第44話 破滅掌者の救誓譚



──────激闘を終えてから、数週間が経った。

三者面談を終えた姉は自宅を離れ、遠くの博物館へと出張していった。

これでまた俺は数ヵ月の間、一人暮らしになる。年頃の高校生にとって、1人の時間は至福の時だ。

……その筈なのだが、今の俺は1人とは程遠い時間を過ごしていた。


「ほら始さん。制服のタイが曲がっていましてよ。

 こんなんじゃお姉さんに報告できませんので。はい、これで良し。写真写真っと」

「毎日写真を送られても正直迷惑だと思いますが! 月1程度でよろしいかと!」

「あら。詩遠さん直々にお世話係をお願いされた身ですもの。これくらいは当然ですわ」

「オイ早く食わせろ。ジャムとバターが無いぞ。あとポテトポタージュもだ。

 表に出ている間ずっと玩具になってやるのだから、相応の代償を寄越せ」

「自分で出せやそのくらい! 棚ン中にあるから取ってこい!」

「神に命令とは……罰が当たるぞ御身おまえ


平日の朝、騒がしさに俺の家は満ち溢れていた。

クリスは飯を求めて気ままにうろつくし、ディアドラは勝手に家に上がり込んで仕切り始めるし。

と言うか、何で2人揃ってうちに来ているんだ。隣の部屋で飯を食ってくれ。


何故こうなっているのかと言うと、激闘が終わったあの日にまで遡る。

俺はロゴスについて学ぶべく、まだR.S.E.L.機関の一員にはなれない日々が続く事となった。

それは良いのだが、俺のお目付け役としてディアドラが選ばれた事は寝耳に水だった。

と言う経緯があって、彼女は俺の住んでいるアパートの隣の部屋を借り、こうして俺と共に過ごす日々を開始したわけだ。


クリスはと言うと、現在はディアドラと同じ部屋に2人暮らしをしている。

年頃の男子が、醒遺物フラグメントとはいえ女性の姿をした存在と2人きりで過ごすのは倫理的にどうかとなり、ディアドラと過ごす事になったらしい。

1部屋隔てた程度の距離ならクリスと俺の契約関係も薄れないらしく、ひとまず日常生活を送る程度ならば好調なそうだ。

……なのだが、2人とも平気な顔をして俺の部屋に上がり込んでは勝手に世話を焼いたり、あるいは世話を焼けと強いてくる。

ディアドラに至っては、俺の姉といつの間にか関係を構築しており、それにより得た大義名分で俺の生活を管理している有様だ。

まぁ、機関のエージェントとして俺を監視したいのもあるだろうし、そういう意味では仕方がない事なの、か?


「おい緊急事態だ! ジャムの蓋があかん! 何故だ!」

「砂糖が固まってんだろどうせ! 温めれば自然と開く!」

「あら、火が必要ですか? では少々お待ちくださいね。お出ししますので」

「要らん要らん! うちのアパートを火事にする気か!」

『ようお前ら、元気してるか? 元気だな。 オーケー快調快調』


朝食を食べる居間でてんやわんやしていると、突如としてテレビの画面が切り替わりレイヴンの仮面をつけた顔が表示された。

余りの唐突さに俺は誇張抜きでコーヒーを吹き出した。ディアドラやクリスにかからなかったのは幸いだが、朝からとんだ災難だ。

というか、説明なしに俺の家のテレビを改造しないで欲しい。


「ああもう! 布巾持ってまいりますわね」

「すいません。いつの間にかうちのテレビが機関に接続されている事について、理由を聞きたいんですが」

『なぁに、ちょっとディアドラの端末と繋げただけだ。外せばすぐに戻るよ』

「そうじゃなくて! ニュース見ている間に突然どでかい顔が映るのが心臓に悪いんですよ!」

『あー。それは、すまん。以降気を付ける。呼び出し音でも付けるか』


そう言う問題だろうか。割とお堅いような雰囲気をしている割に大分マイペースだなこの人。

ロゴスに関わる人と言うのは基本そうなのか? ディアドラも生真面目なようで割と抜けている所があるし。

ここ数週間過ごして分かったが、意外と方向音痴だったり、褒められると思いの他嬉しがったりと意外な一面も多く見れた。

何より意外だったのが、日常生活がかなりだらしないという所だろうか。この前部屋を偶然目にしたら、足の踏み場もない光景がちらりと見えた気がする。

クリスに片付けや掃除などといった甲斐性は期待できないだろうから、恐らく苦労しているんだろうな。

あれ? かなりの頻度でうちに2人が顔を出すのは、もしや部屋が快適に過ごせないからなのか?

今度、掃除を手伝ってやるべきだろうか。


『そうだ、本題に入ろう。ロゴスを学ぶ拠点が完成した』

「あ、俺とクリスがロゴスについて学ぶって言う、例のあれですか?」

『ああ。場所は鳶原駅前ビル2階。学習塾に擬態しているから、気軽に来てくれ。

 俺はいられないが、時間のある機関の関係者やディアドラらが交代で君にロゴスのイロハを教える予定だ。

 人手不足ではあるが、貴重な善玉の破滅掌者ピーステラーを囲い込めたんだ。総力を挙げて、戦力に育て上げていくぜ』

「おお、じゃあ今日の放課後からまた会えるわけか。よろしくなディアドラ」

「そうですね。これからもよろしくお願いします」


ロゴスについて学ぶ。これは俺が機関の一員になり、ひいては世界を救うために必要不可欠な事だ。

今の俺は初歩の初歩しか知らない。数学で言えばようやく四則演算を覚えた領域だ。こんなんじゃプロには太刀打ちできないだろう。

だからこうして、日常生活の合間で様々な知識を身につけよう、となったわけだ。最も、平日は学校があるので、基本は休日か放課後での学習となる。

これから先、放課後は自由な時間が無くなるだろう。そうなると学校における、部活連中への手伝いができなる訳だが。

まぁ、塾か何かに腰を据えたいと思っていたので、ちょうどいい話ではあるか。

いい加減、俺を取り合うあの喧噪にもうんざりしていた事だしな。


「そう言えば、ディアドラは朝から昼は何やっているんだ」

「学校で過ごしている貴方が力を使わないか監視していますが?

 それに、醒遺物フラグメントが覚醒状態で存在し続ける事への人々への意識の影響の調査。

 環境の変化の測定に、あとは他の醒遺物フラグメント案件の調査サポートなど。やるべきことは尽きる事ありませんわ」

「そう、か。悪い。一緒に学校とか行ければな、ってちょっと思っただけで」

「あ……。そ、それはその。また、いずれ……」

「も、もしかして学校行くの辛い、とか? 昔の事でちょっとトラウマあるとか……」

「おい始、また出ているぞ。その過剰な同情癖が、な」

「ああー、悪い。またやっちまった。ごめんディアドラ」

「いえ、良いんですよ。過去に囚われてる私も悪いのですし」

「それは此奴にも刺さるから言わんでやれ」


クリスがこちらを指差しながら言う。

確かにこいつの言うように、両親を助けられなかったトラウマから人助けを今も続けているというのは、過去に囚われていると言えるかもしれない。

けど、今やそれは俺の一部になっている。その人助けへの固執が無ければ、ディアドラやクリスと出会えなかったわけだし、自分を大切に思える事も無かった。

そう言う意味では、過去に囚われるというのもあながち悪い部分のみという物でもないのかもしれない。


「何をニヤついているのだ、気持ち悪い」

「いや。過去を振り返るのも、案外悪くないかなと思ってさ」

「そうでもあるか。だが、我らが進むのはあくまで未来。振り返ってばかりでは脚を取られるぞ」

「分かっているよ」

「さ、食事も済ませましたし、行きますわよ!」

「オッケー。御馳走様っと。俺も行ってきまーす」

「では、吾輩わたしも出るとしようか」

「お前はキーホルダーモードになってくれ」

「チッ」

『行って来い。若者たちの未来に幸あれ、ってな』


そう笑うレイヴンの映るテレビを消し、俺達は食器を片付け家を後にした。

俺は学校へ行くべく自転車に乗り、ディアドラは端末を抱えて街の喧騒の中へ消えていった。

駅に行くまでの道のりで大勢の人とあいさつを交わし合い、そして学校へ向かう道のりで多くの知り合いと何気ない会話を交わす。

……とても、この前まで血みどろの争いをし、最終的には世界を救ったとは思えない、慌ただしくも当たり前の日常が、幕を開ける。

恐らくこの日常はこれからも続くだろう。そんな日常の中に、俺が世界を救ったという事実は消えゆき溶けていくのかもしれない。


だが、俺はそれで良いと思う。


世界を救う事態なんて、当たり前にこの世界にあると俺は知った。

この世界には数え切れない神の残滓があって、それらを機関と能力者が奪い合っている。

まだ俺は見習いにも満たない身ではあるが、俺たちは今後も、そんな戦いに関わり続けるのだろう。

ロゴス能力を使って、大勢の人と闘い、そして何度も世界を救う。たくさんの人を、俺は助けたい。

だって、誰かが苦しんでいるという事実が嫌だから。醒遺物フラグメントで誰かが苦しもうとしているなら、俺はそれを止めたい。

その為にも俺は知識を身に着け、そして力を身に着け世界を救いたい。ありふれた世界滅亡の可能性を、1つ1つ摘み取っていきたい。

日常の傍にある世界救済の旅は、まだ始まったばかりだ。



『なれば進め。救うと誓ったものがたりの先を。

 全てを救うと心に定めたのならば……、その誓いを、絶やさずに生きろ』



ふと、思い出したくない奴の顔が脳裏に浮かぶ。俺は首を全力で横に振り、その顔と言葉を忘却の彼方へ投げ出した。

そんな事、言われなくても分かっている。大勢の人と繋がり合う。たくさんの人を助けるのが、俺の目標にして到達点だ。

初めは罪悪感や劣等感から来た救いの誓いでも、今は胸を張って言える。これは、俺が俺の為に助けるんだって。

なら、あとは迷わずに歩み続けるだけだ。



この果てしない救誓譚を、俺は止まらずに歩み続ける。



いつか、火事でぽっかりと空いてしまった心の奥底が、満たされるまで──────。


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