第5話
「あっちゃん先生、ばいばーい」
校門へ向かってグラウンドを歩いていた女の子たちが三人、裏門を出ようとしていた
「また明日ね」
日が落ちる前の煌めきへ手を振った淳美は、彼女たちの少し後ろを歩くもう一人の少女に気がついた。しめ縄のようにきつく編まれた三つ編みが二本、上着のフードで重く揺れている。グラウンドの砂を踏む足取りもまた重かった。思わず淳美は、声をかけた。
「
「あっちゃん先生からも注意してよ。私たち、
「美里ちゃんの近くだと、どうして絵を描くのが嫌なの?」
腰を屈めた淳美は、穏やかに問いかけた。三人の目は真剣で、愛らしい頬を
「だって
「まねする?」
淳美は、目を瞬いた。――真似。
「そうだよ、美里ちゃんはずるいんだよ、
一人が訴えると後の二人も勢いづいて、丸めた画用紙のゴムを外して解き放った。
はらりと広がる色彩は、一面の
それは、今年の春に淳美が三年生の子たちを連れて、校内の写生会を行った時の絵だ。完成した絵は、プールと多目的ホール脇の壁に展示されて、今日その期間を満了した。一学年につき一クラスしかない小学校の三年生である三十人は、今日一斉に絵を持って帰ることになる。
「あっちゃん先生、ここ。桜の木の、まんなか。緑の点々があるでしょ?」
「うん、見えるね」
「それを
女の子たちの一人、
画用紙いっぱいに描かれた桜の巨木は、『四時四十四分に裏門前の桜を見上げると、現れた死者に
豪快なタッチで描かれた幹の中央に、問題の『緑の点々』はあった。花びらがほとんど散り、新緑の季節を迎えた桜の幹から、新芽が顔を出していたのだ。
「綺麗だね」
自然と淳美は、そう言った。誰にも気づかれない小さな命の芽吹きを見逃さない感性が、こんな状況であっても淳美にとっては愛おしく、溜息が零れそうだった。
だからこそ、子どもたちの眉間に皺が寄ったままでは、この画用紙に写し取られた命も悲しいだろうと、淳美も淳美なりの良識と照らし合わせて、純粋に思ったのだった。ふっと気負いなく微笑むと、淳美は子どもたちと目を合わせた。
「
三人の女の子たちはくすぐったそうな顔をしたが、不服そうな顔でもあった。分かっていながら、淳美は淡く笑って続けた。
「先生は、みんなが絵を描く姿も見ていたよ。亜理紗ちゃんが気づいた素敵なものに、もしかしたら他にも気づいた子がいたのかもしれないね」
「あっちゃん先生は、ちゃんと見てくれてたの? 本当に?」
「そうよ。亜理紗ちゃんも、
女の子たちはもじもじしたり、やっぱり不服そうにしたり、くるくると百面相を披露してから、最終的には笑顔で門へ歩いていった。淳美は深く息を吸って、トマトクリームスパゲティみたいな優しい色の空を見上げた。三人とも、根は優しくて良い子たちなのだ。ただ時々少しだけ、桜の木の根っこが
教師としての言葉の重みを、考えない日は一度もない。新しい出会いを積み重ねている真っ最中の
教師の仕事は、やりがいがあって楽しい。淳美たち大人が考えつかないような発想力と行動力を持つ子どもたちとの毎日は、新鮮なわくわくに満ちている。だからこそ、時々思うのだ。楽しさを噛みしめるたび、決して目には見えない重みと、無視できない深淵の
走り去っていった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます