第八話 会いたいと思ってはいけませんか

Scene8-1

―慶一―

片付けてみれば、意外とあっけないものだった。

透人ゆきとが出て行ったまま何も手を付けていなかった部屋の整理を終え、ごみ袋の口を縛る。家具はさすがにそのままだが、これで透人と暮らした跡もほとんど無くなってしまった。

袋の中から透けて見える、卓上カレンダーに目を落とす。捨てる時に見えた、『慶ちゃん、誕生日!』の文字を思い浮かべた。

きっと、柳さんはあれを見たんだろう。それで、何かプレゼントしようと考えてくれて…。

そこまで考え、思わず頭を振った。どうしてまたあの人の事を思い出してるんだ…。

ごみ袋をキッチンの隅に置く。ごみの日を確かめる為、冷蔵庫に新しく掛け直したカレンダーを見た。


―柳さんと会わなくなって、一週間以上が過ぎていた。

当然、あれから何も連絡はない。一体いつから出張に行ったのかも詳しく知らないし、どれくらい日本に戻って来ないのかも、当然知らない。知っていたからといって、会うつもりもない。

―でも。

仕事を終えて外に出ると、無意識に柳さんの車を探している自分に気づく。ふとスマホに目を落とせば、着信履歴が残っていないか見てしまう。

ただの習慣だ。一ヶ月以上も、ほとんど毎日のように会っていたから仕方ない。

必死でそう言い聞かせて、忘れようとしていた。


一人分の適当な夕飯を済ませ、ビール缶を片手にソファに座った。テレビをつけ、缶のプルタブを起こす。

家にいる時まで飲んだくれるほど酒好きなわけじゃなかったのに、何となく癖になっていた。休日の夜は、何故か飲まないと眠れない。

大して面白くもないバラエティ番組を見ながら少しずつビールを飲んでいると、テーブルに伏せて置いていたスマホが震え始めた。

誰からの着信なのか、心当たりが無い。缶ビールを置き、スマホを手に取った。

「…。」

知らない番号…国際電話?

そこまで考えて固まった。…まさか。

取るべきか躊躇っているうちに切れてしまった。不在着信一件、の通知を見つめているうちに、再び同じ番号からかかってきた。通話ボタンを、押す。

『…もしもし。慶一さん?』

すっかり耳に馴染んだ、低いバリトンが響く。懐かしさに、胸の奥が柔らかく痛んだ。

「…何だよ。」

『久しぶりですね。お元気でした?』

「…ん。」

『そちらは今、夜ですか。』

「そうだけど。…そっちは、明け方?」

はい、という返事と共に、カーテンが擦れるような音がした。

『東京とは比べものにならないくらい、夜景が綺麗なんですよ。あなたにも見せてあげたいくらい。』

「…そう。」

誕生日に、彼のマンションの部屋から見た景色を思い浮かべた。

実は、と柳さんが続ける。

『今から空港に向かうところなんです。』

「ああ…帰ってくるの?」

『はい。それで…帰国したら、会えませんか?』

少しトーンの低くなった声に、どきりとした。

「…何か、用?」

『話したい事が。』

「この電話じゃだめなの?」

すると、少し間があって、小さく笑う気配がした。

『会いたいと思っては、いけませんか?』

「…っ」

抗いようもなく、鼓動が高鳴った。スマホを握る手に、じんわりと汗がにじむ。

「いや、いいけど…。」

ついそう言ってしまうと、よかった、と安心した様な声がした。

『また電話します。おやすみなさい。』

「ああ…おやすみ。」

電話を切り、大きく息をつく。着信履歴に残った番号を登録しようか迷い、結局やめた。

もう、会う理由なんか無いはずなのに。なんで今更。

テーブルに置いた缶ビールを手に取り、口をつけた。少し、ぬるかった。

今夜は、この一杯だけでは眠れそうにない。

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