に警察に対して挑戦的な意図があったとしても、原稿用紙の文字を潰しては意味がない。被害者の血とかで地面や身体に書いたほうが正確だし狂気的に伝わる」

「もしかして、ですけど」



 とっさに思い付いた考え、「これはセンセに対しての挑戦とか、だったり?」口にした私の言葉を冗談と流さない二人の顔は、真面目にその仮説について考えている様子だった。



「俺は誰かに恨まれるようなことはしていない。決してだ、神に誓ってもいい」

「SF作家も神様の存在とか信じるの?」

「俺は科学の信奉者じゃない。ただの作家だ。神社に初詣もいくし、お盆には墓参りもする。神や幽霊だって人並みくらいには信じているつもりだよ。真夏の心霊番組の後は浴室の鏡面を見たくはないくらいにはね」

「本人の知らないところで、恨まれていたり、妬まれていたりするものなのよ。えっと、沙穂ちゃんは私から妬まれていると思う?」

「え、いえ。だって初めて会ったばかりですし」

「ほら」



 自分で表情が瞬間的に引きつったのを自覚した。



「え……。私、祥子さんに何か恨まれるようなことしました? この短時間で」

「大好きな久ちゃんにこんな可愛い女の子がいると、なんか取られた気分に……、って冗談。そんなに本気で気まずそうな顔しないで」

「そんなにってことは、ちょっとはってことですよね?」

「んー、どうかしら。久ちゃんってこんなんでも可愛いし」

「こんなん……」



 肩を落として不満を主張するセンセを一瞥してクスクスと笑う祥子さん。この女性がよくわからなかったけど、確かにちょっと面白い人だという好印象は持てた。



「沙穂ちゃんの眼の付け所はいいと思う。わざわざ原稿用紙だけ残して他の物は盗っていったんだから。犯人は久ちゃんの身近でなくても、関わりのある人の可能性もあるわね。よし、ぼくはどこらへんから情報集めをするか決まったし、そろそろ仕事でもしにいこうかしらね」

「あ、これから豚丼を作るのでよかったら食べて行ってよ。材料を多めに買っちゃったから」

「女子高生の手料理が食べられるならもうちょっと残ろうかな。その間にもう少し詰めておきますか」



 浮かせた腰を下ろして鞄からメモ帳とペンを取り出すと何かを書き始めた。彼女の開いた鞄には紙の束がクリップで纏められているのが見えたのは一瞬、それを隠すように鞄は閉じられた。



「企業秘密がぎっしりなの。ごめんなさいね、情報はお金だから」

「私の方こそ盗み見るようなことしてごめんなさい」



 頭を下げてから断りを入れて台所に立つ。私の女子力を唯一見せつけられる戦場だ。同時進行で作業できる二口コンロなのはとてもありがたい。片方で肉と玉ねぎを焼き、もう片方でタレを作ることができる。塩だれと醤油だれで悩んで二人に好みを聞いたら、「醤油だれで」声を揃えて返ってきたので醤油ダレに決めた。

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