Scene3-2

―慶一―

「うーわ、酒くさ。」

処置室のカーテンを手で払う様にして入ってきた世良が、ベッドに座らされ、右手を固定されている最中の俺を見て吹き出した。

「酔っ払ってベッドから落ちて骨折したって?なかなか間抜けだなー。」

「…ほっとけよ。」

切割したギプスの上から包帯を丁寧に巻いてくれていた、若い男性看護師が苦笑した。

「世良先生のお友達なんですか?」

「…まあ。」

「ほんと言いたい事言いますよね、この先生。」

「聞こえてんぞ、片倉かたくら。」

世良は処置室の隅に置かれたカート台のノートパソコンを開くと、マウスを操作し始めた。

「あーあ、ぱっきり折れてるなあ。どんだけ派手な落ち方したんだよ。」

「……。」

「つーか、一人でそんな酔うほど飲んだの?珍しくない?」

パソコンを閉じた世良がこちらを向くので、目を逸らす。

―何があったかなんて、言えるわけがない。

まさか、酔った勢いで喰おうとした相手に組み敷かれ、焦って暴れてベッドから落ちたなんて。

「ところで世良先生、夜間外来はどうしたんですか。」

包帯を巻き終わった看護師―片倉さんが、世良の方を向いて顔をしかめた。

「混みあってましたよね?」

「ちゃんと捌いてきたさ。今は検査の結果待ちー。」

言い終わるや否や、白衣の胸ポケットのPHSが鳴り始める。

「はーいはい、行きます。」

雑な返事をし、さっさと通話を切ると「じゃあなー」と手を振り、世良は処置室から出て行った。

「世良先生って、普段からあんな感じなんですか?」

処置に使った道具を片しながら片倉さんが聞いてくる。

「…まあ、そうかな。何でも適当にやってるように見えるけど、要領が良くて器用というか。周りに合わせるのも上手いし。」

頑固で融通の利かない俺とは対照的だ。

「仲いいんですね。」

「そちらこそ。」

そう返すと、片倉さんは少しはにかむように笑った。


***

馬鹿みたいに高い夜間診療の清算を済ませ、ぎこちない手つきで財布をポケットにしまう。肩からずり落ちそうになるジャケットを掛け直すのも一苦労だ。右腕には、肘の下から親指まで、しっかり固く包帯が巻かれてしまっている。全治4週間らしい。

利き腕痛めてどうするんだ、教師なのに。授業中の板書は難しいから、プリントでも作って配布した方がいいのか―。

ため息をつきながら病院の外に出た。

「お疲れ様です。」

「…は?」

見ると、病院の玄関に横付けされた黒塗りの外車の前に柳さんが立っていた。

「何でいるわけ?」

ホテルからは確かに乗せて来てもらったが、帰りはいいと断ったはずなのに。

「家まで送ります。」

「いいって言ったじゃないですか。」

「高いですよ、こんな時間にタクシー使ったら。」

「なら歩いて帰る。」

「危ないですよ、そんな腕で。…折れてたんでしょう?」

柳さんの視線が、ギプス固定された俺の右腕に向く。

「あのな、一体誰のせいだと…!」

怒りかけ、やめた。…元はと言えば、自分も悪い。

すみません、と柳さんが淡々と謝ってくる。

「…送らせていただいても、よろしいですか?」

「…分かりました、お願いします。」

お互いに気まずくなりつつ、柳さんが扉を開けてくれるので後部座席に乗り込んだ。反対側から、柳さんも乗って来る。

運転席でハンドルを握るのは、前に俺のスーツを持って行ってくれた柳さんの部下らしき男性だった。住所を聞かれたので伝える。静かに車が走り出した。

「どれくらいで治りそうですか、怪我は。」

柳さんが聞いてくるので答える。

「全治4週間らしいです。」

「それは…大けがでしたね。やっぱり、あれだけ派手に落ちたから。」

「…誰かがあんまり強い酒飲ませるから、眩暈がしたせいだ。」

「随分、弱いんですね。」

「そんな事はない。酔いなんかとっくに醒めてる。」

「言ってる事、矛盾してませんか。」

「あのなあっ…」

つい、むきになる。運転席で、くすっと笑う気配がした。

「あ、すみません。主任がそんなテンポで喋るの、珍しいから。」

隣で、大きく咳払いの音がする。

「…五十嵐。」

「すみません。…家、この辺りでしょうか?」

聞かれ、すぐそこのマンションだと告げた。エントランスの入り口横に車が停まる。

「…どうもわざわざ、ありがとうございました。」

若干の嫌味を込めて礼を言い、車を降りる。柳さんも、少し遅れて降りてきた。

「すみませんでした、お詫びはまた。」

「もういいですって。」

言い捨て、マンションのエントランスに入った。鍵を差して自動ドアを開け、エレベーターに乗り込んで5階のボタンを押す。

―まったく。この間のバーでのトラブル以来、ろくな事がない。

未だ痛みの残る右腕を見る。正直、慰謝料でも請求したい気分だったが、そんなわけにもいかない。

…酔いに任せて誘ったのは、明らかに自分の方が先だった。

シャツがはだけた下から現れた、硬い筋肉を思い出す。細身に見えたのに、着痩せし過ぎにもほどがある。

だけど…あれで動揺していなかったら、俺はあの人相手に何をする気だったんだろう。

透人ゆきとの記憶を重ねて身代わりにするには、あまりにも面影が違い過ぎるのに。

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