第5話 首切り祭儀1

 21世紀の森の公園から帰宅したが、どうにも書きたい意欲が湧かずにダラダラと過ごし、日が沈む前に東儀さんを道場から自宅マンションまで送って今はその帰路の途中、普段は鳴らない携帯電話が振動した。通話ボタンを押してから耳元へ持っていくと、数時間前に聞いた声が含みを持たせた調子で話しかける。



「五時間ぶりくらいに久ちゃんの声が聞きたくなったの」

「それで何か用?」

「随分と冷たいのね。ぼく、泣いちゃいそう……。まあ、冗談はこれくらいにして、事件の事で一つ分かったことがあるから報告よ」



 彼女の行動力と情報収集能力に敬服しつつ、聞き洩らさないように大通りを避けて一本外れた道へ移動する。マンションに挟まれた道は人の往来も多いが、車がひっきりなしに通る道よりかは静かだ。



「それで、何が判ったの?」

「この情報は信憑性が高いわ。えっと、牧瀬さんね。彼の異常な殺され方に類似する儀式……、というより祭儀があるの」

「首を刎ねるなんて、現代で行われているはずないよね」

「そうね。昭和初期までは村全体の罪汚れを贄として選ばれた人間に被せて、首を刎ねることで一年の罪を祓っていたそうよ。現代では人形を代替にして行われているみたいなの」



 一枚の御座を敷いて人柱となった贄を座らせて刀で首を断つ。ここまで聞けばただの斬首刑との相違点が見つけられないが、飛び散って出来た血の模様で次回の贄を選定していたという。落とした首には罪汚れを思考する脳が収まっていると考えられていて、祭儀を執り行った神主が人柱の血液を溜めた壺に頭部を蓋代わりに社の中で一年間安置する。一年を終えた首は罪の浄化を認められ、肉を焼き、骨は細かく砕かれて川に流される。これが毎年執り行われていた祭儀の流れらしい。



 聞いていて吐き気がしてくる。選ばれた者は何も悪い事をしていなくても、村全体を清めるために殺される。都合の良い人柱だ。そんな歪んだ風習が形を変えてまだ根付いているということが悍ましい。時代は平成に年号を移して五年も経つというのに。まるで戦前や戦後間もない昔ながらの価値観に囚われた時代だ。



「それって簡単に調べれば見つかるようなものなの? そういったオカルトじみた案件の番組とか観たことあるけど、紹介されてた記憶がないな」

「地方の秘匿とされている祭儀らしくて、調べて見つけられるようなものでもないみたい。関係者数名が集まって執り行われてるみたいだし」

「千葉県は管轄外じゃなかったの?」

「頼りたくなかったけど兄貴から情報を買ったの。妹に情報一つで三十万も支払わせる非道な兄だけど、あっちは情報屋世界で知らない人はいない名の売れているプロだから、信憑性はあるわ」

「今度、三十万円は支払えないけど、きっと何かで恩返しはするよ」

「兄貴に言われたの。世の中には知らないでいたほうが長生きできる情報もあるって。この情報はそういう類いに近いって。それで、もし、だけど……、本当に情報を素早く集めたいなら、兄貴の連絡先を教えようか?」

「この事件はそういった危険なもの、と忠告してくれたんじゃないかな。優しいね、お兄さん」



 電話の向こうから大きな溜息が聞こえた。彼女もそんなことを言われて正直悩んでいるのかも知れない。あと六人の人間が殺される事件だ。自分の情報で救える命もあれば、力不足で救えない命もある。自分の働きによって天秤は如何様にも傾いてしまう。なにより深く関われば自分の命さえ天秤に掛けてしまう危険性もある。此方としても無理強いはできないし責任なんて取れるわけもない。



 これまでに何度も危ない情報をやりとりしていたと語ってくれた彼女だが、どうしてか今回は気乗りしない様子が窺えた。



「そのお兄さんなら情報は直ぐに集まるの?」

「兄貴は日本で……、ううん、世界で一番の信頼と稼ぎのある情報屋なの。国内外問わず社会の表から裏までの情報に精通しているみたいだから、地方の祭儀や今回の事件の情報集めなんてお茶の子さいさいよ」

「その分、要求される対価が大きそうだね」

「それはそうよ。兄貴の扱う案件は一件だけでも何百何千万という大金が流れるの。私の扱う案件なんかとは比較にならないわ。それで久ちゃんのことを話したら、向こう次第で、あとは直接会ってどうするか決めるって言ってた」



 俺のことを話したのなら売れないSF作家だということも知っているだろう。作家の稼ぎなんてよほどの売れっ子じゃなければ一本で生計を立てるのは困難な職業。それを承知していて会ってから決めるとまで言ってくれたのは、俺に何か支払える対価を見出したからだ。



 個人的には事件を解決して欲しかった。村瀬君の無念を晴らしたいと思うのは残された人間、生者の自己満足なのかもしれない。あと六人の人間が殺されることは判明している。第二第三の被害者を生まないためにも早期解決を望んでいる。なにより、このままずるずると捜査進展が無ければ東儀さんが独断で行動しそうな予感があるからだ。



「お兄さんを紹介してくれるかな。あと、祥子さんにも可能な範囲で情報の収集を頼みたいんだけど。もちろん危険だと判断したら手を引いてくれて構わない。それだけ俺も色んな情報を得たいんだ」

「うん……。久ちゃんに頼まれたら頑張るしかないわよね」



 祥子さんのお兄さん、海津原聖人みつはらせいとの連絡先をメモに記した。多忙な人物だそうで、なかなか予定を開けるのが難しいかもしれないと祥子さんは言っていた。



 自宅に帰ると教えられた番号へと早速かけてみる。



 意外にも早くコール音は途切れ、「依頼の電話かな、降旗久七先生」愉快そうな、相手を格下に見ていそうな調子の若い男性の声。電話番号と名前をあらかじめ祥子さんから聞いていたのだろう。



「千葉県松戸市で起きた首切り事件の事で、情報の提供をお願いしたいんだ」

「僕は引く手数多でね。一つの案件を蹴れば、低所得の作家さんの一生分以上の大金を逃すことを承知で電話を掛けてきたわけだよね?」



 落ち着いた祥子さんとは対照的で挑発的な嘲笑う態度に一瞬だけ言葉を失った。ここで怯んでも双方に利益はなく、むしろ相手は貴重な時間を割いてくれているという認識を持ち、「俺に何か支払える対価があると踏んだから、妹さんを介して俺に連絡をさせたんですよね」丁寧に答えた。



「僕の煽りを受けても客観的に物事を見落とさずに分析できる能力は、流石は作家先生といったところかな」

「煽られても俺はなんとも感じないだけだよ。確かにちょっと驚いたけど。ストレスから脆弱な精神を守る防衛システムか、もともとそういう風にプログラムされているのかもしれない。今の俺がロボットじゃなければ、きっと宇宙人に攫われて改造を施されたんだね。記憶が曖昧な幼少期の頃にでも」

「馬鹿妹が言っていた通りの面白い人間のようだ。キミに払える微々たる金銭に期待なんかしていない。合理的な判断ではないけど、この事件に関わることが……、いいや、キミに関わること自体が何千万という大金に釣り合うかもしれない、そう思ってしまったんだ」

「それは光栄なことだね。妹さんにはいつもお世話になっていて、何度か海津原君の話は聞いていたんだよ。是非とも会って話してみたいと常々思っていたんだ」

「類は友を呼ぶなんていうからね。僕と同じ匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。壊れた人間が虚構に溺れ苦しむ匂いが、ね」

「面白い表現だったよ、今の。是非とも小説で使わせて貰うよ、まあ使える場面があればの話だけど。でも、それってどういう意味?」



 三日後に会う約束を取り付けた。わざわざ東京都中野区からこっちまで足を運んでくれることとなった。



 海津原さんが言うように性格や口調に難ありではあったが、別段、彼が悪い人間であるようには思えない。海津原君、いや、聖人君が俺のどこら辺に何千万と同価値を見出したのかは教えてくれなかったが、期待を裏切らなければいいな、という思いはある。彼の前で変に演じる必要もなければ、盛大にもてなす必要も無いだろう。いつも通り東儀さんや村瀬君に接していたありのままで迎えるだけだ。



――そもそも演じるなんて高度な真似事は不得意だからね。



 登場人物たちを書く際には本当に実在するかのように見せたい、そういうリアルさを求めてしまう。彼等の性格や思考を持った自分をイメージして書いていくのだが、これは演じているのではなく、彼等を自分にトレースしていると表現したほうが適当だろう。登場人物が自分の身体を借りて思考し、動いている。すると自然とキャラの人間性が見えてくるのだから面白い。



 登場人物の上手い書き方について東儀さんに問われた際にもそう答えた。「それって、憑依されちゃってるよね?」腹を抱えて大笑いされた。「私もその方法でやってみようかな。私に宿った登場人物を通して何か見えちゃったり、しちゃったりするかもしれないし」今でもその手法で登場人物たちの心情や葛藤といった人間臭さに触れているという。



 彼女の小説の人物達はよく動きよく悩む。逆に俺の作品の登場人物といえば人間臭さを排した、どこか無機質な印象がある。達観した、というより諦観してしまったか、それとも心を徹底管理されてしまっているかのような冷たい印象。



 作者の人間性が自然と登場人物たちにも影響を与えてしまっていても、ここまでの差がでるのか、と彼女と自分の作品を見比べて驚愕した。



 作品にアンドロイドや機械ばかりを登場させるのは、確かにそういった世界観が好きだというのも理由だが、最たる理由はそれしか書けそうになかったからだ。



 たとえば無気力な主人公と見目麗しいが心に動きの無いヒロイン達でラブロマンスを繰り広げて何が面白いのか。恋や愛という不確定で曖昧な感情の些細な波紋。主人公を取り巻く環境や人間関係のアンバランスな匙加減にヤキモキしつつも、結ばれるヒロインやそうでないヒロインに同情や歓喜して楽しむ世界ジャンル。まず自分が手を付けていいものでなく、それこそジャンル違いな異世界でしかない。



 SFばかり書く俺に他のジャンルは書かないのか、と疑問を呈してきた彼女は、「センセはきっと一点特化型なんだよね。私にはそういう一つに絞る強みとか無いから、あっちにフラフラこっちにフラフラなわけで。究極の一を探求する精神、あっぱれ!」意外な彼女の言い分は、「ジャンル違いなら、それはそれで自分なりに噛み砕いて取り入れちゃうのもアリだと思うし、センセはセンセのやり方があるわけで、非難されることでも、センセが悩むことでもないと思うんだけどなぁ。変わりたいなら、その時にでも考えて、各方面に手当たり次第噛みついてみれば、案外美味しかったりするものかもしれないよ」彼女に逆に教えられたこともあった。



 きっとあの子は大器晩成型なのだろう。知識を詰め込むのに時間は掛かるが、費やした時間以上の成果を開花させる。その時には一杯奢って貰おうと考えている。お互いにこれまでを振り返りながら思い出話に花を咲かせて、その頃には彼女もお酒を窘める程度には飲める口かもしれない。



――東儀さんは案外、おっさん臭いものを飲むのかな……、いや、彼女のことだから無理を通してでも日本酒にこだわるかも知れない。



 それは彼女が。



――侍作家だからね。



 自分でその場面を想像して吹き出してしまった。

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