第37話 二者択一
『奴め……、場の支配に移行し始めたか。
呑まれるなよ我が
「俺は──────。俺は、みんなを……」
『……?
俺は、みんなを助けたい。誰かが苦しんでるのを、嫌だから。
俺は、自分が死ぬのが怖い。かつて幼い頃に、人が死ぬ様を突き付けられたから。
だけど同じくらい、誰かが死ぬのも怖いんだ。死とは、この世界で最も重い苦しみなのだから。
だからこそ、俺はずっと誰かを助け続け、同時に自分も守り続けてきた。
だが、そのどちらかしか守れないとなったら? 俺はずっと、その問いに答えを出せなかった。命に優先順位を付けるのが、怖かったからだ。
何故か。それをしてしまったら俺は戻れなくなると、無意識に分かっていたからだ。
俺と他人、どちらが大事かを決めたなら、俺は俺の人生に対して答えを出す事になる。
『考えるな
目を背け続けたのは、
「貴様は自身にも、他人にも優しすぎる! 英雄とは孤高なるもの! 故に孤独のままに民草を守り、理解されないままに死ぬ!
なのに貴様は己の命への執着も、他者への憐みも、全てを捨てきれずにいる! その結末がこれだと知るが良い!」
脳内に響くクリスの言葉に、室岡の言葉が重なって響いた。相も変わらず、聞くだけで不快になるようなけたたましい声をしている。
だが、何故だろう。その言葉はまるで、俺の中にある迷いを断ち切る光明のようにも思えた。例えるのなら、身体中に纏わりついていた泥を拭う激流のような、そんななにか。強すぎる勢いだからこそ心地いい。そんな感情が、俺の中に芽生えているような気がした。
「俺は……、他人を助けたい。でも、その為に俺は……」
『耳を貸すな! 奴の言葉は、
クリスの言葉が、途中でブツリと途切れた気がした。
同時に思考が澄み渡り、俺の中に冷静さが生まれる。自分にも他人にも優しすぎる、か。確かにそうだと、室岡の言葉に納得する。
俺は、命は等しく生きていてほしいと願っていた。自分の命も、他人の命も、どちらも同等に。
命はかけがえがないが、簡単に失われる。幼い頃に知った、不変の真理。そこに優劣なんか付けられない。そう理性では信じたがっているのだ。
だが現実はどうだろう。俺は今まさに、俺と街の皆の命、どちらかを選べと突き付けられている。
死にたくないと逃げるか、他人の為に命を貼るか。その二者択一の答えを出せと突き付けられていた。
「(……死にたくない。でも逃げ出せば、みんな死ぬ。
そんなのは──────嫌だ!!)」
抗いがたい生存本能がよぎる。口の中が渇き、瞳孔が開いていく。まったくもって、震えが止まらない。今すぐにでも、眼前にそそり立つ大災害から逃げ出したい気分だ。
こんな死の象徴みたいな存在を前にして、立っているだけでも精一杯。普通なら、逃げて怯え隠れるのが正解なんだろうな。
けれど逃げたりしたら、きっと大勢の人が死ぬ。そう考えると、全身を覆っていた震えが止まった気がした。
俺の命か、街の大勢の命か。その問いに対して、俺はようやく答えを出せる。そんな確信が、俺の胸の中で形を成した。
「……俺が此処で逃げ出したら、みんなが死ぬんだろうな」
「当然だ。逃げるというのであれば、その逃げ惑う背中ごと、この街を焼き払ってくれよう」
「本音を言うとさ、俺はお前が怖いよ。策を破るその力も、そのデケェ身体も、理解できない思考も、その全てが怖い。
マジで前に立つだけで、今すぐにでも逃げ出したい気分でいっぱいだ」
「──────。」
「けどな。逃げたら、俺の今までは何だったんだってなるんだよ」
小さい頃に抱いた疑念を思い出す。
『俺は生きていて良いのか』という、両親を助けられなかった無力感から来る問いかけ。それが泡沫のように浮かび、忘れたかった記憶が噴出する。
そうだ。俺はずっと、両親を守れなかった事への罪悪感を抱いていた。
一番身近な命が失われて、助ける事が出来たんじゃないかっていう後悔が、ずっと心に残っていたんだ。
だけど、死にかけていた子犬を無我夢中で助けて、そして気付いたんだ。誰かを助けている間は、その疑念を忘れる事が出来たって。
「生きていて良いのか」という、俺自身への自己嫌悪と否定。それから解放されるため、ずっと俺は誰かを助け続けていた。
そうだ。俺はずっと、自分を否定し続けていたんだ。
──────今、答えを出す事から逃げていた理由を理解する。
俺は死ぬのが怖かった。けれどそれ以前に、俺自身に対して、何の価値も覚えていなかったんだ。
「礼を言うよ、人間災害」
「ほう……?」
「お前の発破のおかげで、思い出せたよ。死にたくないなんて感情は、俺にとってただのノイズだったんだなって」
ああ、そうだ。俺にとって死なんてものは、恐れるべきものじゃなかったんだ。だって元から、生きていていいわけがないと、己の命を否定してんだから。
死を恐れていたのは、両親が死ぬ光景を突き付けられたからというだけ。ただ死という苦しみを味わうのが怖いという、我が身可愛さでしかない。
そんな恐怖よりも、ずっと根幹にある意志を思い出す。ディアドラが危惧していた通り、俺は両親を助けられなかった自分をずっと責め続けていた。生きていていいはずがないと、自己嫌悪し続けていた。それを人助けという行為で、誤魔化していただけなんだ。
それは言い換えれば、自分の存在しない人生。クリスの言ったとおりだ。ただ他人に生きる意味を委ね続ける、空虚な他人頼りの生でしかない。
俺という人間の価値は、人生の意味は、とうの昔に『他人のため』だけにすり替わっていたんだ。
ああ。なら簡単な事じゃないか。
俺の命が大事か、みんなの命が大事か。
そんなの、みんなが大事に決まっている。
だって俺の命なんて、両親を助けられなかったあの日から、既に無価値だったんだから。
そう結論を出した瞬間、目の前の室岡の姿が、あの日の火事と重なっているように見えた。
「──────助けろって、いうのかよ、俺に。
父さんと母さんを助けられなかった、償いをしろってのか?」
『───っ! ───っ!』
誰に言うでもなく、俺は地面へと吐き捨てるように呟いた。
遥か向こう側で、クリスの声が聞こえるような気がするが、今はどうでもいい。
そういえばクリスが言ってたっけ。俺の人助けの本質は、埋め合わせや贖罪なんじゃないかって。
あの時は答えを出すのが怖かったから、つい声を荒げてしまった。けど、思考がクリアになった今なら分かる。
そうだ。確かにクリスの言う通りだったよ。俺はあの日の無力感を拭うため、ずっと誰かに縋っていたんだ。
「自己犠牲は英雄、っつったよな。
ああ、そうかよ……。そんなに英雄が見てぇんなら、やってやるよ!!」
「ほう! 素晴らしい! 死の恐怖を振り切ったかァ!? やはり発破はかけるものよなァ!」
「勘違いするな。お前の言う通りの英雄になるだなんて、死んでもごめんだ。俺はお前を、倒すんじゃない。食い止めるんだ」
「なるほど? なればどうする」
「決まっている」
「俺は死んでもここを死守して、機関の援軍が来るまで時間を稼ぐ。それまでにお前を押し留めれば、俺の勝ちだ」
迷いを振り切るように、俺は地面を踏みしめて立ち上がった。
そうだ。何を迷っていたんだろう、俺は。誰かが傷ついたり、苦しむのが嫌だった。
だから俺は他人に同情して、その苦しみを払うため皆を助け続けた。けどその本質は、俺の生きる意味そのものだった。
だったら俺とみんな、どっちが大事かなんてすぐにわかる。
俺は皆が苦しむ理由を取り除くために、今まで生きてきたんだから。なら、今俺がやるべき事は、驚くほどに明白だ。
「俺はずっと分からなかった。俺の人助けは、何なのかって。
死にたくない癖に、他人が苦しむのが嫌だった。どっちつかずで、偽善じゃないかって悩んだこともあった。
けど、今ようやく分かった気がする。俺はずっと、無価値な自分から目を背け、他人のために生きてたんだよ。
だから俺は、自分の命を捨ててでも皆を守る。何でこんな簡単な事に、気付けなかったんだ」
「犠により義を成しその疑を祓うかっ! 死して安寧の糧となる姿こそ英雄!
お前は遂に完成へ至ったのだッ!! さぁ魅せてくれよ、そのお前の覚悟の結末をォ!」
「御託は良い。やり合おうぜ災害野郎。死んでも俺は、お前を────!!」
刺し違えてでも殺す。そう固く俺は意志を定めた。
初めからこうすればよかったんだ。自分の命に執着せず、他人本位で生きていたんだと、迷わず認めればよかったんだ。
けれど、両親の死を魂の根幹に刻まれた事で、それを認めるのが怖くて逃げ続けていた。
逃げずに自分の意志と向き合って答えを出していれば、絶望なんてしなかったはずなのに。
だけど、もう迷わない。
俺はそう決意を固め意力を高める。室岡も同じように意力を高める。向こうもどうやら本気のようだ。
互いの意志がぶつかり合い、軋みを上げる。大気が震え、地が脈動する。
正直に言えば、怖い。だがそれは、死の恐怖ではない。俺が命を投げ出したところで、奴を食い止める事が出来るのか、という意味での恐怖だった。
それでも俺はやるしかない。俺みたいな無価値な人間でも、
──────そう決意して一歩を踏み出そうとした、その時だった
{ “大地よ、風と共に奔り災厄を穿て! ”}
凛とした声が響いた。詠唱と同時に、大小様々な岩石が空より降り注ぎ、室岡を襲う。俺が室岡から装甲を剥がしたあと、奴が再生しきれなかった箇所を的確に狙っている。
「無粋な! 我らが神聖なる闘争を侵すか!」
「テメェのほうがよっぽどだ! この平穏への領空侵犯ヤロウが!」
室岡は完全に意識の外からの攻撃だったのか、それらを処理しきれずにまともに受けた。落石の流星群は、奴の巨躯を凄まじい勢いで抉り、竜としてのシルエットを削ってゆく。
やがて室岡は全身に喰らった負傷に耐えきれず、地面へと倒れその動きを完全に停止した。
俺はこの攻撃を知っている。
四元素を操るロゴス能力。大地の象徴たる土を、風の力を使って押し出して攻撃する力。
そんな、まさか──────。そう目を見開いていると、一人の少女が目の前に着地した。
「ディア、ドラ……」
その乱入者の正体は、俺に死ぬなと告げてくれた少女だった。
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