Scene7-5

―慶一―

外来ロビーを抜けて外へ出ると、微かに苦い香りがした。

「あ…お疲れ様です。」

車にもたれてタバコを吸っていたらしい柳さんが、俺に気づいて携帯灰皿に吸殻を押し付けた。

「遅かったですね。」

「…迎えに来なくてもいいって言っただろ。」

思った以上に棘のある声が出てしまった。柳さんの表情が怪訝になる。

「怪我、どうでした?」

「治った。」

何もつけていない右腕を差し出し、見せつける。

「良かったです。」

「ああ。これでもう、あんたと会う理由も無くなったな。」

精一杯冷たく言った。

…その言い方に、自分で自分が傷ついた。

「まあ、そうですね。治って良かったです。」

思わず顔を見た。柳さんは特に気にした様子もなく、実は、と話を切り出した。

「来週から、ラスベガスに出張に行く事になっていて。」

「…は?」

ラスベガス、と言われて場所を思い浮かべるのに数秒要した。

「海外出張、てこと?」

「ええ。向こうに支社があるんですが、今度そこで起ち上げるプロジェクトに、本社から代表で参加することになっていて。」

「…。」

「だから…もう、迎えに来れなくなりますね。」

「…話って、それ?」

「はい。」

「そう…」

握っても押さえても、もう少しも痛くなくなった右手首に目線を落とす。

「…どこへでも行けば。もう送迎要らないんだし。」

じゃあな、と柳さんの横をすり抜けて歩き出す。

慶一さん、と呼ばれたけれど、振り返らなかった。


***

家に帰り、玄関を開けると華やかな香りが鼻腔をくすぐってきた。

靴箱の上に、この間わざわざ買ってきた花瓶に生けた薔薇が飾ってある。見ると、もう何本かほとんど花弁が落ちてしまっていた。

落ちていた花びらを拾い、花瓶を手に持つ。キッチンのごみ箱を開け、花瓶から抜いた薔薇を捨てた。

ごみ袋の底に落ちた、赤い薔薇をしばらく見つめる。蓋を閉じた。水で軽く花瓶をすすぎ、乾かす為にシンクにそっと置く。

―分かっていた。どうせ、いつか終わる関係だと。いや、そもそも何も始まってなんかいなかったんだと。

濡れた花瓶はそのうち乾くだろう。拭いたら、箱に入れて引き出しの奥深くにでもしまえばいい。

明日はごみの日だから、ごみ箱の蓋を開けるたびに薔薇を見るのは今日だけだ。

ポケットからスマホを出した。連絡先一覧から、柳さんの名前を探す。

削除ボタンを押した。通話履歴も、ついでに消した。

これでもう、あの人とは終わりだ。何も思い出すことなんか無い。怪我も治ったし、いつも通りの日常が戻るだけだ。

必死でそう、言い聞かせた。

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