第2話 人に云えない想い出

    三


 警察署に居ることが、発疹むずがゆさの基になっていた。向きや方角は各署で違うが、空気感自体が尋常に受け取れないのが、警察署だった。免許証の更新で多くの市民が来ているが、検挙されてない違反に、内心はやぶさかではないはずでだ。人の本音の部分は、誰でも同じだろうと想うが、厚顔無恥とりつくろうことができるのが人間であった。

 昭和の時代ならば、

 『叩けば誇りが出る』という熱血刑事が居そうだが、時の流れで、『暴力追放』のかけ看板を垂らし、モデル地区が市内を埋め尽くしていた。時代背景は、誰にでも平等だが、協調できない者を排除する傾向が強まっていた。


 全てを他人事にして、

「強行犯係は、どちらでしょうか?」と、低姿勢で案内係に訊ねていた。

 一昔前ようしょうじに、叔父から受けた躾は、『謙虚さこそが、人の嗜み』であった。

「反抗的に振る舞うことは、輩に成り下がることだ」 や、

「徒党を組めば、誰しもがひるむとおもうなよ」と、いうものに、

「折角親から貰った命なんだから、大事にしろ」

「若さの捌け口を間違えるな」 など。

 目を閉じるだけで延々と、おじからの説教が空想おもいだされて来た。

 やんちゃなくせに、心に響いた言葉は、

「目の前にあるものが間違いなら、相手を説き伏せるだけの、知恵を身に付けるんだ」であった。

 追加される言葉はいつも同じで、

「規則が間違っているならば、まず従うんだ。守れない者に、御託を言う資格はない」

 言った叔父は、泣きながら抱き締めてくれた。

 骨が軋むほど強く、一人前の男として相対あいたいしてくれた。今ではもう、若気の至りとして、色褪せた記憶おもいでになって終った。



「おっ、赤瞳じゃないか!」

 強面の風貌きぐるみに、しわひげでむさ苦しい男が立ち塞がった。

 うさぎはお辞儀をしてから、男の顔を覗き込んだ。


「荒井さん、ですか?」

「おぅ、覚えていたか」

 荒井と喚ばれた男は、安堵の笑みを浮かべたが直ぐに、

「また何かやらかしたのか?」と、笑みを消し、心配そうに問い掛ける。

「わ・私ではありませんよ」

 うさぎは、刹那に手を振っていた。そして、「何時まで経っても、やんちゃに見えますか?」と、切り返した。

「ん~~!」

 荒井は考えながら、うさぎの手をまさぐった。手錠はかけられていない。ちょっとだけ安堵はしたものの、直ぐに気を取りなおし、

「任意か?」と、半ばあきれ返っていた。

「娘の身元引受人として呼ばれたのですよ」

「娘?」

 今度は間の抜けた面持ちで、問い掛けていた。内心では、

『種食う虫も好きずきって言うからなぁ』と、自己完結にうつつを抜かしていた。

 そんな荒井を余所に、

「強行犯係に行きたいのですが」ペロッと、言い放った。

「?、生活安全課じゃないのか?」

 荒井は不意打ちを食らったように聴き返した。

「娘、だからですか?」

「あぁ」

 荒井は、ため息にも似た固唾を吐き出した。

「若しかして、あれか!」

 目線を宙に泳がし呟いた。

「なんですか、あれって?」

 荒井は視線を戻し、うさぎを見詰め返した。

「最近は、半グレと称される輩が乱立して、騒ぎを起こしてやがる」

「暴力団対策法で、支配勢力図が変わった。という報道は、よく耳にします」

「奴らにとっての目の上のたん瘤が、地下に潜ってくれたからな」

「なんでもあり、なんですか?」

「あぁ、薬も詐欺もなんでもやってるよ」

 うさぎは、荒井の言葉から、哀れみを感じ取った。

 胸騒ぎが気持ちを急かした。

「連れてって下さい」

 言うなり、荒井の手をとった。

 荒井はとられた手を振りほどき、踵を返した。うさぎはそれで覚悟を決める。

 寡黙に追従して階段を上った。


 三Fにある部屋は、肌を刺す空気感だった。

 扉を開けた荒井が徐に

「お~い、うさぎと名乗る娘を、連行したのは誰だい」荒井が声を張って、隅まで聴こえるように云った。

 侵入者に一別くれたものの、それぞれが何も無かったかのように無関心を決め込んでいる。行き場を無くした無機質が、刑事らしきひとりを立たせた。

「連絡したのは自分ですが、連行したのは、榊楓花という娘ですよ。荒井さんの知り合いだったんですか?」

「おぅ、長沼警視長の親戚らしい。それで、嫌疑はなんだい?」

「重要参考人です」

「第一発見者なのか」

「死体の横で寝てました」

「死体? 死因は?」

「絞殺です」

「凶器は?」

「鑑識さんが、布状と言ってました」

「見つかってるのかい?」

「まだです」

「それで、害者さんの身元確認は?」

「浮浪者の身なりなので、まだ特定できてません」

「浮浪者? ならば、動機が精査出来ないな」

「それで、弁護士の同伴をお願いしました」

「未成年だからかい?」

「事件を視ていた可能性があるので、事情聴取を行いたいのですが、多量の飲酒で、言ってることが理解出来ないからです」

 荒井が、うさぎに向き直り

「だってよ!」

「成人法が改訂されても、お酒は二十歳からですもんね。それでも、飲酒には同席していました」

「ごめんなさいして、連れて帰りたいかい?」

「勿論です」

 うさぎの気持ちを理解した荒井がにんまりして、

「親らしい顔つきになったな」と呟いた。

「叔父の気持ちが、やっと理解できました」

「手を焼く子供ほど、可愛いんだよ」

「有難う御座いました」

 うさぎは、これ以上無理というくらい躰を折り曲げて、感謝を表現した。

 お小言を経のように聴き、

「捜査の進展には協力してやれよ」と云われ、無事帰宅の途についた。

 二日酔いで項垂れる楓花を抱き支えながら、一抹の不安はあったのだが。

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