【九】夢じゃないのか


「朝か」


 翼はぼんやりと天井をみつめた。

 なんだか不思議な夢を見た。巨大猫が鳥居の向こうからじっとこっちをみつめていた。ひとじいも出てきた。


 何か意味があるのだろうか。

 どうにも気にかかる。そういえば、行方不明のヒカリのことを口にしていた。


 星那ヒカリ。

 名前を思い出しただけなのに、胸が苦しくなった。


「惚れているってこった」


 えっ、誰。

 あたりを見回して見たが誰もいない。空耳だったのか。おかしい。確かに聞こえたと思ったのに。


 翼は小首を傾げて、ベッドに大の字になり再び天井をみつめた。

 今もまだみつかっていないヒカリ。神隠しにあったなんて話をする者もいたが、そんな非科学的なことがあるはずがない。ならばヒカリはどこに消えた。


 一緒に山を登ったという友達は助かったというのに。なぜヒカリだけ。いや、ヒカリの友達も助かったとは言えないのかもしれない。心が壊れてしまったと思われて、病人扱いされていたのだから。


 今は退院したようだが家に引きもっているらしい。彼女は真実を話している。ただ信じられないような話をしているから心が壊れたと皆が勘違いしているだけだ。


 最初は自分もまったく信じていなかった。

 吊り橋はあった。滝もあった。神獣と思われる者もいた。そうだとしたらヒカリはどこかで生きているのかもしれない。


 ひとじいと自分の転落事故もきっと何かからくりがあるはずだ。

 白大蛇が何かをした可能性もある。あのとき確かにひとじいは呑み込まれた。それは間違いない。記憶違いじゃない。


 ひとじいが亡くなったのは神域を荒らしたせいで天罰が下ったと話す者もいた。そんなことが本当にあるのだろうか。あるとしたら、自分はなぜ助かったのだろう。


 神様の思し召しってことか。わからないけど、おそらく天罰ってものは相当な悪い行いをしない限り下されないのではないだろうか。


 自分はそう思っている。なぜかというとひとじいは亡くなった翌日夢枕に立ってこう話したからだ。今思い出した。


『翼、供養してくれてありがとうな。おかげで成仏できそうだ。私は幸せものだ。あの世には神様自ら案内してくれるらしいからな。そうそう、大事な不思議な花の種はきちんと持っているか。しっかり育てるのだぞ。いいな。そうすればヒカリと再び会うことができるかもしれない。そんなことを神様はおっしゃっていた』


 あのときも不思議な夢を見たと思ったんだけど、違った。ひとじいとかたい握手を交わしたときのぬくもりが右手に残っていた。そんなこともあるのかとあのときは呆気にとられた。


 あれから五年。再びひとじいが出てきてくれたというのに。肝心なところははっきりしない。


 窓の外からの光が眩しい。見上げれば、澄み切った青空がそこにある。いい天気だ。

 あっ、そうだ。花だ、花。確か、夢で花が咲いて……。


 んっ、あっ。

 花が、花が咲いている。夢じゃなかったのか。


 五年も育てているが花を咲かせたことなど一度もなかった。花の咲かない植物だとばかり思っていた。光る花なんてない。そう思い込んでいた。

 キラキラと輝いている。どこからどう見たって光る花だ。


 翼は布団を剥ぎ取り、『さむっ』と思いながらもベッドから抜け出すと窓際に置かれた花へとゆっくり近づいた。


 やっぱり光っている。陽の光でそう見えるわけではない。自ら発光している。

 これはどういう原理で光っているのだろう。不思議だ。それに香りが強い花だ。どこかで似たような香りを嗅いだような気もする。なんの花だったろう。


 そうだ、ヒヤシンスだ。花はヒヤシンスとは似ても似つかない。いて言うなら形はチューリップ。

 この世にこんな花が存在するなんて。違う。この花は異世界の花だ。

 翼はハッとした。


「ひとじい、いるのか」


 振り返って見たがどこにもいない。気配を感じたのに。気のせいだったのだろうか。

 翼は頭を振り、違うと思った。見えないだけで、きっといる。ほら、笑い声が。


「ひとじい」


 それならば、巨大猫もここに来ていたのか。

 まさか、そんなことは……。もう一度、サッと振り返り壁を見遣る。もちろん、巨大猫はいない。壁に手を触れて確かめてみたがおかしな点はどこにもみつからなかった。天井が壊れていることもない。


 きっと巨大猫のことは夢だろう。そう思い込もうとしたがどうしてもできなかった。


 この世には科学では証明できないこともある。それでも巨大猫はありえないか。虎どころの話じゃない。象くらい大きかったか。それ以上だったかもしれない。


 しばらく壁に向かって考え込んだが答えはみつかりそうもない。再び光る花のもとへ近づいていく。


 もしも、巨大猫がいるとしたら……。

 花の中に女の子でもいたりして。ふとそんなことを思い覗いてみるが、女の子はいなかった。


 いるわけがない。

 翼はフッと鼻でわらい頭を掻いた。まったく馬鹿やっている。


 おやゆび姫とかかぐや姫とかみたいなことがあるはずがない。そんな展開になったら面白そうだけど。まったくそんなことばかり考えているからダメなんだ。いや、ダメってことはないだろう。


 妄想癖も小説を書く上では大事な才能だ。

 まあ、それはベストセラー作家だったらの話だ。自分は単なる素人作家だ。小説投稿サイトで書き続けている素人作家だ。一応、数人のファンはいるがそれでは飯は食べていけない。しかたがない奴だと自分でも思う。それでもいいじゃないか。いつかきっと書店に自分の本が並ぶと信じて書き続けている。


 貧乏上等だ。

 いやいや、満足なんかしていない。もっともっと頑張らなくてはいけない。まだまだ頑張りが足りない。努力あるのみ。


 貧乏脱出だ。

 今はまだ大学生だからなんとかやっていけているだけだ。

 少ないが親に小遣いもらっているし、バイトもしている。卒業するまでに小説家として本の出版にこぎつけられたら……。


 甘い。そんな考えでうまくいくわけがない。必死に取り組まなきゃ小説家になることなんてできない。もしなれたとしても問題は二作目だ。失敗すればそこで小説家の人生は終わる可能性だってある。


 あれ、何を考えているのだろう。

 そういえばヒカリとも将来の夢を語った記憶がある。ヒカリの夢はなんだったろうか。


「わかんない」だったかもしれない。そんなことはどうでもいい。


 ヒカリを探さなきゃ。

 この花が咲いたってことは、再び御弥山にってことだろう。きっと。

 それにしても、この花は不思議だ。

 光る花か。ファンタジーにはもってこいの花だ。


 ひとじいが渡してくれた種は不思議な花だったってことか。種の時点から不思議ではあったけど。

 また出てきて詳しく話してくれたらいいのに。何か知っているはずだ。


 あの世では光る花のことは皆知っているのかもしれない。勝手な想像だけど、もしもそうだとしたら教えてほしい。

 どうやったらヒカリのいる場所へいけるのか。この光る花を持っていけば連れて行ってくれるのか。


 今夜も出てきてくれないだろうか。

 ひとじいの笑顔が蘇る。同時に以前聞いた言葉も脳裏に蘇ってきた。


『ミヤヤマの神様は厳しくもあり慈悲深くもある。光る花が咲けば神様も認めてくれるはずだ』


 そんなことを話していた。

 厳しくもあり慈悲深くもあるか。


 翼は白大蛇のことを思い出し、ブルッと身体を震わせた。白大蛇が神様ならば慈悲深いという言葉は当てはまらない気がするがどうなのだろう。

 あいつはやっぱりただの化物だったのだろうか。またあそこへ行ったら今度は殺されてしまうかもしれない。


 んっ、待てよ。この光る花があれば違うのか。訊きたくても、もうひとじいはいない。やっぱりもう一度夢枕に立ってもらわなきゃダメか。そんな都合よくいかないか。


 他に何か話していなかったか。とにかく何か思い出せ。

 翼は頭を小突いてみる。小突いたところで記憶の抽斗ひきだしからポンと出てくるわけがない。そんな抽斗があるかどうかさえ疑わしい。


 んっ、あれ。一瞬、何か言葉が浮かんだ。


 えっと、えっと。

 あっ、『神獣』だ。そんなこと口にしていた。白大蛇が神獣ってことか。違う。蛇は獣じゃない。いやいや、神様の世界では蛇も獣の部類に入るのかもしれないだろう。そうだとしたらあの白大蛇も神様ってことなのか。


 ああもう、馬鹿だ。そんなことどうだっていい。

 御弥山のこともっと調べたほうがいいかもしれない。


『ヒカリ?』


 今ヒカリの声がしなかったか。振り返ってみたがヒカリはいなかった。当たり前だ。いるはずがない。空耳だ。

 わかってはいるが不思議と生きているように思えてしかたがない。


『頼む、生きていてくれ』


 翼はそう願い光る花にまた目を向けた。

 またあの地へ行くのか。今度こそ、ヒカリをみつけてやる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る