Scene2-4

―慶一―

連れてこられたのは、ラグジュアリーなホテルのバーラウンジだった。

「どうぞ。」

何故か柳さんにエスコートされ、カウンター席に座る。

「何飲まれます?」

「…じゃあ、ジントニック?」

「分かりました。」

柳さんが、カウンターの中に立っている若い男性に向かってジントニックを二杯注文する。バーテンダーの男性は頷くと、グラスを二つ目の前に置き、アイスピックで割られた大きめの氷をトングで掴んで入れた。次にカットされたライム、そしてまた氷を入れ、続いてジンとトニックウォーターが注がれる。

「いつもジントニックですか?」

「いえ。友人が、初めて入る店ではジントニックを頼むべきだとかなんとか蘊蓄を垂れていたのを思い出して。」

黒縁眼鏡をかけた医者の友人の顔を思い浮かべる。

「なるほど、作り方がシンプルですからね。バーテンダーの力量が試される。」

どうぞ、と目の前にグラスが置かれる。細かい気泡に包まれたライムが、置かれた振動で回転した。

「乾杯します?」

「…はあ。」

カツン、と軽くグラスを合わせ、一口飲む。…美味しい。

「どうですか?」

「美味しいですね。」

素直に感想を口にする。なるほど、高級な店はシンプルなカクテルですら味が違うのか。

「…というか、どうして俺をこんな所へ?」

ちらりと他の席の様子を窺う。仕事帰りで取りあえずスーツを着ていたからよかったとはいえ、とてもじゃないがカジュアルな服装では入れない雰囲気の店だった。ホテルのバーとは、そういうものかもしれないが。

「この間せっかく飲みに来ていただいたのに、とんだトラブルに巻き込んでしまったので、お詫びです。」

「まさか、この店のオーナーもあなたが?」

「店というか…このホテル自体、当社が経営しているので。そういえば、きちんと名乗っていませんでしたね。」

柳さんが懐から名刺入れを取り出す。一枚出し、俺の前に置いた。―柳雅孝。

会社名を見て、目が丸くなる。

「結構な、大企業にお勤めで。エリートなんですね。」

「いえそんな。祖父の会社なので。」

「祖父…?」

まさかほんとに、社長令息なのか。

いよいよ居心地が悪くなってくる。落ち着かず、グラスに半分くらい残っていたジントニックを、ほとんど一気に飲んでしまった。

「次は、何にしますか。」

聞かれ、柳さんの手元を見ると知らない間にグラスが空になっている。

結構ジンの度数がキツかったらしい。急に喉の奥が熱くなってくる。

「…何か、水割りにしておこうかな。」

そう言うと、柳さんは頷いて何か聞いたことのない酒の名前をバーテンダーに告げた。しばらくして、薄い琥珀色の液体が入ったグラスが置かれた。

口に含む。ほのかな苦味の後で、柑橘系の香りが鼻を抜けていく。美味しいが、こんな口当たりの良い酒ばかり飲んでいたら一気に酔いが回りそうだ。

「あの人と、お知り合いなんですね」

不意に話を振られ、首を傾げた。

「世良さんです。」

「ああ…高校の友達です。…そちらこそ。」

柳さんが傾けたグラスの中で、氷が軽い音を立てる。

「世良さんは…俺の元恋人が、お世話になっていたんです。それで。」

「世良に?心臓でも悪かったんですか。」

「そうですね。別れる間際まで隠されていました。信用されていなかったのかもしれない。」

「…はあ。」

かける言葉に迷ってしまう。

憂いのある横顔を見ていたら、慶一さんは、と不意に名前で呼ばれた。

「お付き合いされている方は、いらっしゃるんですか。」

「いや…ていうか、何で名前呼びなんだ。」

「ああ、すみません。世良さんが、慶一、慶一というので、名前の方が強く印象に残ってしまって。」

「そう…まあ、いいけど。」

残り少なくなった、ウイスキーの水割りを口にする。…だいぶ酔いが、回ってきている。

「振られた。」

「え?」

「浮気されて、捨てられたんだ。…可哀想だろ?」

今まで誰にも言えずにいた事を、ぽつぽつと話した。

上手くやっていたつもりだったのに、ある日急に浮気相手の存在を知ってどれだけ動揺したか。

飛び出すように同棲していた家を出て行かれて、どれほど寂しかったか。

いい加減忘れたいのに、未だに気持ちの整理がつかないことも。

「好かれている事にあぐらをかいて、全然気づいていなかった。本当は俺の方こそ、透人ゆきとを必要としていたんだって。俺の方がずっと、透人を好きだったんだって。振られてから気づいても、遅いけどな…。」

「透人さん、と言うんですね。」

「うん…」

「告白は、向こうから?」

「…そう…。」

「…慶一さん?」

低いバリトンが、耳元のすぐ近くで聞こえる。頭が、重い…。

「慶一さん、大丈夫ですか。飲み過ぎました?」

「…ん…。」

ふわふわする。…ああ、何だか心地いい。

甘いムスクの香りがする。何かに誘われるように、意識が遠のいていった。

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