第45話 別々のベクトルへ

 洋が骨折している間、僕は本当に退屈だった。

 女同士の友情は紙より薄いなんて言うけど、聡子は登下校、なるべく理央を喜ばせた。

 中学の時は仲が良かったというのだから、友情はすぐに元通りになったのかもしれない。紙より薄いというよりは、回転が速い。


 僕は一人、後ろからついて行くだけで、話にも加われないし、手も繋げないし、なんともつまらなかった。

 忘れていたけれど聡子と付き合うようになるまで、僕はいつもこの位置にいた。

 理央と洋の後ろ。

 背の低い二人を見下ろしながらなにかを考えていた。

 ――なにかを。

 理央の気持ちを百八十度回転させるなにか、そんなきっかけを待って、二人の話を聞き流しながら、いつか来るかもしれないその時に思いを馳せていた。


 今思えば単なるバカ者だ。

 結局、僕はどんなにキレイに言っても、親友の彼女を自分のものにしたいという欲望をずっと抱きながら、この坂道を上っていたんだ。

 そういうのを、簒奪さんだつっていうんだ。裏切り者に使う言葉だ。

 しかもそれを実際に実行しようとしたわけだし、なにかの罪に問われても仕方がない。

 あの一件で、まるで悪者扱いされたのは理央ひとりだったけど、元はと言えば、僕が理央にきっかけを作ってしまったんだ。

 彼女が心の奥にしまっておいたものを開けるきっかけを。


 いつから僕はそんなにモテるようになったんだろう?

 背が高いから?

 元バスケット部だから?

 そんな理由で好かれてもあんまりうれしくない。

 どうせならなにも知らないまま、僕の本質を見抜いて好きになってくれることはないかなぁと思うけれど。

 背が高くて元バスケ部だったのは動かしようのない事実だし、自分史に刻まれちゃってる。

 背が高いのは自分のせいじゃないし、バスケ部にいてもスタメンじゃなかったのに。


 それもまた自分ってことだ。

 皆が「好ましい」と思ってくれることはきっと、人生の中でプラスになるだろう。


 そんなつまらないことばかり考えて、冬を迎える。冷たい風に吹かれて、砂埃に目を瞑る。女の子たちが「きゃー」と身をすぼめる。

 木の葉が落ちて、カラカラに干からびる。もちろん風にも飛ぶ。

 それが冬だ。

 聡子の耳元に口を寄せると、キスしたくなる。唇からメンソールの匂いがする気がする。あの緑色のリップクリームが彼女の形良い唇を守っているのかもしれない。

 抱きしめる。

 彼女はクールだ。

「どうしたの?」と訝しい顔をする。

 僕は言う。

「なんでもないよ」

 その体の温かさより、耳の先の冷たさを愛しく思う。


 白のセダンを見かけなくなったのは、すっかり「冬」と明言できるようになった頃だ。

 まだ包帯に巻かれた左手は、着替えに適さないらしく気の毒だ。制服を着るのも一苦労らしい。

「まぁでも今までよりずっとマシ」

 楽観的な僕の親友はチャラっとした顔でそう言う。ここまでが本当に大変だったのかもしれないが。

 それにしても二年生のうちで良かったわね、というのが両親の見解だそうで、この遅れは三学期になんとかなるわよ、となにを期待しているのか露骨にわかるんだと憤慨していた。


 確かに、大怪我をした時くらい愛情をもって抱きしめられたりしたいものだ。


 じゃあ、うちの親はそうするのか、と聞かれたら······微妙な問題だ。

 命に関わるほどではなかったし、親も間抜けな子だと思うかもしれない。


 こうして僕らは一足す一は二、の二組の二人になった。

 僕はまた三角形の世界から無事に帰ってこられたというわけだ。

 洋は仰々しく「理央の相手をしてくれてありがとう」と言った。

 相手と言っても理央には理央の友だちが教室にはいるわけだけど、わざわざ頭を下げられたものだから聡子も丁寧に「どういたしまして」と頭を下げた。

 これもまたなにかの儀式で、なにかの区切りなんだろう。

 僕は隣で、理央と共に静観していた。

 理央は微笑みを湛えていた。


「三枝くんてうるさい男だなって前々から思ってたけどさ」

「前々から?」

「そう、度々うちのクラスに来てたでしょう? 最初は奏に会いに、その後は理央を呼びに」

「ああ、そうだね」

 聡子はなんとも言えない顔をした。

 嫌いな食べ物を食べている時のような。

 それはケールかもしれないし、ウニかもしれない。

 嫌いな食べ物の話をあまり聞いたことがない。

「まぁ、よく知ってみてもうるさい男だなって思ったのよ」

「結構、毒舌だね」

「奏の親友らしいから今まで言わなかっただけだよ」

 木枯らしに吹かれながら彼女はそう言った。

 橙色のマフラーが暖かそうで、細い髪には落ち葉がからまった。僕は彼女を呼び止めて、丁寧に、髪を傷つけないようにそっと髪に絡んだ落ち葉を外してやる。

 そういう時、聡子は女の子の顔になる。

 恋に落ちた女の子は皆こんな顔になるのかもしれない。


 理央とは次第に距離を取るようになっていった。

 始めはお互いのしたことの気まずさから、それからお互いのパートナーへの申し訳なさ、そうなると僕と理央は別々の向きのベクトルを持つようになった。

 僕は聡子へ。

 理央は洋へ。

 自分を大切に想ってくれる人への長い旅の始まりだ。

 僕たちは別々の方向へ向かう列車に乗った。

 さようなら。いつかまた会えるならその時はよろしく、と――。


 桜の蕾はまだ固かった。

 しかし待ち伏せしなくても、季節はやがて変わっていくものだ。

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