第3話 想いを知恵に変えて

    四


 うさぎは、楓花の寝顔を見続けていた。

『加藤さんに似ているのだろうが、果して、私には、特に似ている箇所さえあるのだろうか?』と、少し落ち込んで終う。

 二十年前の加藤美樹 (楓花の母)との思い出をそれで、紐解き始めていた。



  二十年前 (西暦2001年の夏)


 うさぎはバス会社で運転士をしていた。

 会社内のサークルで、恒例のバーベキューに繰り出した。場所は横須賀から遊覧船で行く猿島さるしまである。ちょうどそのころ、海の日という祝日が施工されて、暑気払いを口実に、日頃のストレスを発散していた。


 面倒見の良い先輩が、知り合いの娘さんを連れてきた。時代は平成であったが、古き良き時代は、お節介を趣味?にする人がいた。

 面倒見の良さが過ぎる為に、少し浮いた存在の人。何時の時代でも、好意を悪とみる人はいなかった。

 限度を弁えても、手を出してしまう人。その謂われから、『人情味に厚い』が、気質とみられていた。


 これ以上ない、と想うほどのお膳立てが揃い、男女の距離は縮まっていった。元来、異性とのご縁に疎い者に、その関係を維持する気持ちはなかったのだろう。三カ月ほど経過した秋口に、ご縁は完全に切れていた。そのご縁を切ったのは、夜の彩りに塗れた社交場に、ダイヤの原石を見つけてしまったのだ。

 ダイヤが夜のネオンに温められて孵化して、妖しげな蝶に変貌を遂げた。

 蝶の名は鈴木真由美。

 神の見習いが心に宿る夜の蝶。

 カラクリ掛けに引き寄せられた、というしか、できなかった。


 今・目の前で寝ている少女が、その時の一粒種になる。うさぎの計算では、百パーセントの確証があった。夏の解放感と、諸先輩方の好意は、世間様が認める『社会人』としての自立を表していたからだ。気が多いと形容ひょうげんれがちだが、然るに距離の壁が存在するだけだった。


 事件から一年を経過して、傷は目立たなくなっていた。しかし、心に負う疵は、癒すことは皆無に近い。死んだことにしたのは、疵を癒す為だった。周りに集う仲間たちが、見えないに、拘る習性を理解してくれていたのだった。

 これが『大いなる力』が働いた結果なのか、確かめるすべはなかった。楓花に不憫な想いを、させて了ったことだけが、結果として残っていた。今は、全てをなげうつ気になっていた。


 楓花が、それを望むか? 解らないが、無責任の皺寄せを修復したかった。


「なんで、はなの下を伸ばして? いるのよ」

 目覚めの一声が、花も恥じらう乙女のものとは想えなかった。

 眼を点にしたうさぎは、手で鼻の下を弄っていた。

「冗談に決まっているでしょ、冗談よ」

 楓花がこしらえたは、笑顔に変化していた。

「親を揶揄からかうとは、躾がなっていませんね」

 うさぎにも、悪戯小僧の記憶が、甦っていた。

「親?、おや・オヤだね」

 調子に乗ったうさぎは簡単に、たしなめられていた。


 ミネラルウォーターを煽り、正気を取り戻した楓花は、

「なんで?」と、不満を露わにした。

 漂う不信感に応えようとして、

「云いたくなければ、聴きません」と、対応していた。

「ずるいわね!」

「はい、これでも親ですから」

「なら、云わない」

「食事にしましょう」

 うさぎは言うと、台所に向かい、席を立った。


 食卓につき、

「二日酔いでも、蕎麦なら食べられるでしょう?」

 見詰めた目が、彩りを撒き散らしている。

「おそばに置いておきたい。な~んてことなんでしょ」

 楓花は言いながら立ち上がり、うさぎの対面に腰掛けた。

 食卓に用意されていたものは、盛り蕎麦だったが、つけ汁から湯気が立ち上っていた。

「ばれてましたか」

 うさぎは笑みを投げ掛けるが、楓花は下を向いたまま、わなわなと身震いしている。


「なんでよ!」

「温かいうちに、食べましょう」

「ずるい!」

 楓花は云うなり、箸を取り、蕎麦を摘まんだ。

「私にも、人並みの経験がありますからね」

 うさぎは、楓花と同じようにと努めていた。

 楓花は、うさぎの方を一別もしないで、ズズ、ズーと、蕎麦を流し込んで、口腔内に残る固唾と一緒に、蟠りをゴクリと呑みこんだ。箸をおき息を整えて語り始める。



 あたしが販売機でミネラルウォーターを買うと、離れた場所によたよたと与路迷よろめ老人おじさんがいた。


 あたしがキャップを開けミネラルウォーターを流し込んでる間に、おじさんが近付いていた。

 あたしが残りをあげようと踏み出したら、後ろから羽交い締めにされたの。

 目の前に躍り出た奴がいきなり、あたしにボディーブローを繰り出した。

 あたしは身を屈めるしか、できなかった。


 奴は、あたしを殴ったあと、着ていたパーカーを脱いで振り回しながら、おじさんに近付いていったわ。

 羽交い締めにした、奴も仲間だったみたい。

 崩れ落ちたあたしにケリを入れてきたの。あたしが立ち上がれなくなるまで。なんども、何度も。あたしそれで、気が遠退いていった。


 ケリから解放された時、あたしは気絶寸前だったけど、おじさんが気になったから、辛うじて意識を保てていた。

 意識が霞む中、おじさんを見つけると、パーカーを振り回す奴から、逃げようとしていた。

 パーカーを振り回す奴が、それを追い回し続けていた。おじさんが脚を縺れさせ、振り回していたパーカーが、首にかけられた。あっという間に、おじさんは寝転ばされていたわ。

 奴は腰を下ろし両足で肩を抑えている。

 身動みじろぐおじさんは、あたしを羽交い締めにした奴に両足を押さえつけられた。

 その光景が暫く続き、その間の時に、もうひとり現れていた。


 事切れた後はおじさんから離れ、後から現れた男のもとに集まっていた。

 手渡されたものは、暗くてよく見えなかったけど、小包だった。片手で握れる大きさのものだった。

 あたしは蓑虫みのむしのようにつくばった。だけど虚しいことに、途中で意識が飛んじゃった。


 楓花が言い終わると同時に息をつき、再び箸を取り、蕎麦を啜り込み始める。俯いたまま、込み上げるものを押し込むように、蕎麦を流し込んでいた。


 うさぎは話しを聴き終えても、箸を動かせないでいた。思考の中を駆け巡るものは、フツフツと湧き出す怒りだったが、そのいきどおりは本来、楓花のものだと知っていた。

 口をついた言葉は、

「仕返ししたいですか?」であった。

 楓花は感情を捨てるか、のように、

「別に」と、云いはなった。

「どうして? です。おじさんに手向けるものを持っていないから、ですか」

 うさぎの方が納得できないようで、食い付いていた。

「違う、と念うから」

「なにが違う? のですか」

「どんなことをしても、おじさんは生き帰らないんだよ」

「自分の力のなさを、知って終ったのですね」

「母にしても、帰らないの。あたしがすることは、死んだ人がこの世に存在した事実を、受け止めてあげるだけ」

「どうやって、受け止めるつもりですか?」

「働いてお金を貯めて、奴等に引導を渡してやるわ」

「それを復讐というのですよ」

「それくらいのことは、知ってるよ」

「江戸時代ならそれも赦されました。ですが今が、令和ということに気付いてますかね」

「ならどうすれば良いのよ」

 うさぎが、楓花の想いで覚悟を決めた。

「次なる被害者を出さない為に、自分が標的になる覚悟を決めるのです」

「引導を渡せば、必然的にそうなるわよ」

「解りました」

「どう解ったのよ」

「けりをつけましょう」

 うさぎは利き手の人差し指で、楓花の口を抑えて、携帯電話を取り出した。

 荒井に全てを打ち明け、半グレ集団の壊滅作戦が、ここから始まった。

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