第42話 冬の大三角

「おー、やべぇ。汁こぼすとこだった!」

 膝の上に置かれたのは確かに湯気を立てた麺類だった。こんなものが自転車のカゴに入ってるなんて思いもしなかった。

「なに買ったんだよ? どう考えてもテーブルもないのに危ないだろう?」

「カップラーメンはいけるかなと思ったんだけどさ、こっちの方が自転車に載せる時、安定性があるかなと思って。ほうとう、珍しいだろう?」

「お前は星座より常識を習え」

「ひでぇやつだな、お前」

 二人でケタケタ笑う。

 もうお互い悪戯をするには大きくなりすぎたけど、こういう楽しみは大歓迎だ。

 洋はまた割り箸を歯で噛んで、割った。失敗して上の方がかなり鋭くなった。

「やっちまった。縁起が悪い」

「割り箸くらいで験を担ぐなよ」

「なんだって運気が大切なんだよ。わかってねぇな。入試の前には神社に行って合格祈願だろう、なんだって同じだよ。好きな子のためなら流れ星に願いをかけるだろう?」


 息を飲んだ。

 流れ星なんて見たことも探したこともない。

 実在するのかも怪しかった。

「いや······」

「ほら!」

 背中をバンと思いっきり叩かれる。

「そういうところが女の子にビビっと響かないんだよ」

「そうかな?」

「そうだよ。バスケだけでモテるか、普通。あれはだな――」

 洋は星空を見上げる。

 澄んだ瞳で、どの星を見つめているんだろう。わからない。

「片品さんに見る目があるんだ。すごいな、彼女。脱帽、お手上げ!」

「ま、まぁ、そうかもな」

「聡子ちゃん、大切にしろよ」

「『聡子ちゃん』呼びするな」

「はいはい、『片品さん』」


 いつの間にかピザまんの皮は突っ張って冷たくなっていた。つるつるしてただの饅頭みたいだ。薄雲が風に流されて宝石のように輝いた光たちを覆っていく。

 プロキオン、シリウス、ベテルギウス。

 僕たちの大三角はあの星たちのように輝きを失った。三人でおどけて笑い合った日々はもう戻らない。もう二度と、戻らない。

 僕はイチヌケした。元々、異分子だったのは僕だったから、これが自然なんだ。


「三連星の下にさ、ちょっと暗い縦に並んだ三つ星があるんだよ」

「へぇ」

 添星のことかな、と思う。三つもあったのか。

「それが見えるかどうかで昔は徴兵が決まったこともあったんだって」

「僕は見えない」

「俺はコンタクトしてないと見えない」

 男二人でなに星空の話してんだよ、と思う。

 ロマンティックでは全然ない。

 こういうのは彼女と。

 真っ白な雪原の上に寝転んで、冷たいね、冷たいねって言いながら済んだ星空を見てみたいものだ。

 白い息、繋いだ手から伝わる温もり。真綿のように降り積もった雪に、二人の足跡。


「俺はあの縦に並ぶ三連星の方だ」

「なに言ってんだよ!? お前らしくないよ」

「俺らしいってなんだよ」

 洋はふっと大人びた笑顔を見せた。

 それは寂しげで、憂えた瞳には後悔が滲んで見えた。

 いつの間にか食べてしまったあれこれの入れ物をガサゴソと袋の中に放り込む。験の悪い、尖った割り箸は真ん中から二つにバキッと割れた。

 ここでなにか言わないと、大切ななにかを失う気がした。


「洋」

「ん? どうした、真面目な顔して」

「······殴ってもいいよ」

 洋は聞こえなかったふりをして、コーヒーのペットボトルを出してから袋の持ち手をぎゅっと縛った。そして自転車のカゴにポイッと投げた。

「ナイッシュ」

「バーカ」

 再び口を噤んだ洋は、ホットコーヒーを両手で弄んだ。俯いて、なにも言わない。

 タイミングを測っているんだろうか? 俯いた横顔が僕の方を向く。切実な目をしている。

 洋が素早く立ち上がると同時にコーヒーが地面に転がっていく。そのまま洋の腕が伸びて目を瞑った時、襟首をガシッと掴まれて首がうっとなる。

 ――殴られるんだ。

 当たり前のことをした。それだけのことをした。

 首はぐっと締まって、そして唐突に手が離された。

 僕は膝から地面に落ちた。

 小さな洋のどこにそんな力があるのか、ゲホッと咳き込む。


「冗談でもそんなこと言うなよ」

「でもさ」

「お前、唯一の俺の友だちだろう? 親友だよな?」

「友だちだよ。なのにお前のこと······」

「そういうのナシ。うるせぇ、黙れ。俺たちは女と違うんだよ。俺たちの友情は紙より薄くないだろう? 築いてきた年月の長さがさぁ」

 洋の両手は力一杯、握られていた。

 殴られたのは僕の心で、傷ついたのは洋の心だ。

 あの拳は確かに僕にクリーンヒットした。

 ジャリっと洋の靴が動く音がして、僕に手が差し伸べられる。僕はそれを握って、その反動で立ち上がった。

 向かい合う。


 ドンと、洋の右の拳が僕の胸を打つ。

「ダメだぁ、理央が好きだ」

「なんだよそれ」

「俺、理央のこと守るよ、これからも全部。理央が俺を振り向いてくれるまで、ずっと。お前を忘れるまで。バカだよなぁ俺。あんな女ってどうしても思えないんだ。片品さんの方が素敵だってことはわかるんだけどさぁ。俺には理央なんだよ。身長のせいかな?」

 ぷっと吹き出してしまう。

 身長で恋愛の相手が決まってたまるものか。

 僕より身長の高い男が現れたら、聡子は僕を捨てるのかよ。

 そんなのあっていいわけない。

「笑うなよ」

「悪かったよ」

 そろそろ帰ろうぜ、と僕たちは公園から出た。

 自転車のスタンドを蹴り上げると、じゃあなと一言いって、洋はさっさと帰っていった。自転車の赤い反射板がキラッと一瞬光った。

 流れ星のように見えた。











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