Scene7-2

―雅孝―

車の窓を叩く雨脚が、強くなった気がした。

「…主任、またため息つきましたね?」

運転席でハンドルを握る五十嵐が苦笑する。思わず口元を抑えた。

「悪い、無意識だった。」

「休日出勤でお疲れですか?それとも…」

ちらり、と五十嵐がこちらを見てくる。

「宮城さんの事でも考えてました?」

今度はわざと、大仰にため息をつく。

「からかってるのか。」

「いえ、まさか。でも主任、ため息のつき方が疲れている感じでは無いんですよね。」

「ため息に種類なんかあるのか。」

「ありますよ。主任のため息、色気がダダ漏れです。」

「…黙って運転してろ。」

少々強めの口調で返すが、慣れてる五十嵐は、はいはい、と苦笑混じりに返してくるだけで動じない。

またため息が出そうになり、咳払いで誤魔化す。

―五十嵐の言うことは、図星だ。さっきからずっと慶一さんの事ばかり考えている。

いや、さっきからじゃない。昨日の夜からずっと、朝早く慶一さんをマンションまで送り届けてからずっと、休日のはずだったのに急用で会社に呼びだされてからずっと、ずっと…慶一さんの事しか考えていない。

今だって、雨粒に覆われた窓越しに道行く人を眺めながら、無意識に探しているのは―。

「…五十嵐。」

「はい?」

「停めろ。」

「はいっ?いやそんな、無茶な。」

タイミング良く信号が赤になったので、五十嵐がブレーキを踏む。

「どうしたんですか、急に…」

こちらを向いた五十嵐の視線が、助手席の窓の向こう側に立つ人影に向けられる。

「あ、宮城さんじゃないですか。」

「…。」

目が釘付けになったまま、体が動かなかった。

傘を差して立ち話しているのは、間違いなく慶一さんだった。そして慶一さんの向かい側に立って話している細身で背の高い青年に、俺は見覚えがあった。

「…車出しますよ?」

五十嵐がそう言うや否や、信号が変わって車が走り出す。慶一さんの姿が遠ざかる。

「どうされたんですか?」

五十嵐が困惑した様子で聞いてくる。

「…あいつ。」

「あいつ?宮城さんと話していた方ですか?」

「…。」

「主任、お知り合いなんですか?」

「知り合いなんかじゃない…。」


―去年の春。

大学の先輩だった、渡辺先輩から突然電話を貰った。

何の用事かと思ったら、朔也の部屋の合鍵をまだ持っているかと問われて。

『…桃瀬の具合が、悪いらしい。』

それを聞いただけで、体の奥が竦み上がる思いがした。

『どういう事ですか。』

『悪い、説明している暇は無いと思うからすぐ行ってくれ。会社の後輩から連絡があって、どうもかなり具合が良くないみたいなんだ。また発作でも起こしたら…』

訳がわからないまま、とにかく朔也の部屋へ急いだ。ずっと返せないまま持っていた合鍵を使って扉を開けると、奥から驚いたように飛び出してきたのは…。


「…さっき慶一さんと話していた、若いのは。」

「はい。」

「今、朔也と付き合ってる。」

「はあ…桃瀬さんと、ですか…?」

どう反応したらいいか分からないのか、五十嵐はそれきり何も言わなくなった。

…どういう事だ。どうしてあの若いのが、慶一さんと?

『―浮気されて、振られたんだ。』

初めて一緒に酒を飲んだ時、自嘲気味に言っていた事を思い出す。

『ひどいと思わない?』

潮風に吹かれて、悲しげに遠くを見ていた横顔も。

『俺、結構本気で好きだったんだよ―』

カレンダーに書かれていた、柔らかく丸っこい文字。慶ちゃん、という呼び方から勝手に年下の彼女を想像していた。

もしかして、あの若いのが。

慶一さんを振った、元恋人なのか―?

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