第六話 朧月を見上げて

Scene6-1

―雅孝―

『―俺、猫っ毛なんだよね…』

…指で梳くと、懐かしい手触りを感じた。


「…。」

目が覚めた。見慣れた部屋の壁紙が目に飛び込んでくる。

白いシーツの上に投げ出した手の中には、当然何も無かった。夢を見ていたらしい。

寝返りを打つ。慶一さんが窓辺に立っている姿が視界に映った。剥き出しの背中は、程よく筋肉質だった。

「…眠れませんか?」

声をかけると、慶一さんは少し驚いた様に振り向いた。

「いや。…起こした?」

「そういうわけでは。…風邪ひきますよ。」

ベッドから身を起こし、クローゼットからバスローブを二つ出す。一枚羽織り、もう一枚を広げて背後から慶一さんに被せた。

「どうぞ。」

「ありがとう。」

袖を通すのを手伝いながら、乱れた前髪を梳いた。柔らかな、指通り。

「…やたら髪触るよな。」

怪訝な声色で聞かれ、慌てて手を引っ込める。

「すみません。綺麗な髪だなと思って。」

猫っ毛というよりは、艶のある真っ直ぐな毛を見つめる。

「…夢を、見ていたんです。」

「夢?」

「はい。あなたの髪と、その…感触が、似ていたから。」

「ああ、…別れた恋人?」

ふう、とため息をつかれる。

「すみません。」

「…似てんの?」

「はい?」

「俺と、あんたの別れた恋人。」

少し考え、首を横に振る。

「いや、全然。」

「…あっそ。」

少しずれたバスローブの襟元を直してやりながら、…朔也の姿を、思い浮かべる。

「背が小さくて、ほとんど飯食わないから体も軽くて。まあ、あなたと似ているところは無いですね。酔い潰れた時にホテルまで運ぶの、骨が折れましたし。」

「悪かったな。男なんだから仕方ないだろ。」

慶一さんの表情が、少し不機嫌になる。伏せた目元にかかる前髪を、そっと指先ですくう。

「…髪の感触だけは、似てるかな。何のこだわりだかいつも色抜いてて痛んでそうなのに、触るとやたら柔らかかった。」

「ふーん。…どこが好きだったわけ?」

―雅孝はさあ、俺のどこが好きなの?

少し困ったように上目遣いに見上げてきた、茶色い瞳が脳裏に浮かぶ。

「笑った顔、…かな。」

「…ふ。」

「何か、可笑しいですか?」

「いや、なんか意外だなと思って。あんたの事だから、体の相性が良かったとでも言うのかと。」

「…体、ですか。」

慶一さんがはっとした様にこちらを向いた。

「ごめん。心臓が悪かったんだっけ。」

気まずそうな顔をするので、苦笑を返した。

「何ですか。一応、する事はしていましたよ。」

「…あ、そ。」

「ただ…それが、よくなかったのかも知れません。」

「え…?」

窓の外へ視線を移す。記憶が、ゆっくりと巻き戻っていく―。

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