2-7話


 談笑しつつ和やかに食事を終えて、お手洗いに寄らせてもらう。

 袖に気をつけながら手を洗っていると、真正面の鏡の中で何かが動いた。


「なに?」


 華は後ろを振り向く。VIP用の個室なので、当然ながら他の利用者はいない。

 きょろきょろとこうべめぐらすと、荷物台の陰から顔を出した小さな獣と目が合った。


「いた!」


 華の声に驚いた獣は、台の下から飛び出してトトトッと壁を登り、換気口に入ってしまう。大きさはリスくらいだったが体は白く、しっは長くもっちりとしていた。

 今のは何だったのだろう。

 考えながら待ち合い室に戻ると、狛夜は知り合いの経営者と語らっていた。


(狛夜さんは、人間とほとんど変わらないな)


 だから、あまり怖くないのかもしれない。鬼灯組で唯一好意的に接してくれる狛夜の存在は、いきなりあやかし極道に巻き込まれた華にとって救いだった。




 大量のショップバッグをさげて屋敷に戻る頃には、空は暮れなずんでいた。

 華は、車を停めてくるという狛夜と別れて裏門をくぐる。

 一人でも迷うことなく離れに向かい、縁側に荷物を置いた。


「おい」


 顔を上げると、庭先に漆季が立っていた。

 きずあとの残る顔をしかめて、買い物の山を見つめている。


「どこに行っていた」

「日用品の買い出しに行ってきたんです。狛夜さんのご厚意で、お着物を見立ててもらったり、フレンチをごそうになったりしました」


 嬉しそうに笑う華に、漆季は舌打ちで返した。


「買収されたか……」


 そう言って、背中に手を回す。何も背負っていなかったのに、腕を引き戻した時には日本刀が握られていた。黒いこしらえに、赤い飾り緒が結ばれた太刀だ。


「ち、違います。買収なんてされてません!」

「黙れ」


 漆季は、さやを払った刀を問答無用で振りかぶった。


「華!」


 腕を後ろに引かれて華はよろけた。攻撃からかばうように狛夜が体を滑り込ませ、白銀色のけんじゅうで刃をガチンと受け止める。



「彼女の前で、チャカ拳銃なんか抜かせないでくれるかな?」


「狐野郎、きょうな手を使いやがって……」



 地をうような漆季の声には、凶暴な怒気が宿っていた。

 ゾッとする華をしりに、狛夜は薄く笑って刀をはじき飛ばす。


「鬼灯組の一員として、新生活を始める手助けをしただけさ。女の子なんだから、寝て起きるだけでも必要なものがごまんとあるんだ。そんなことも知らないで、鬼灯組の次期組長になれると思っているのかな?」

「黙れ。新参者が」

「新参って言っても、僕が入門したのはもう四百年も前だよ。古参ぶるのは止めてもらおうか。君より僕の方が、組での地位は上なんだからね」

「……チッ」


 舌打ちした漆季は、華に怒りの標的を移した。


「金になびいてんじゃねえぞ」


 それだけ言い残して庭に消えていく。

 ぼうぜんとする華の肩に、拳銃をしまった狛夜が手を添えた。


「大丈夫だった?」

「はい……」



 何とか答えたけれど、血の気が引いた華の体は、春の夜風より容赦ない鬼の冷たさに震えていた。



◇◆◇◆◇



 漆季との一件の後、狛夜は離れに可愛らしい男の子を連れてきた。


「ぼくは豆狸のまめろうと申します。狛夜兄貴のご命令により、華さまの世話人となりました。尻尾を隠せない未熟者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 垂れ目がちの大きな目や、茶色に黒メッシュが入った丸い髪型が愛らしく、きくとじのついた水干とはかまは時代劇に出てくる子役みたいだ。しまが入った尻尾には葉っぱがついている。

 こんな可愛らしい妖怪もいるのだとほっこりする華に、狛夜が説明をくれる。


「この離れは、ヒラの組員が入れないように結界を張ってある。近づけるのは僕と組長、幹部連中とこの豆太郎くらいだよ。だから、安心してね」

「ご親切にありがとうございます。狛夜さん」


 華が頭を下げると、狛夜は青いひとみいとおしげに細めた。


「君のためなら何だってするよ。豆太郎、あとはよろしくね」


 そう言って、狛夜は母屋へ続く渡り廊下を歩き去った。

 離れは、外廊下に囲まれた和室になっていて、こぢんまりした趣がある。

 立派な床の間と押し入れがあり、壁際には和風のキャビネットやドレッサーが置かれている。戸を隔てた向こうにある簡易キッチンやお風呂、トイレは華専用だ。

 怖い組員と顔を合わせずに生活できそうで、ひとまず華は胸を撫で下ろした。


「買い出しでお疲れになったでしょう。すぐにお湯をご用意しますね」


 てきぱきとお風呂を沸かして布団を敷いてくれた豆太郎に、華はすっかり気を許して彼を「豆ちゃん」と呼ぶまでになった。

 リフォームしたばかりのユニットバスはれいで使いやすい。

 洗い髪を兎柄のターバンでまとめて、ゆったり足を伸ばせる浴槽にはられた熱めのお湯にかると、今日の疲れがじわじわと抜けていくような気がする。


「次期組長選び、どうしたらいいんだろう……」


 手伝うとは言ったものの、狛夜とは交流できそうな一方で、漆季とはかなり難しそうだ。華を良く思わない組員たちの中でも、特に嫌われているような気がする。


(鬼さんには聞いてみたいことがあるのに……)


 今のままでは意思の疎通がままならない。次期組長を決めても、どうしてそのようかいを選んだのか確たる理由がなければ、逆恨みされて殺される可能性だってある。

 それぞれの派閥で争いが起きたら、甚大な被害が出そうだ。


 ──死ぬのは、嫌だ。自分以外の誰かが死ぬのは、もっと嫌だ。


 華の両親は火事で、祖母は病気で亡くなった。どちらも子どもの華には手の施しようがなかった。自分が味わった深い悲しみとない思いを、他の人にさせたくない。

 それがたとえ妖怪でも。

 誰かを思いやる気持ちは、好きや嫌いや苦手意識とは別の場所に宿るのだ。


『……こ……』


「ん?」

 何だか外が騒がしい。


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