2-8話


 お風呂から上がり、兎のワンポイントがついたパジャマに着替えて庭に下りる。多数の気配が裏門の方からした。

 茂みに隠れてのぞくと、黒服の組員がせわしなく行き交っている。開いた門の向こうには、フルスモークの黒い大型ミニバンが、エンジンのかかった状態で停まっていた。


「何があった」


 姿を見せたのは狛夜だ。闇と同化しそうな黒いシャツに白いベストを重ね、ジャケットを腕にかけた彼に、パンチパーマの側近が小声で報告する。


「……で、もめ事が起きとります。お客の一人が、支配人を呼べと暴れているとか」

「僕をあごで使えると思ったのかな。命知らずめ」


 狛夜の瞳が残虐な色に光った。昼間の彼とは正反対の雰囲気に、華は息をのむ。

 狛夜が乗り込むとすぐに車は出発した。組員は一列に並び、頭を下げて見送る。

 その端にいた豆太郎は、門の内側に戻ると、母屋とは反対方向へ歩き出した。


(どこに行くんだろう?)


 華は息をひそめて後を追った。

 道の先には広い駐車場があり、淡い色合いの水干衣装を着た妖怪の子らが群れていた。

 彼らは、母屋に住みこんで働く部屋住みと呼ばれるものたちだ。

 ハリネズミみたいにトゲトゲした髪型の男の子が駆け寄ってきたので、華は近くにあった車輪つきの小屋の陰に隠れる。


「豆太郎、お前は離れにいる人間の小間使いだろ。こっちに来ていいのかよ?」

「寝る支度はしてきました。ぼくも部屋住みですから、組へのご恩を返すため加勢に向かいます」


(豆ちゃんは良い子だなぁ)


 感心する華の腕に、何かがチョンと触れた。

 虫かと思って手で払うが、続けてチョンチョンとぶつかってくる。


「もう、しつこいな──、っ!」


 振り返った華は、息が止まるような衝撃を受けた。

 見上げるほど巨大な生首が、伸ばした赤い舌で華の腕をつついていたのだ。



「〜〜〜!」



 悲鳴を上げそうになった口を押さえて尻もちをつくと、豆太郎に気づかれてしまった。


「華さま!?」

「豆ちゃん、こここ、これは!?」


 豆太郎にすがりつく華を見て、男の子はあきれ顔になった。


「人間ってのは何にも知らねえんだな。こいつはおぼろぐるまぎっしゃの妖怪で、鬼灯組の運び役なんだぜ。役員や直参はかっけー自動車を持ってるけど、部屋住みは大抵これ。一号車から九号車まであるんだ!」


 華に興味を失った生首は、のそっと舌を引っ込めた。

 小屋だと思っていたものは、生首の本体である牛車だった。

 駐車場には同じような朧車が九台もあって、火の玉のヘッドライトを光らせている。

 先ほどの生首は、定員になるまで牛車の軒先で待機するようだ。


「鬼灯組にはこういう妖怪もいるんだね。教えてくれてありがとう、ええっと……」

「おいらはだまねずみたまさぶろう! 生国は雪国の山中だ。禁猟地に入ってきた人間の前で破裂して、脅かすのがお役目だったんだぜ!」

「す、すごいね……」


 自分を親指でさして格好つける玉三郎に、華はひくっと頰を引きつらせて笑いかけた。

 人を驚かせるためだけに、身を投げ打って破裂するなんて。


(怖い……! こんなに可愛い見た目なのに!!)


 華は豆太郎にがしりと抱きついた。一方、玉三郎は「そーだろ、すげーだろ! お前人間だけどわかってんなあ!」と鼻を高くしている。


「華さま、もうじき出発だと思うので離れに戻りましょう。ぼくも一緒に行きますから──」



 デン!



 豆太郎の声を遮るように、小気味いいデンデン太鼓の音が響いた。

 合図を待っていた生首が大口を開けて息を吸う。

 周囲に突風が吹き、談笑していた部屋住みたちは次々と牛車に吸い込まれていった。


「きゃーっ!」


 華と豆太郎、玉三郎も五号車に転がり込む。

 三人で定員になり、牛車の上部にある表示灯が『空車』から『満車』に変わった。

 生首が屋形の正面にドシンとはまって、朧車はふわりと浮き上がる。


「待ってください、降ります!」


 生首に訴えるけれど、朧車は止まらない。


「華さま、こうなっては仕方ありません。ぼくがお守りするので離れないでくださいね」

「うん……。ごめんね、豆ちゃん。迷惑をかけて……」

「よいのですよ。人間が妖怪を怖がるのは当たり前のことです」


 豆太郎は、華を安心させるために手をつないでくれた。小さな手はぽかぽかと温かい。

 高度が安定して、玉三郎が「朧車はようりょくで飛んでるから飛行機みたいに騒音がしないんだぜ!」と自慢してくる頃には、華のおびえは落ち着いていた。

 物見からそっと外を覗いた華は、不安も忘れて歓声をあげる。


「わぁ……!」


 真下に、街灯や家の明かりが揺らめく大パノラマの夜景が広がっていた。人間が眠りにつく頃合いに夜空を疾走するなんて、サンタクロースになった気分だ。

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