眠らぬ夜空に陰る朧月

Scene7-4

―慶一―

看護師さんから指定された通りに売店脇の休憩スペースの前で立っていると、白衣の胸ポケットにいつもの黒縁眼鏡を引っ掛けた世良が歩いて来た。

「よ、久しぶり。」

「…何くわえてるんだよ、それ。」

世良の口から飛び出た白い棒を指さす。

「ああ、これ？」

世良が細い指で棒を摘まむ。棒の先には、薄いピンクと白色の飴玉がついていた。

「…タバコくわえてるのかと思った。」

「さすがの俺も、院内でそれはしないなー。」

「だからって飴くわえて歩くなよ…。」

呆れて言うと、世良はいつも通りの飄々とした口調で「タバコばっか吸ってると、うちのカワイ子ちゃんが怒るんでね」と嘯（うそぶ）いた。

「なんか飲む？」

世良が、休憩スペースにある自販機を指差す。コーヒーをお互い一缶ずつ買い、窓際の席に腰を下ろした。

「腕、治ったんだ？」

缶のプルタブを起こしながら世良が聞いてくる。

「うん、もうすっかり。」

何も巻かれていない手首を曲げて見せる。

「良かったじゃん。…で。」

世良はコーヒーを口に含むと、「その原因を作った奴とは、よろしくやってるの？」といきなり核心をついてくるので咽（む）せそうになった。

「なっ…何だ、よろしくやってるって。」

「その話がしたかったんじゃないの？」

世良の顔を見る。昔から何を考えているんだか分からない奴だが、勘は鋭い。

「世良。」

「ん。」

「…桃瀬朔也、って人を知ってるか。」

慎重に名前を口にする。世良の表情が、真顔になった。

「…そっちの名前が出てくるとは思わなかったな。」

「幼馴染なんだって？」

「それ、誰に聞いたの？」

「…透人（ゆきと）。」

「透人チャン？へえ…」

「この間、偶然会ったんだ。」

「まじ？」

「うん。その時に、世良とあの人…桃瀬サン、が幼馴染だって聞いて。」

「…言っとくけど、透人チャンと桃瀬をくっつけたの、俺じゃねえぞ。」

「そんな事は思ってないって。」

「じゃあ、何が聞きたい？」

世良は缶コーヒーを置くと、腕を組んでこちらを見据えてきた。

「はっきり言えよ。柳雅孝（やなぎまさたか）のことだろ？お前が知りたいのは。」

「…。」

無言がそのまま肯定の返事だった。世良は何を考えているのか、ふうん、と言って唇を舐めた。

「惚れた相手が、大事な透人チャンを取っていった奴の元恋人だったから、動揺してるわけだ？」

「…っ」

「図星？」

「違う。」

反射的に否定したが、それが本心じゃない事は自分が一番よく分かっていた。

「…頭の、整理がつかなくて。」

絞り出すようにそう言うと、世良は小さく息をついた。

「何を気にしてるんだよ。もうお互い別れてフリーなんだし、過去の相手が誰だろうが関係ないと思うけど？」

「…。」

「それとも、それを気にしてるのは柳の方？」

「いや、それは…」

そんな事、知る由もない。向こうは、まさか桃瀬サンが俺の元恋人と付き合っているなんて思いもしないだろう。

まあ分かるけど、と世良は再び缶コーヒーを手に取った。

「あいつ、桃瀬に未練たらたらだもんなー。」

顔を上げた。世良と目が合う。

「…え？」

「あ、余計な事言った？俺。」

「何だよ、未練って。」

世良は残ったコーヒーを呷ると、あいつさ、と話し出した。

「別れてからも、桃瀬に会いに行ったりしてたらしいからさ。」

「…。」

「…あれ、大丈夫？慶一。」

おーい、と白い手が俺の目の前でひらひら動く。

「…ま、お前らがどういう関係になってんのか知らないけど、本当に好きならきちんと本人と話し合った方が…」

「そんなんじゃない。」

席を立った。世良が、座ったままこちらを見上げてくる。

「好きだなんて思ってない。勝手に勘違いするなよ。」

「違うの？」

切れ長の目が、眇められる。

「変に意地張るの、よくないんじゃない。」

「…仕事の邪魔して悪かった。」

飲みかけだった缶コーヒーを手に取る。ごみ箱に捨て、休憩スペースを後にした。