第7話 徒々草

 そんな約束をしっかりと胸に刻みながらも、カナリア号を失った私は禁じられた森をフラフラと彷徨っていた。


 自分の手で生み出した愛機をどうしても取り戻したいというのはもちろんだが、ちょっとした冒険心が全くなかったと言えば嘘になる。


 カナリア号は約束を破るための体のいい口実となったのだ。


 静かな森だった。


 私の頭の遥か上で青々とした葉が陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 時折、木々の間を抜けて涼やかな海風が私の長い髪を揺らす。

 風に乗って遠くの洋上に浮かぶ船の汽笛が聞こえた。


 禁じられた森は母の説明とは異なり、素敵な場所として私の目には映った。


 しばらくして、カナリア号を見つけた。

 ゴツゴツとした太い幹を持つ立派なクヌギの木の枝に我が愛機は不時着している。


 私は救出作戦をためらわなかった。

 服が汚れるのも厭わずに木の幹にしがみつくと、人生で初めての木登りに挑戦した。やり方はよく校庭で登り棒やジャングルジムをしている子を見ていたのでなんとなく知っていた。

 今は氷川の人間云々を言っている場合ではないのだ。

 カナリア号の命運が懸かっている。

 それに、禁じられた森に人の目なんてあるはずないのだ。


 救出作戦は成功した。

 木が少し傾いていたことと、カナリア号が引っかかっていた枝がそんなに高い位置ではなかったからだろう。


 さて、かの兼好法師は徒々草でこんなことを言っている。

「木登りで危ないのは高いところにいる時ではなく、降りてきて『もう大丈夫』と思ったあたりなんだ」と身分の低い庭師が言った時、『良いことを言うな〜』と兼好法師は感心したそうだ。


 当時、私は教養の一環として漢籍やら和歌やらを習っていたのだが、徒々草はまだ習っていなかった。

 だから、私はその有名なエピソードを知らなかった。


 私は地面まであと少しというところで油断した。


『あっ』


 手が滑ったと認識した時にはもう遅かった。

 景色がゆっくりと下から上に流れて、嫌な音と共に突然あたりが真っ暗になった。

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