第5話 祭りの日(※三人称)

 、それが最初に思った事。誰かの命を危険に晒す事で、他の誰かが救われる現実。それは余りに理不尽で、また不条理に思えた。「多数の人間を助ける為なら、少数の人間を殺しても良い」と言う、その仕組み自体が「不条理」に思えたのである。「封じられし者」に睦子の精神を捧げなければ、それ以外の人達が助からない。「だから」と言って睦子の方を選べば、それ以外の人間に災いが起こる。


 「全体」の利益を考えれば、彼女の精神を犠牲にするのが合理的だが……そんな事は選べない。それが例え、「最も理想的だ」と言っても。人間の道理から離れた思想は、どう頑張っても受け入れられなかった。彼女が苦しんで良い理由なんて、何処にも無い。何処にも無い、筈なのに……。


 秀一は、自分の無力を呪った。自分が何も出来ない子供である事、その現実にも苛立った。「自分にもしも、何か特別な力が有れば」と、そして、「その力があれば、彼女の事を救ってやれるのに」と、そう内心で思ってしまったのである。睦子が彼の気持ちをおもんぱかって、その不安に「だいじょうぶ」と微笑んだ時も、それに励まされる所か、彼女の不幸に却って胸を痛めてしまった。秀一は蝉の声が其処ら中から聞える中、悔しげな顔で夏の熱気に「うわぁあああ!」と叫んだ。「畜生!」

 

 畜生、ちくしょう、チクショウ。自分はどうして? どうして、こんなに? 何も出来ないのだろう? 何も出来ない所か、「それ」を受け入れるしかないのだろう? たった一人の人間として、只の小学生として、その現実を受け入れるしか出来ず、「くっ!」


 秀一はまた、睦子の身体を抱き締めた。睦子の身体は小さく、その感触も柔らかい。彼の耳元に当たる息も、何処か儚げだった。秀一は彼女の身体を暫く抱き締めたが、彼女が彼に「もういいよ?」と言ったので、その身体を思わず放してしまった。「睦子」


 睦子は、その言葉に首を振った。それが意味する事を分かった上で、彼の言葉に首を振ったのである。彼女は午後の西日をじっと見始めたが、やがて秀一の顔にまた視線を戻した。秀一の顔は今も、苦悶くもんの表情を浮かべている。


「あたし、がんばる! がんばって、町のみんなを守る。それで」


「良い訳ないだろう、あんな話を聞かされて? 睦子は」


「なに?」


「怖くない、の? 自分がもし、其奴そいつに襲われちゃったら?」


 睦子は、その言葉に俯いた。その言葉を聞いて、やはり怖くなったのだろう。表情の方はあまり変わらなかったが、その身体は確かに震えていた。睦子は精一杯の笑顔を浮かべて、秀一の顔をじっと見詰めた。


「シューちゃん」


「なに?」


「あたしのこと、好き?」


「好きだよ?」


「あたしも、すき。大すき。あたしは、シューちゃんと」


 そこで彼女の言葉が途切れたのは、彼女の中で何か戸惑いがあったのか? 睦子は暫くソワソワしていたが、秀一が自分に「大丈夫?」と訊くと、身体の震えを忘れて、秀一の目をまたじっと見始めた。「ねぇ、秀一」


 秀一は、その言葉に驚いた。目の前の少女が突然、自分の名前を呼び捨てにした事に。


「な、何?」


「あたし、秀一と結婚したい。秀一と結婚して、ずっと一緒に暮らしたい。だから!」


 睦子は、秀一の手を握った。その手が決して、自分の手から放れないように。「あたしがどうなっても、あたしの事を見すてないで」


 秀一は、その言葉に頷いた。頷く以外の答えは無い。いや、有る筈がない。彼女が自分を好きな様に、自分も彼女が好きなのだ。好きな気持ちに「いいえ」と答える、そんな理由等有る筈がない。秀一は自分なりの抵抗として、一番近い場所から「彼女の事を見守ろう」と思った。「当たり前だよ。僕は絶対、睦子の事を見捨てない。何があっても!」

 

 彼女の事だけは……。


 そう誓ってから数日後、その祭りは開かれた。いつもの時間に、いつもの空気をまとって。その恐ろしい祭りは、開かれたのである。祭りの会場には様々な露店が出されたが、それらは祭りの本質を誤魔化す物、つまりはマヤカシでしかない。綿菓子屋の親父が、お客達に店の綿菓子を手渡す光景も。飴屋のおばちゃんが、女の子に「それ」を手渡す光景も。それらは物事の本質から目を逸らす、只の現実逃避でしかなかった。

 

 秀一は、その光景に苛立った。その光景に何も言えない、自分自身にも。彼は周りの楽しそうな声を無視して、神社の前に黙々と向かった。神社の前には、町の人達が集まっていた。恐らくは、今年の儀式を観ようとして。秀一の隣に立っている男女も、嘗ての自分を思い出しているのか、「あの時は、大変だったよな?」と言い合っていた。


 秀一は、その声に苛ついた。自分達も「それ」を味わっていながら、「自分にはもう、関わりない」と言っている声に。そして、その声に「ふざけるな!」と言えない、自分に。「怒り」と「悲しみ」を覚えたのである。


 秀一は二人の会話を暫く聞いていたが、神社の境内に睦子が現われると、周りの空気に従って、自分も巫女服姿の睦子に視線を移した。巫女服姿の睦子は、美しかった。身体の方は可愛いのに、その雰囲気が美しい。何処か神秘的な色気を感じる。それを見た秀一が思わず見惚れてしまう様な、そんな色気が感じられた。

 

 秀一は彼女の色気に暫く見惚れたが、彼女が風習通りの舞いを踊り始めると、厳かな顔でその踊りを見守り始めた。彼女の踊りは、普通。それも、それも異常な程に普通だった。雅楽ががくの楽器が鳴り響く中で、独特の調子を打つ踊り。その踊りを通して、封じられし者の機嫌を取る儀式。それが伝統と因習とが入り交じった中で、粛々しゅくしゅくと続けられたのである。


 それを観ている観客達も、最初はスマホのカメラや自分の首に掛けている一眼レフカメラ、あるいはミラーレスカメラ等で彼女の事を撮っていたが、彼女の踊りがやや激しくなると、その光景に目を奪われてしまって、各々のカメラをすっと降ろしてしまった。観客達は、彼女の事を見続けた。その中で、どう言えば良いのか? 兎に角奇妙な感覚、つまりは違和感を覚えたらしい。彼女の事を見守っていた秀一も、周りの人々と同じ違和感を覚えて、少女の様子をじっと窺い始めた。


 ……少女の様子が変わったのは、それから直ぐの事だった。

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