Scene4-3

―慶一―

階数表示の省略されたエレベーターのランプを呆然と見つめる。

「…おい、一体何階まで上がって行くんだこれ。」

「もう着きます。」

静かに上昇が止まり、扉が開く。気圧の変化で耳がおかしい。

柳さんは廊下を早足で進むと、奥にある部屋の、スチール製の扉を開けた。

「…何、ここ。」

「すみませんが、こちらで待っていて頂けますか。なるべく早く…」

話している途中で、柳さんの胸ポケットのスマホが振動する気配がする。

「分かったよ、待ってるから早く行ってこい。」

「本当にすみません。」

さすがに慌てた様子で、柳さんはスマホを耳に当てながら部屋を出て行った。がちゃん、と音を立てて扉が閉まる。

一人になったところで改めて、部屋の中を見渡す。

十二畳ほどの広さの部屋に、パソコンの載ったデスクが一つだけ。向かいには革張りのソファと、低いテーブルがある。

柳さんの仕事部屋だろうか?こんな所で、一人で仕事しているんだろうか…。

デスクから向かって真正面の壁はガラス張りになっている。眼前にレインボーブリッジが見えた。だいぶ陽が傾いてきているから、そろそろライトアップされる時間だろう。浜辺には、ちらほらと人影も見える。

近づき、下界を見下ろす。高所恐怖症の人だったら、ぞっとするに違いない高さだった。

「本当、何者なんだか…。」

歳を聞いて驚いたのは、何も外見のせいだけじゃない。

俺よりずっと年下で透人ゆきととも対して変わらないのに、部下を従え高級外車に乗り、業務時間後(なのかは知らないが)、緊急で呼び出されるような重要な仕事を任されている。社長令息とはいえ、世の中には住む世界の違う人間というのが、本当にいるのだ。

ため息をつく。正直、勝手に帰ってしまおうと思えば帰れなくもない。場所の当たりは大体ついたし、ここからならバスでも電車でも、交通手段はいくらでも思いつく。だけど、待っていると言ってしまったし…。

応接用のソファに座ってみる。一気に体が沈み込んだ。何て良い素材で出来ているんだ。よく見てみれば、ローテーブルの素材の木目もすごく綺麗だった。傷一つ無く、明かりに反射して光るほど磨かれている。

何というか…居心地が悪い。

立ち上がり、スマホを取り出した。柳さんに連絡しようとして、指が止まる。

あんなに忙しそうにしていたのに、電話したら迷惑だよな。

メッセージを送ろうかと思ったが、見たら電話がかかってきそうなのでやめた。仕事の邪魔はしたくない。

何か書くものは無いだろうか、とデスクの上を見た。小綺麗に片付いていて、余計な物は置かれていない。

まずいかな、と思ったが、誰もいないのを良いことに引き出しを開けてみた。

「…お、あるじゃん。」

白いメモ帳とキャップ付きのボールペンを見つけた。一枚メモ用紙を拝借し、ペンの蓋を外す。

『外に出て来ます。終わったら電話ください。』

書き終えてペンに蓋をし、片付けようと引き出しを開けた。

―ゴトッ。

「…?」

開けた勢いで、引き出しの奥から何か出て来た。濃紺のベルベット地…指輪ケースだろうか。

何となく、手に取って見てしまう。誰かにプロポーズでもするのか。いや、恋人とは別れたと言っていたような。

そっと開けてみた。こんな大企業の跡取りなんだから、さぞかし大きなダイヤモンドの付いた物でも入っているんだろうと思ったら、中に入っていたのはシルバー素材のシンプルな指輪だった。

蓋の内側に、金糸でメッセージが書かれている。

『Happy Birthday』

台座から指輪を外した。俺の小指にどうにか嵌るだろうか、というくらいのサイズ。表面には傷がついている。使用済みのようだ。

内側に、文字が彫られていた。

『M to S, 2016.5.1』

柳さんの名前は、雅孝―まさたか。Masataka、のM。…なら、Sは別れた恋人―。

「…まだ、忘れられていないんだな。」

指輪を元通りに台座にはめ、引き出しの奥にしまう。

「あんたも、俺と同じか…。」

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