第38話 ペル・アスペラ
「え、なんで……病院は!? 傷も!」
「抜け出してきた。こんな状況で寝てられるかよ」
その少女は、俺が見知った顔だった。
絹のように細かい髪に、宝石のような碧眼。間違いなくディアドラだ。
彼女は俺を視認すると、明確な怒りを灯しながら俺を睨みつけた。
「テメェ……、今なんつった。
死んでも奴を、倒すだと? ……っざけたこと抜かしてんじゃねぇぞッ!
あれほど!! 自分の命を投げ出すなっつっただろうがァッ!」
ディアドラは俺の胸倉に掴みかかり、感情に任せた怒声を響かせる。
彼女の怒りはもっともだ。俺は彼女と、命を投げ出さないと約束した。だが俺はその約束を破ろうと……命を捨てようとした。これは彼女の信頼に対する、明確な裏切り行為といえるだろう。
そうならない為にも、俺は策を弄して室岡に挑んだ。だが結局、届かないものは届かなかった。人間が災害に敵うわけがない。身を以て俺は、そんな現実を突き付けられた。
だがそこで諦めたら、大勢の人が死ぬ。なら俺が差し出せるものといえば、もう命しかない。結果的に彼女との約束を反故する形になったが、もうそれ以外に手立てが無かったのだ。
それでも、何を言おうと言い訳にしかならないだろう。俺は俺の非力さゆえに、命を捨てるしかなかった。
つまるところ、これは俺の責任でしかない。だから俺は何も言えず、沈黙するしか出来ずにいた。
「どうしてお前はそんな簡単に、他人のために自分を投げ出せるんだ! 馬鹿かテメェは!」
ディアドラが、縋るように俺の胸倉を掴みながら叫び問う。その言葉は、どこか悲痛そうな響きを帯びていた気がした。
その姿を前にして、俺の中に呵責が満ちる。確かに、勝てないから死のうとするのは間違っている。理性ではそうだと分かっているんだ。
──────けれど。
「……でも、これしか、俺に道は無かった」
彼女の悲痛な叫びに耐えきれず、俺は内に凝り固まっていた感情を吐き出す。
俺に、彼女へと何かを言う資格はない。そんな俺の意志に反して、俺の口は嫌というほどに饒舌に回った。
「俺が戦わなかったら、大勢の人が死ぬ!
命に代えてでも! 俺は奴を止めなくちゃいけないんだ!!
俺1人の命か皆の命か、どっちを選べってなったら、答えは明白だろ!」
「だからって、自分は死んでも良いっていうのか!? 自分も守れねぇ奴が、誰を守れるって言うんだ!?
それとも何か!? 自分は死んで良いような奴だって、本気で思ってんのかテメェはァ!」
「ッ! ……そうだよ! 俺はあの日、両親を助けられなかった無力な人間だ!
死んでいく2人を前に、なにもできなかった! だから……っ! ずっと、こんな俺が生きていて良いのかって悩んでいた!」
今まで抑えていたものが溢れ出し、次々に言葉が吐き出されていく。
6年近く抑圧され続けた、無力感への絶望と怒り。それに伴う自己嫌悪。それが濁流のように流れ続けた。
視界の焦点がブレ、呼吸が荒くなっていく。心が惑っていると直感で理解できる。
なんで俺はこんなにも、自分から目を背けていたんだ? 自分が無価値だって、ずっと分かっていたはずなのに。そんな自分への失望が増していく。
だがそれでも、俺はこの言葉を止める事が出来なかった。その姿は今振り返れば、懺悔をする罪人のようだったのかもしれない。
「ずっと俺は生きる意味を、他人に預けていたんだ……っ!
皆が苦しむのが嫌だった。だから助けたい。そう思っていた。
けど俺は! それを自分の無力感から目を背けるために……! 生きる意味として利用していたんだ!
だからずっと俺は……っ! 他人本位でしか、生きていなかったんだよ……!!」
「他人のためでしかなかったからって、自分の命すら放り投げて、誰かを守るって言いてぇのか!?」
「ああそうだよ!! 俺なんかの命より、皆の命の方が大事だ!! だから俺は、刺し違えてでもあいつを──────!」
「ざけんじゃねぇ! その震える手で、あの災害を止められると!? 本当に思っているのかバカが!」
そう言ってディアドラは、痛いくらいに力を込め、俺の手首を握り締めた。
見ると、確かに俺の手は震えていた。いや、手だけじゃない。脚も、身体も、その全てが震えていた。
傍から見ればそれは、滑稽に映る姿だろう。なんてみっともない光景だろうか。
覚悟を決めたはずなのに、無価値だと悟ったはずなのに。俺はこんなにも、まだ死にたくないのか。
覚悟も意志の定まらないその馬鹿らしい姿に、俺は首を吊りたくなった。
だがディアドラは笑うことなく、俺の眼を真っ直ぐに見据えながら詰め寄った。手首を握る彼女の手に力が籠る。
その行為に宿る感情は怒りなのか。それとも、俺への同情なのだろうか。
「こんな手で何を守れる!? 自分を大事に出来ねぇ奴が、他人を守れると思ってんのか!?」
「そもそも俺に、大事にする自分なんて存在しない!! 俺は他人の事しか考えていない、自分がない空虚な人間だったんだよ!」
「だったら死んでも良いってか? 自分が無い人生だったから! 消えても良いってのか!?」
「そうだよ! 死ぬのは嫌だった……けど! それはただの甘えだったんだ! もう俺には、そんな執着すらも要らない! そもそも生きているのが、間違っている人間なんだから!」
「ふざけんな! 死にたくねぇって少しは思ったんだろ!? だったら生き足掻いてみやがれ!」
「無理だろあんな奴! 俺なんかじゃ勝てるわけがない! 命を投げ捨てでもしなくちゃ倒せない!
だったら、俺みたいな奴の命なんざくれてやる! 刺し違えてでも俺はきっと─────ッ!」
奴を倒して見せる。だから俺なんて、心配しないでくれ。
そう告げようとした、その時だった。
パァン──────、と。乾いた音が響き、頬を痛みが掠めた。
「いい加減にしてください……っ!」
「──────ディア、ドラ?」
「空虚だとか、無価値だとか! 生きているのが間違いだとかっ!!
どれだけ自分を軽んじているか、分かっているんですか!?」
余りに唐突な痛みを前に、俺の思考が停止する。
今までこれ以上の苦痛を何度も受けたのに、今の一瞬が一番、強い痛みとなって響いたような気がした。
呆然としたままに前を見ると、彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝っているのが見えた。
その光景を前にして、止まっていた思考が我に返る。こんなにも感情を露わにしている彼女は、初めて見たかもしれない。
「他人に生きる意味を、委ねてきた? 馬鹿じゃないですか!
貴方は、誰かが苦しんでいるのが嫌だと、はっきり言える人間でしょう!? 考えるよりも先に、身体が動くお人好しでしょう!?
そんな貴方が! どうして自分が無いなんて言えるんですか!」
「それは……。俺が、他人のことだけしか考えられない、人間だから──────」
「誰かを助けたいという思いは、貴方自身の本心なんじゃないですか!?」
「…………ッ!」
ディアドラのその指摘に、俺はハッと息をのんだ。
……そうだ。俺が誰かを助けたいのは、俺自身の意志だ。他人に存在意義を委ねる為じゃない。
たとえその根幹が自己嫌悪でも、罪悪感でも、俺が俺自身で『他人の苦しむ姿を見たくない』と考えて、そう判断した結果だ。
彼女が強く握り締めていた手から、力が抜け落ちる。そのまま彼女は俺に縋りつき、大粒の涙を流し始めた。
その姿は、痛ましさすら覚えるほどに悲しげだった。そんな彼女の姿を前にして、停止していた思考回路が脈動し、沸騰していた思考が冷静さを取り戻す。
目の前にそびえたつ、絶対的な災害のせいで冷静さを失っていたが故に消え去っていた、当たり前の事実。
俺が死ねば、悲しんでくれる人がいるんだ。どうして今まで、気付かなかったんだ。
そんな後悔と共に、俺は自分の認識を改める。俺には、涙を流してくれる人がいる。止めてくれる人がいる。家族だっている。
ああ、そうだ。俺は決して、
「その結果が誰かのためであっても! したいと願ったのは、他でもない貴方なんです!
そんな貴方がいてくれたから、私はここにいる! 貴方が戦ってくれたから、私は生きている!
なのに……っ! 生きていて良いのか、なんて! 無価値だなんて、言わないで……っ!」
「────────ッ。……ごめん。俺が、バカだった」
ディアドラは俺の胸に顔を埋め、声を殺し泣いた。
……こんなにも、俺を心配してくれたのか。
そこまで考えて、俺は彼女の今までの言葉を泡沫のように思い浮かべる。
思えば彼女は、俺をずっと心配していてくれた。戦いから遠ざけるために、わざと俺を拒絶までしてくれた。
けれど俺は、彼女が傷つくのが嫌だった。だから彼女と共に戦う道を選び、彼女はそれを受け入れてくれた。
けれど俺は、守りたいという気持ちを暴走させて、死のうとしていた。
ディアドラは俺を守ろうとしていてくれたのに、俺はその思いを無碍にして、皆のために死のうとしたんだ。
それはどれだけ、彼女に辛い思いをさせる選択だったのだろうか。そう思うと、俺の胸には後悔が満ちていく。
「……気付けなくてごめん」
「貴方が誰かを守りたいという気持ちは理解できます。
けれど、そのせいで命を投げ出されたら、私の心がもたない! 私のせいで貴方を死なせたようで、耐えられないんです!」
「ごめん。俺が、独りで突っ走ってた。俺を心配してくれる人がいるのに……。ずっと、目を逸らしてた。
……俺には、心配されるような価値なんて、ないと思い込んでいたからだ。……本当に、ごめん」
縋りつくディアドラの手を握り締め、俺はただただ謝罪の言葉を口にするしか出来なかった。
彼女への慚愧が胸に満ちる。こんなにも近くに俺を心配してくれる人がいたのに、なんで俺は自分を無価値だなんて断言したのか。
そんな悔いを巡らせながら、俺は今ようやく、俺の選んだ道がどれだけ愚かだったのか、気付くことができた。
俺は誰かに心配される人間なんだ。決して無価値なんかじゃない、生きていても良い人間なんだ。
そんな簡単な事実に、俺は気付く事が出来なかった。ずっと悩みと後悔が思考を埋め尽くし、周囲からの声を阻害していたからだ。
けど今は違う。俺は1人じゃないし、仲間もいる。何よりも、俺は無価値なんじゃないんだ。
そう結論を出した瞬間、胸の中に暖かいものが灯るような感覚が全身を奔った。
これは、安堵なのだろうか。その答えは分からない。ただ1つだけ、断言できる。
今の自分には、死を覚悟して室岡に向かおうとした時よりも、格段に違う何かがある。そんな理由もわからない自信が、俺の中に満ち溢れているような気がした。
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