【十六】奇襲


「それじゃ行くか。ヒカリのもとへ」


 ヒカリのところへ行くのか。みつけるって話はどうなった。冗談だったのか。それならそれでいいけど。

 ヒカリは生きているってことだよな。この神獣の世界にいるってことだよな。


 ナゴの顔を覗き込んで見たら、そっぽを向かれてしまった。やっぱり何かある。何を隠している。

 翼はナゴに「なぁ」と声をかけたが無視をされてしまった。言いたくないってことか。ヒカリに何かあったのか。無事でいるのか。


 不意に『神隠し』の言葉が湧いてきた。

 神隠しは本当のことだったってことか。こいつらがヒカリをこの世界に隠したってことだろう。


 自分もか。

 自分ももといた世界から消えてしまったということか。もとの世界ではまだ自分がいなくなったことに気づいていないだろう。いずれ捜索願が出されるはずだ。


 御弥山に向かったことを知ったら両親はどう思うだろう。ヒカリのことを思い出すに違いない。そうなればまた神隠しにあったのかと騒がれるだろうか。新聞に自分のことが載るだろうか。


 きっといろんな論争が持ち上がるだろう。

 神隠しなどこの世の中に存在しないと否定的な考えの者もいれば、科学では証明できないことがこの世の中には存在すると肯定的な意見もあるだろう。


 御弥山で行方不明になって戻った人がいたかどうかはわからない。一人も戻った人はいないのかもしれない。一生この地で過ごさなくてはいけないのかもしれない。


 ヒカリを連れてもとの世界に戻りたい。その願いは叶うのだろうか。

 ナゴをチラッと見遣り小さく息を吐く。神獣たちは戻ることを許してくれないだろう。そんな気がする。それならば覚悟をしなくてはいけない。この地で生きる覚悟を。


「やあやあ、クロアゲハ。今回もご苦労さん」


 なんとも気が抜けるような声音を出すナゴに目を向ける。空に向かって話しかけていた。


 黒アゲハチョウだ。もしかして森でみかけた黒アゲハチョウだろうか。

 ナゴは空を優雅に飛ぶ黒アゲハチョウに手を振って笑みを浮かべている。あの黒アゲハチョウはやっぱり案内人だったってことか。

 あっ、ナゴの鼻先に留まった。


 ヘックション。


 ナゴの豪快なクシャミにビクッとしてしまった。もちろん、黒アゲハチョウは空へと避難している。


「まったく鼻先に留まる奴があるか」


 どこからともなく可愛らしい笑い声がしてきた。


「こら、笑うなクロアゲハ」


 笑ったのは、黒アゲハチョウなのか。そんな馬鹿な。


「ごめんなさいね。じゃ、また何かあったら呼んでちょうだい」


 ヒラヒラと羽を揺らしていた黒アゲハチョウは突然消え失せた。

 黒アゲハチョウが話すなんて。ここはやっぱり不思議な場所だ。

 黒アゲハチョウだけじゃないか。

 ナゴをチラッと見遣り、頬を緩ませた。


「ナゴ様、ナゴ様」


 騒がしい声とともに三匹の猫が転がるように目の前にやってきた。今度はなんだ。


「どうした団子猫」


 団子猫って。確かにまんまるで三匹並んでいると団子っぽく見えなくもない。三兄弟なのか。茶トラ猫だからみたらし団子ってところだろうか。


「この者がもしかしてヒカリ様の糸コンですか」


 糸コンって何のことだ。自分のことを言っているのか。どういうことだ。


「団子猫、糸コンではない、ない。えっと、なんだっけ。『い』で始まる言葉だってことはわかるんだが。むむむ」

「違いましたか。えっと、えっと。糸こんにゃくではないのですか。うーん、そうですよね。違いますよね。人ですし、意味がわかりませんもんね。糸コンじゃ」


 こいつらは何を話している。話についていけない。ここの住人の思考は普通とは違うのかもしれない。どっちにしろ自分は『糸コン』ではない。それだけははっきりしている。


 翼は『糸コン』との言葉を頭の中で繰り返してみた。

 もしかして『イトコ』って言いたかったのか。勘違いしているのか。ヒカリと自分は従兄いとこではない。


「あのさ、もしかして従兄って言いたいのか」

「ああ、それそれ。そうです。イトコです。流石、ヒカリ様の望まれた方だ。頭がよろしい」


 翼は苦笑いを浮かべて「どうも」と答えた。

 これくらいのことで頭がいいのならこいつらの頭の程度はどうなっている。ナゴも団子猫もかなり知能が低いってことか。まあいいか。考えないことにしよう。


「おい、翼。今、おいらたちのこと馬鹿にしなかったか。したよな」

「えっ、いや、そんな。馬鹿になんてしていない」

「そうか。それならいいけど」


 疑いの目を向けるナゴの視線を逸らして息を吐く。

 ああ、びっくりした。今のナゴの目には震えがきた。やっぱりナゴは本性を隠している。絶対そうだ。猫は気まぐれだから、突然豹変して襲って来るなんてこともありえるかもしれない。気をつけたほうがいい。


 猫は好きだけど、ナゴは普通の猫とは違う。神獣だ。そのことを肝に銘じておこう。


「あの、ナゴ。一応言っておくが自分は従兄ではないぞ。ヒカリがそう話していたのか」

「ふにゃ。違うのか。そうか、違うのか。あれ、じゃイトコじゃないのか。おい団子猫、ヒカリはなんて言っていたっけ」

「むむむ、なんでしたっけね。イト、イト……。あっ」

「思い出したか団子猫一号」

「赤い糸コン」

「なんだそれは」


『コン』が余計だろう。

 いやいや、それじゃ赤い糸になっちまうか。ヒカリと自分が赤い糸で結ばれているとでも話したのか。ヒカリの奴、まったく何を考えている。


「おい、ツバサ。どうした顔が赤いぞ。熱でもあるのか」


 ナゴが突然ベロンと顔を嘗めてきた。


「おいおい、やめろ。気持ち悪いし痛いぞ、やめろって」

「こりゃ、すまん」

「あっ、あああ」

「団子猫二号、どうした。思い出したのか」

「はい、間違いなく。ヒカリ様はこうおっしゃいました。ツバサ様に会いたいと」

「んっ、会いたい。それじゃさっきの糸コンはどこから出てきたのだ」

「さあ、どこからでしょう」

「団子猫三号、どこからではない。まったく食い物のことばかり考えているからそうなるんだ」

「それは、ナゴ様も同じではないですか」

「うるさい」


 どうやら図星みたいだ。翼はナゴの何とも言えない表情に噴き出しそうになった。


「あああ、そんな話をしている場合じゃなかったのです。あの、ナゴ様」

「なんだ」

「大事なことを話すのを忘れていました」

「むむむ、なんだとぉ。んっ、まさかおまえらおいらに黙って美味いもの食ったのか。そうだとしたら許さないぞ、団子猫」

「はい、そのまさかです。面目ない。って、海人族あまぞくの者にイワシ貰って食べたなんて話じゃないですよ。まったく阿呆なんですから。あのですね。あいつらですよ、あいつらが来たんですよ」


 いったい何の話をしているのだろう。あいつらって。団子猫が背後を指差している。翼は後ろを振り返るなり身体を硬直させた。


 凶暴そうな犬が数頭鋭い牙をみせつけて睨みつけていた。その牙からはねばりつくよだれがダラリと垂れている。野犬か。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だ。


「イワシ、イワシ、イワシ。ああ、イワシ食いてぇ」

「ナゴ様。ナゴ様。そんなこと言っている場合じゃないですって。ほら後ろ」

「うるさい。わかっている団子猫。おまえらは言うのが遅いんだ。くそったれ。ああ、まったく面倒なことになった。囲まれちまっているじゃないか。ここは一戦交えるしかないか」

「はい、ナゴ様」


 一戦交える。ちょっと待て。自分はどうなる。戦えない。翼は噛み殺される自分を想像してブルッと身体を震わせた。


「おい、お、俺は戦えないぞ。どうしたらいい」

「ふん、心配するな。おいらが守ってやる」


 ナゴが胸をドンと叩いてニヤリとした。本当に大丈夫か。かなりの数がいる。いくら強いとは言え、勝てるのか。


「ナゴ様。あいつら天魔の犬ですよ。いや、犬じゃなくて狼か。狗奴国からやって来たんですよ」

「そんなことわかっている。団子猫、口を閉じろ。今はあいつらに集中しろ、やられるぞ。狡猾こうかつな狼だから気を引き締めてかかれ」

「あっ、はい」


 天魔とは、いったいなんだ。それにあいつら犬じゃなくて狼なのか。狗奴国っていうのも気になる。野蛮な国なのだろうか。


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