番外編 龍魔王の晩餐


このエピソードは、時系列上は本編の前日譚に当たります。

物語のネタバレはありませんが、物語を読んでから楽しむと面白いかもしれません。


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 その日、男はラーメンを嗜んでいた。


 場所は日本の片田舎。都心はおろか近郊の大都市からのアクセスも、お世辞には良いとは言えない、そんな地方都市。

 そんな寂れた駅前にそれはあった。周囲一帯に人ごみは見られない閑散とした街なのに、その店にだけはそこそこ長い行列が出来ている。

 それもそのはず。その店は知る人ぞ知る有名なラーメン屋であり、その男も口コミを耳にしてわざわざ片道4時間をかけて寄ったのだ。

 ふらりと立ち寄ったわけでもなければ、何かのついででやってきたわけでもない。正真正銘、そのラーメンを喰らうためだけに電車を乗り継いでここまでやって来た。

 男は、そういう生き物だ。美味を求める為ならば、如何なる時間の浪費も出費も厭わない。それが、男のポリシーだった。

 

「うむ! 美味ぐろぉりあす! 実に美味ぐろぉりあす

 長き旅路を経た甲斐があったというものよ! このとした味噌の味が、縮れ太麺に馴染む馴染むっ!

 この協奏しんふぉにぃ、1年や2年の修行では決して身につかぬ腕前! 実に賛美はれぇるやであるぞ店主よ!!」

「は、はぁ。ありがとう……ございます」


 男は叫ぶ。演劇の主役を演ずる役者のように、大袈裟な表現と身振り手振りでそのおいしさを表現する為に。

 その姿は荒唐無稽なほどにオーバーであり、一見すればふざけているかのようにも見える。だが、その姿を目の前にすれば分かるだろう。男は本気で、心の底から、ラーメンの味を褒め称えているという事を。

 バカみたいな身振り手振りも、意味不明な形容詞も、芝居がかった口調も、男にとっては全てが本気なのだ。

 店主はその事実に困惑しながらも、こういった客もたまにはいいものだなと思いその賛美を受け取った。

 表現やしぐさはどうであれ、称賛は称賛なのだ。それに対し、素直な気分の良さを店主は感じていた。

 まぁ、少しは周囲の客の迷惑も考えてほしいとも思ったが。


 男の名は、室岡霧久。無職。

 外見は20代後半から30代前半の青年に見えるほどの若々しさを見せているが、その実、年齢は60を超える。

 日本の高度成長時代が陰り斜陽になっていく様をリアルタイムで見続けた男であり、同時に様々な特撮物が乱立しては消えていく時代を体感した男でもある。

 だが、その実年齢とは打って変わって男は性格も内臓も若々しい。その証拠に、男は『味噌バター炙りチャーシュー麺特盛』を胃もたれする事も無く平らげている。

 それどころではない。男はその特盛に加えて、炒飯と餃子と炙りチャーシュー丼まで注文している始末だ。半炒飯ではなく、1人前の炒飯をだ。

 

 何故、それほどの食事を?

 理由は簡単だ。男は、食を愛しているからだ。

 いや、正確には少し違う。男は、人間が紡ぐ全てを愛している。

 人間が生み出す技術を、学問を、歴史を、職人技を、工夫を。その全てをこよなく愛しているのが、室岡という男なのだ。


 食事とは、人間の歴史の1つの結晶であると室岡は考える。

 より多くの食材を食えるように、より美味なる調理法を見つけるために、人類は何百何千年と研鑽と工夫を積み重ねてきた。

 故に美食には、人間の歴史の全てが詰まっている。美味なる食事を喰らえば、その人間の持つ全てが理解できる。それが、室岡の哲学だ。

 だが人間の持つ食事の機会は、余りにも限られている。人間の一生を100年と仮定したならば、それ×365×3食。ほんの11万近くしか、人間はその一生で食事が出来ないのだ。

 その程度の数では、人類の今までの叡智を全て食らい尽くすなど出来るはずがない! おお、なんと嘆かわしい! 目の前には無限に等しい人類の工夫と進化の結晶が散らばっているにもかかわらず、そこからほんの11万少ししか選べないというのか!

 そう考えた室岡は、1食で限界まで喰らうと決意した。勿論、限界まで喰らったうえでその一口一口を髄まで味わい尽くす。縮れ太麺に絡む濃厚味噌スープの一滴から、炒飯の米が纏った動物性油脂の一片に到るまで、その全てを味わい尽くす。

 これが室岡という男だ。彼という男の思想なのだ。信条と言ってもいい。


『これヤバくね!? メガ? メガ盛り!? 何人前だよこれ!』

『頼もうぜこれ! 大丈夫いけるっしょ!』

「(ふっ、若人たちよ。貴様らも俺と同じように、瞬間瞬間に美味を詰め込むか。

 それでいい。人生僅か70年と先人が言ったが、人間の生とはかくも短いものか!

 楽しめ。楽しむのだ。その命尽きるまで──────)」


 背後に響く若者たちの談笑に耳を傾けながら、室岡はラーメンを味わい物思いに耽る。

 そんな中、突如として室岡の懐にしまっていたスマートフォンがバイブした。室岡は露骨に舌打ちをし、そのスマホを取り出し通話ボタンをタップする。


「貴様、この俺の至福なる食事時を邪魔するとは、いい度胸だ。

 次に出会った時は、屠殺された豚の如き惨劇を味わうと思え」

『出来ると思うのぉ? 私の可愛いペットたちを、潜り抜けられるんならねぇ~?』

「呵々大笑とはこのことだな。竜を前に人がどれだけ群れようが、所詮は有象無象でしかない」

『化け物を殺すのは、いつだって人間の役割でしょう? それに掃いて捨てるほどのゴミでも、積もれば数多の命を侵す毒になるのよぉ? 試してみるぅ?』

『ふん。まぁ、数を至上とする貴様にどれだけ言っても、詮無きことか。

 早く用件を言え。貴様の声を聞き続けているだけで、味噌の味が薄まる気分だ」

『随分な言いよう。まぁいつもの事だから良いけどぉ。

 バルバロッサからの伝言よ。"夜会パレードの準備が整った"。"場所は白鷺町"。"来れる奴全員集合"。

 そんだけ。良いぃ?』

「悪いが遠慮する。奴とは懇意にしている身ではあるが、今は狙っているものがあるのだ。

 数多の化生を切り殺した刃。醒遺物フラグメントと化していると知ったなれば、狙わぬ選択はない!

 俺が魔王となる最後の1ピースとして、この手に納めさせていただく。夜会パレードにはその後に参加で良いな?」

『前に話していた醒遺物フラグメントぉ? ま、来ないなら来ないで良いわよぉ?

 私としては、あんたの顔見ないで済むから清々するわぁ』

「それはこちらの台詞だ」


 吐き捨てるように悪態付き、室岡は乱暴に通話を切った。

 はぁ、と短くため息をつきながらスマホを懐にしまい、そして後悔する。ああ、無駄な事に時間を費やしてしまったと。

 男が取った電話は、彼が所属する組織『狂酷体系ルナ=テクニ=クルエル』の集合の連絡である。だが、今の彼にはそれに応じる気は微塵も無かった。

 その理由は、先の会話の通りである。今の彼は、長きに渡って求め続けた物が手の届くところにある状態であった。それがどのようなものなのか詳細を語るまでもないほどに、男は分かりやすく興奮していた。有り体に言えば、彼は"ワクワクしている"状態にあったのだ。さらに、美味なる濃厚味噌ラーメンに出会えたことも手伝い、今の彼は小躍りしたいほど、単純に気分が良かった。

 そんな有頂天の中、応じる気もない招集の電話を取ってしまい、水を差された気分を彼は抱く。そんなささくれのような気分を忘れるためにも、そして同時に一刻も早く美食を食べ尽くすためにも、室岡は中断していた食事を再開する。

 つまらない事に時間を使ってしまった。麺が伸びたらどうしてくれる。ああ、早く食らい尽くしたい。それが、今の彼の脳裏を支配する感情の全てだ。

 今の彼にとって、目の前の美味を喰らい尽くす事は何よりも優先される命題とすら言える状況であった。


「(まったく、しがらみのない狂人群衆に所属したは良いものの、何処に行っても人間関係というものは付き纏うな。

 まぁ、1人で中東の紛争地帯を荒らしまわっていたあの日に比べれば、安寧秩序とした毎日ではある。だが、どこか物足りぬ。

 同好の士に出会える今の日々は、安定こそすれ刺激が足りぬ。あの若人たちのように、恐れを知らぬ日々に戻りたいものだな)」

『やべー! 想像以上にメガ盛りやべー!』

『あたしもうお腹いっぱいだよー!』

「(やはり魔王だ。魔王として立つ日々こそ俺には相応しい。戻るか。あの輝かしい日々に。いや、その更なる最果てへ!

 その為にもやはり醒遺物フラグメントだ。まずはこの特盛たちを味わい完食し、そしてあの町へ──────)」

『ごめん食い切れねぇわ! 残そうぜこんなの! 無理無理食い切れね』



 瞬間、若者たちの肉体が微塵に砕け散った。



「優先事項が変わった。殺すか」

「ぁ──────……? え? はぇ……っ?」


 室岡はゆっくりとカウンターから立ち上がり、そして後ろの席で談笑若者へと振り向く。

 若者たちは、4人一組でこの店を訪れた、地元の学生たちだった。その4人のうちの1人が、ふざけ半分でこの店で最も量が多い"メガ盛り"を注文した。それが全ての発端だった。

 その注文した若者は、メガ盛りの量を前に完食が出来ないと悟った。仲間たちに手伝ってもらいながらも、無理だと分かった。故にそのメガ盛りを残すと選択した。


 それが、室岡の逆鱗に触れた。

 4人の若者の内3人は、微塵に砕かれて殺された。罪状は、男が食い切れぬと分かっていながらその暴挙を見過ごした罪。

 食事を残すと決めた1人の若者は、意識があるまま三千四百七十五の肉片になるよう、つま先から徐々に徐々にと切り刻まれた。


「何故、このような惨劇を味わっているか分かるか? 愚かなる若者よ」

「お前たちは、食を侮辱した。人間が数千年に渡り研鑽し続けた大いなる技術、その最先端を侮辱した。

 食事を残すとは、そう言う事だ。米粒を残せば目が潰れると、親に教わらなかったか? 教わらなかったか。憐れ極まりない」

「なれば痛みを以て教えよう。その痛みと共に、魂に刻むが良い。食を無駄にするという事は、人類史を侮辱するという事だ。

 お前たちの魂が生を受ける遥か昔より、脈々と受け継がれてきた人類の歩み。その一端を、お前たちは常に味わい生きているのだ。

 ……と言っても、もう聞こえはせぬか。こんなにも早く死んでしまうとは他愛ない。せっかく俺が高説を垂れてやったというのに、なぁ?」

「ぁ……ああ……っ!!」


 若者を切り刻み終わり、室岡は隣の席に座っていた女性へと笑いかける。だが女性は、恐怖ゆえに言葉を失っていた。

 その恐怖の理由は、男が躊躇なく殺人を行ったからではない。店内が一瞬のうちに鮮血に染まったからでも、男が血に塗れたラーメンを悠然とすすっているからでも、ない。

 彼女が恐怖している理由は、室岡の姿にあった。男はその姿が、人間とは思えない物へと変貌しているのだ。両腕はまるで甲冑のように煌めく鱗と、刃の如き鋭いかぎ爪を備えている。顔にも同じような鱗が侵食し、そして顎には鋭利なる牙が生えそろっている。背中からは、小さくはあるが翼のようなものが生えているようにも見えた。



 その姿はまるで、伝承に語られるドラゴンそのものだ。



「化け物おおおおおおおおおおおおお!!!」

「なんだなんだ五月蠅いなァ。食事時は静かにせねばマナー違反であろうが。

 オイオイ逃げるなよ皆。確かに食事を邪魔した非礼は詫びる。美味なる拉麺を汚物共の血に塗れさせた事は痛恨の極みだ。

 だが俺には蓄えが十分にある。お前たちが無駄にした食事は全て俺がおごってやる! だからどうか静まってはくれんか? 聞いちゃいないか」


「困ったなぁ。これでは俺が悪者だ。

 魔王として恐れられるのは気分が良いが、悪を断罪して恐れられるようでは気分が悪い。

 ……ああ、そうか。此奴こやつらもしや、あの愚かな若者達側に賛同するわけか?」


「そうだよなぁ。飯を残すという愚行に到りそうな若者がいれば、先人たるお前たちが制止するはず!

 俺は許容したが、お前たちは良識がある故なぁ! それをしなかったという事は、お前たちもあの愚かな餓鬼たちと同じだったわけか!

 そうかそうか! それは察しが悪く申し訳ない!」



「ならば皆殺しだ」



 その日、1つの小さな町が、地図から消えた。


 死者432名、負傷者2385名。生き残った人の97%は、重い心的外傷を患い、数年内の社会復帰は絶望的な状態だった。

 その全てが、口をそろえてこう証言した。『ドラゴンが出た』と。学者はこの証言を、突発的な災害を前にした記憶障害だと結論付けた。


 だが、知る人ならば一瞬で理解できた。

 それは災害であり、災害ではない。『人間災害』室岡霧久の仕業であると。

 空想上の存在であるはずのドラゴンへと変成し、常識では考えられない異能を幾つも司る存在。人間の形をした厄災。それが、室岡という男の正体であった。

 

 ドラゴンへと変貌する。それだけ聞けば、確かに恐ろしい存在であると思えるだろう。

 だが、彼が真に恐ろしいのはその持つ異能──────俗にロゴスと呼ばれる力ではない。

 彼の本当の恐ろしさは、その精神性にある。『ただ背後の若者の行動が気に食わない』。それだけの理由で数百人を惨殺し、、数千人という人間をいとも容易く不幸にし、街一つを壊滅させる。それを躊躇なく出来るのが、室岡という災害の本質であった。

 表面上はもっともらしい理論を宣いながら、その実あるのは己にとっての快不快、あるいは損得のみ。彼の前ではあらゆる道理も、倫理も論理も、摂理すらも意味を成さない。

 徹頭徹尾、己のみ。天上天下に唯我独尊。ただ己の愛する人類の技術と叡智、それを愛でて楽しみたい。邪魔するものは皆殺しであり、それを冒涜するものも鏖殺みなごろし。

 それこそが室岡だ。人間賛歌を謡いながら人を屠殺し、美しい微笑みの直後に怒り狂う。理路不整然の極みこそ、彼が人間災害と呼ばれる所以だった。


「おっとぉ、もうこんな時間か。少し、癇癪が過ぎたか。

 いかんなぁ。年を取ると怒りっぽくなる。本当に、年は取りたくないものだ」


「若さの秘訣は、何時いかなる時も張りのある人生を、だったか。

 ならば俺も取り戻しに行くとするか。かつての魔王たる栄光を」


 災害は一通り街を破壊しつくしたのちに、当初の目的地へと身じろぎし鳴動を始めた。

 彼の目的。それは『魔王となる』ことである。何を馬鹿なと思うだろうが、彼は至極大真面目にこの目的の為に生き続けているのだ。

 彼は人類を憂いている。彼は人類の生み出す叡智や技術を愛しているが故に、それが停滞することを嘆き悲しむ。その停滞を生まないために、自分に出来る事は何か? 彼は大まじめに考え、悩み、苦悩した末に1つの答えを出したのだ。


 俺自らが、進化を促す人類の敵になればいい、と。


 その為に彼は、醒遺物フラグメントと呼ばれる超常の力を狙っている。その選択が何をもたらすかは、彼自身も分かっていない。

 ただ直感のみで力を求め、ただ気の向くままに魔王になろうと目指す。まさに、向かう先の読めない災害のような男。これが、室岡という男の全てである。


「さァて、鳶原か……。どのような飯があるのか、楽しみだな」


 ニタリと室岡は、夜空を見上げながら微笑む。その頭上には、三日月が照り輝いていた。



 三日月は今の彼の信仰を表すかのように、吊り上がり微笑んでいた。

 

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