第三話 誤算

Scene3-1

―雅孝―

「…慶一さん?」

「ん、…」

左肩に重みを感じる。俺にもたれたまま、今にも慶一さんは眠ってしまいそうだった。

「あの、大丈夫ですか?」

「…。」

艶のある黒髪が頰をくすぐる。シャンプーの匂いなのか、柔らかな香りが鼻先をかすめた。

懐からスマホを出し、五十嵐の番号を呼び出す。

ワンコール後に、いつもの歯切れの良い返事が聞こえてくる。

「五十嵐、部屋の空き状況を確認してくれ。」

『かしこまりました。…スイートですか?』

「いや…なるべく、利用客の少ないフロアで押さえてほしい。」

『承知しました。お待ちください―』

通話を切り、スマホをカウンターテーブルに置いた。

載っていた慶一さんの頭が落ちそうになったので、肩に手を回して支えてやる。何かスポーツでもしていたのだろうか、思いのほか筋肉質な感触が返ってきた。

グラスに僅かに残ったウイスキーを呷る。結構飲める方なのかと思って勧めた銘柄だったが、キツすぎたか…それとも、意外と酒に弱かったのか。

テーブルの上でスマホが震える。

「はい。」

『お待たせしました。8階の部屋を確保しました。』

「分かった。"Cielo(シエロ)"のカウンターに居る。」

『承知しました、すぐにキーをお持ちします。』

通話が切れる。懐にスマホをしまい、もう一度呼びかけてみる。

「慶一さん、起きられますか。」

「うん…。」

頷きようやく頭を起こしたが、そのままカウンターに突っ伏しそうになったので慌ててグラスをどけた。

「お酒、弱かったんですね。」

「…そういう、わけじゃ…。」

失礼します、と五十嵐の声がしたので振り向く。

「お部屋のカードキー、お持ちしました。」

「悪い。」

カードキーを受け取る。五十嵐が、慶一さんの様子に気づいて怪訝な表情をした。

「…主任、そんなに飲ませたんですか。」

「違う。多分、最初から一気に呷ったからだろう。」

最初に飲んだジントニックの味を思い出す。少し度数が高めに感じた。それを半分以上、勢いをつけて飲んでいたから一気に酔いが回ったのかも知れない。弱過ぎる気もするが。

「…五十嵐、後の事はいいから。」

「分かりました、では失礼します。」

五十嵐が立ち去るのを待って、慶一さんの脇に手を入れて立ち上がらせる。

「歩けますか。」

「うん…。」

ふらつきながら立ち上がるのを助け、肩を軽く支えながら店を出た。

フロア奥にあるエレベーターのボタンを押す。乗り込み、キーをかざして8階のボタンを押した。扉が閉まる。

気を抜くとこちらへ倒れてきそうになる、慶一さんの肩を支える。スーツ越しに感じる体温が高い。

エレベーターの動きが静かに止まり、扉が開いた。

五十嵐から手渡されたカードキーで部屋番号を確かめ、廊下奥の部屋へ慶一さんを連れて行く。

カードをかざし、部屋の戸を開けた。ごく普通の、ツインベッドの部屋だ。

覚束ない足取りの慶一さんをベッドに座らせる。

「どうぞ、少し休んでいってください。」

「ん…。」

皺になるだろうと思い、ジャケットを脱がせた。クローゼットに掛けておこうと思い後ろを振り返ったら、袖口を掴まれた。

「…どこ行くんだよ。」

「いえ、これをクローゼットに…」

言葉が途切れた。

―酔いのせいで赤らんだ頬、少し開いたままの唇。うっすらと膜の張った目が、ゆっくりと瞬く。

何故だか見惚れていると、俺の袖口を引っ張っていた慶一さんの指が、俺の指に絡んできた。―それをしっかりと、握り返す。

手に持っていたジャケットが床に落ちた。

ベッドに片膝をつく。ぎしり、とバネが軋む音が鳴る。互いに指を絡めた方の手を、枕元に縫いつける。

最初見た時に綺麗だなと思った、顎のラインをなぞるように手を添える。顔を近づけ、唇を合わせた。

見た目通りに弾力のある唇だった。零れる吐息から果実の香りがする。さっき飲んだウイスキーの匂いか。舌を絡めると甘い味がした。…やはり少し、度数がキツかったかも知れない。

緩んでいたネクタイの結び目に指をかける。あっさり解けて開いた胸元に触れようとすると、不意に胸ぐらを掴まれた。

思いの外、強い力でベッドに押し倒される。

「…何してんだよ。」

「誘っているんじゃなかったんですか。」

問うと、形のいい眉が顰められた。

「逆だろ。」

「はい?」

戸惑う間も無く唇を塞がれる。―ああ、逆ってそういう。いや、でもさすがにこれは。

どうしたものか、と考えている間にネクタイを抜かれ、シャツのボタンが外されていく。

ご丁寧に最後のボタンまで外れたところで、少々乱暴にシャツがはだけられた。

何故か不意に、慶一さんの動きが止まる。

「どうかしました?」

「…は、何この筋肉。」

慶一さんの手が大胸筋に触れてくる。

「あんた着痩せしすぎだろ。」

「よく言われます。」

隙を見つけ、慶一さんの腕を引っ張る。俺に向かって倒れ込んできた体を受け止め、再び体勢を逆にした。

「ちょっ…」

「こっちの方がしっくりきませんか?」

「いや、ちょっと待っ…」

急に焦り始めた慶一さんの唇をキスで塞ぎ、二、三個シャツのボタンを外して手を入れる。

「!」

慶一さんが、驚いた様に体をこわばらせる。少し意外な反応だった。

「もしかして、こういうの初めてですか。」

「んなわけないだろ!」

「じゃあ抱かれる方が、初めて?」

図星ですか、と聞くと、みるみるうちに耳たぶが赤くなっていく。

「…そうですか。」

シャツの間に差し込んでいた指先に、硬いものが触れた。摘むように擦ると、微かに肩が動いた。

「…!」

反応した体に自分が驚いたのか、もがいて逃げようとした。

「離せっ…」

「あ、ちょっと」

しまった、と思った時には遅かった。

忘れていたが、ここはシングルベッドの上だった。大の男二人が揉み合うには、狭すぎる。

俺から逃げようとした慶一さんが、ベッドからはみ出て派手に落ちる音が部屋に響いた。

「いっ…!」

「大丈夫ですか?!」

慌ててベッドから降り、傍にしゃがんだ。

痛みで顔を顰めた慶一さんは、自分の右手首を押さえていた。

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