Scene5-2

―慶一―

電話を掛けようとして、無意識に怪我した右手でスマホを持っていることに気がついた。

大げさにギプスが巻かれたままになっているが、怪我してからだいぶ経って痛みはほとんど無い。来週の診察時には、ギプスも取れて完治しそうだった。

スマホを左手に持ち直し、慣れた動作で発信履歴から柳さんの番号を呼び出す。

『―はい。』

すっかり聞きなれた、低いバリトンが耳元で響く。

「今、いい?」

『はい。もう仕事終わりましたか。』

「いや、それが…」

人が歩いて来たので、廊下の隅に寄る。職員室の方を気にしながら、「今日遅くなりそうなんだ」と柳さんに伝えた。

『何時になりそうですか?』

「いや、分からない。会議だから…。今日はいいよ、駅まで歩く。」

『そうですか、分かりました。』

あっさり切れる。もしかしたら忙しかったのかもしれない。

ポケットにスマホを戻し、職員室に戻る。学校は春休みだが、これから新年度に向けて職員会議をする事になっていた。

あまり遅くかからないといいな、と思いながら会議の資料を揃えて手に持ち、職員室横の会議室へと急いだ。


***

結局会議が終わったのは、日もとっぷりと暮れた頃だった。

お疲れ様です、と口々に声を掛け合いながら職員たちが散り散りに帰って行く。

駅まで歩くなら、いつもの裏口ではなく正門の方から出ないと遠回りになる。つい、いつもの癖で裏の駐車場を覗きに行きかけ、今日は断ったんだったと思い出して正門の方へ向かった。

最初に学校まで送ってもらった日以来、すっかり柳さんの送迎が当たり前になってしまっていた。目立つ車で嫌だからと学校から離れた場所で降りていたら、気にしたのか国産の自家用車で来てくれるようになった。何もそこまでしなくてもと思いつつ、つい甘えてしまっている。

週末、仕事帰りに二人で飲みに行った日もあった。また懲りずに勧められるがまま飲み過ぎて、気づけば広いベッドでお互い裸で寝ていた。

一体、今の柳さんと俺はどういう関係なんだろう。

怪我が治るまでの送迎係?飲み友達?

いや、友達なんて響きは似合わない。だからといって、恋人なんてもっと違う。…けど。

なら、どうして…肌を合わせたりしているんだろう。

お互い、別の相手の事を引きずったままのくせに…。

―カツン、と、どこかで聞いた革靴の音がして顔を上げた。

正門のそばに、背の高いシルエットが見える。

「お帰りなさい。」

「何で…いいって言ったのに。」

柳さんは俺の方に向かって歩いてくると、俺が左肩にかけていたトートバッグをすっと手に取った。

「重いですね。まさか仕事持ち帰るんですか?」

「色々とやる事があるんだよ。」

「大変ですね。それなのに、電車で帰ろうとしていたんですか。」

「仕方ないだろ…」

正門を出ると、いつか見た黒塗りの外車が停まっていた。

「俺も帰るところだったので、今日はこの車ですみません。」

「別に謝らなくても。」

「慶一さん、この車で迎えに来ると機嫌悪くなるから。」

後部座席に俺の荷物を置くと、どうぞ、と助手席の扉を開けてくれた。

「いつから居たんだよ?」

シートベルトを締めながら問うと、「ついさっきですよ」と返ってきた。

「…うそくさ。」

「本当ですって。今日は俺も遅くまで仕事していたので。」

「タイミング、良過ぎない?」

「偶然ですよ。」

車が走り出す。何となく外を眺めていたら、いつもと通る道が違うことに気がついた。

「どこか寄るの?」

「いえ、家に帰ります。」

「そう…」

言い方が引っかかった。家に、帰る?

「慶一さん、この後予定ありますか?」

「無いけど。」

「そうですか。では一緒に行きましょう。」

「は?どこに。」

外が、いよいよ見慣れない景色に変わっていく。

「帰るって…え、もしかして。」

「はい。もう、着きますよ。」

車のスピードが緩む。

目の前には、一体何階建てなのかというような背の高いタワーマンションが聳え立っていた。

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