第44話 友情、そしてポジション
久しぶりの寂れた赤いポスト。
その存在は皆に放置され、そして気が付くと忘れられないものになっている。きっと僕は卒業しても忘れない。
坂道の下にはコンビニと、赤いポストがあったっけって。
そこで起こったこと全部、鮮明に思い出すに違いない。過ちも、正しいことも。
そのポストの影に隠れるように理央は立っていて、道行く同級生たちをなんとはなしに眺めていた。
相変わらず、ぽーっとしてる。
だからつついてみたくなるんだ。
でもつつかない。触れることはもうない。
僕と聡子はいつも通り手を繋いで、約束した赤いポストに向かっていた。理央が目に入ったのか、聡子の手にぎゅっと力が入る。大丈夫の意味で僕も強く手を握る。
聡子は顔を上げて僕を見た。
僕は空いてた手で彼女の頭をポンと叩いた。考えすぎだよ、と。
ツヤを帯びた彼女の髪がふわっと弾む。そのまま撫で下ろしたい欲求に流されそうになり、戻ってくる。危ない。あまりに魅力的な彼女も問題だ。
聡子なら、この前のジャージ姿で十分だ。
無造作に結んだ解けそうな髪も、踵を踏みつぶしたスニーカーも、聡子の本質を変えることはない。
――これが好きって気持ちなのかなぁ、と今更なことを思う。
あの日、掃除当番で声をかけられなかったら決してこちらからは声などかけられない程、遠くにいた聡子。僕はいつも置いて行かれそうになりながら、どんどん距離を詰めて。
「好きになってもいいかな」なんて傲慢なことを思った。今思えば、彼女ほど特別な
この気持ちには困ったことに重さがあって、どんどん時間が経つにつれてその重さに胸が苦しくなっていく。
今の僕がそうだ。
気持ちは加速度をつけて聡子に向かっている。
「おはよう」
小さい体を縮ませて、理央は照れくさそうに笑顔でそう言った。そして僕の言葉を待っているようだった。
この間のことがあって、僕は理央を避けていた。
理央のジャケットにはまだボタンのないボタンホールがあって、ドギマギする。
あの失くしたボタンは僕が外してしまったんだと思うと正視できなかった。
理央が僕の視線に気付いてボタンホールに目をやる。ああ、という顔をして、自分のポケットに手を入れると、なにか小さいものを僕の手の中に入れて、その拳を外から包むようにぎゅっとした。
その間中、理央は難しい作業をしているような顔をしていた。精密な作業を。
そしてそれを完了すると「あげる」と言った。
手のひらを開けなくてもわかった。それは例の第二ボタンだということを。
聡子はすごく嫌な顔をしてこっちを見ていた。
僕たちの、多分、最後の秘密を知りたかったはずだ。
でもプライドの高い彼女は言わない。「それなぁに?」と。
そして僕を信じることにするので、僕の背中には責任という名の荷物が増えることになる。
責任と信用。
愛にはそれが必要なんだろう。
持てる範囲のものならいいな、と思う。
僕は理央からの恐らくサヨナラのプレゼントである、小さなボタンをそっとポケットにしまった。
いつかはこれも思い出になる。
洋はしばらく白いセダンで送り迎えだ。
まるで拷問だ。
坂上の狭い来賓用駐車場で洋を車から降ろしたり、乗せたりするんだろう。
母親に介助されながらの登校は、実に微笑ましいことかもしれないけど、本人にとっては喜ばしくない。まして洋は母親をあまり良く思っていないのだから尚更だ。
怪我があまり酷くないといいんだけど。
昨日の夜の具合じゃなんとも言えなかった。
やっと立っていたけど、あいつが親を呼ぶなんて余程のことだ。
「早く自立したい」が洋の口に出さない願望だ。学校という小さな箱は洋には狭すぎる。洋が見たいのはきっともっと広大な風景だ。
自分を圧倒するような。
圧倒されてその圧に飛ばされるなら本望かもしれない。
僕らはなにもなかった頃のように、騒がしいやつを抜かして三人で坂道を上り、同じ教室にたどり着いた。
洋が来てるという話がどこをどう回ってか僕にも聞こえて、休み時間にその姿を探す。
と言っても怪我人はどこにも行けるはずなく、教室で友人たちとジャれていた。
なんだかパッと見て包帯の面積が思ったより広い気がする。
「おう、奏。昨日は世話になったな」
「なんだよそれ、偉そうに。お前それで大丈夫だったのかよ? お前の親もすごく心配してたじゃないか」
ぷい、と洋はあっちを向いてしまった。やっぱり親の話題は禁句だったのか。
でも電話ひとつですぐに迎えに来てくれるなんて、過保護かもしれないけど愛されてる証拠だ。
「とにかく病院で検査したよ。自転車で転んだだけなのに、レントゲンからCTまで。MRIも予約取らされた。どこかに悪い所が残るといけないとか言ってたけど、親、大袈裟だし。
子供の頃だって自転車で散々転んだよな? あそこの公園脇の道、今は舗装されたけど昔は砂利道だったじゃん」
無邪気な笑顔に、ホッとする。
学校に来られただけでも良かった。
「なんかさ、左に倒れたじゃん? 左手がバッキリいってて、足も少しヒビ入ってるらしくてもう大騒ぎでさ。なんとか言って抜け出してきた」
「無理するなよ。転んだ時、すごい音したんだぞ。車と衝突したのかと思った。打ちどころが悪かったらさ」
「心配すんな。だからMRIまで撮ることになったんだしさ」
洋は動く方、右手でポンと僕の肩を叩いた。
確かにそれらの話題は僕を安心させた。直接、顔を見られるところも。
洋だけが大きな怪我をしたことに、僕は思った以上に動揺していたらしい。
かけがいのない、失われてはいけない大事な存在。その一人が洋だ。
「流れで付き合って行ったんだけどさ、理央、泣いちゃって。まぁそうかなぁとは思うけど」
「けど?」
聡子はその茶色い目で、背伸びして僕を見た。
「奏があんなんなったら、わたしも泣くよ、きっと。だからならないで」
あんまり真剣な顔で言うので、思わず笑ってしまった。聡子は「なによ、もう!」と怒って僕の両頬を挟むように、バチンと叩いた。
「そんなに怒らないでよ」
「話しかけないでよ」
「ねぇ、じゃあもう僕たち、なにも話さないの?」
聡子はなにも言わなくなってしまった。
本当に僕たちは話さなくなる?
僕は彼女の口元を、じっと見つめる。
つ、と唇が不意に動いて、彼女は大声で笑った。まさに彼女らしく。
「もう! 睨めっこは子供の頃から苦手なの! 笑わせないでよ」
「そんなつもりはまるでなかったけど」
「······そういうところが嫌い」
は? どうしてそうなる。
まったくもって、女の子の気持ちはわからない。勉強したってきっとわからないに違いない。
嫌われたままでは困るので、メロンソーダで打診してみた。
「どう?」
「······そういうのはいいかも」
手を繋いでいつも通りに帰る。なんて贅沢なんだろう? 僕の彼女はいつも最高だ。
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