アゼリアの匂い➄(完)

 そうして数日が経ち、ベルロンドの父親、ウォルスングが吐血した。夕食の時だった。後で教会に運ばれて一命をとりとめたが、この時は誰もが死を予感した。ウォルスング自身も。



            兄の遺体を囲んで、みんなが泣いている。



その心境の言葉だろうか、「嫌だ、まだ死にたくない」という父親らしからぬ弱弱しい言葉が、ベルロンドの心を深くえぐった。



            「こんなに若いのに、可哀想にねぇ」

            誰かが言う。「でも幸せそうな顔をしてるじゃない」



ウォルスングには持病があり、生まれつき肺が弱かったので、



            サリエルはそうは思わなかった。

            「まだ何も成してない! 

            「何者にもなってないじゃないか! 」



ベルロンドもいつか父親のようになるのかと気をもんだ。



            「そうか俺は死が欲しいんだ。」

         「生の反対じゃなくて、生も含んだ絶対的な死が」



あの夕食以来、ベルロンドは悩みに取りつかれ、



            兄の死後、サリエルは死に取りつかれた。



サリエルが正しいと思った。と思った。



           「みんな間違ってる。なんでのうのうと生きてられるんだ」



「そうか、この日常はずっとは続かないんだ。俺は爆弾を抱えて生きている。いや、持病がなくても人はいつ死ぬか分からない。事故で、戦争で、殺人で。それなのに親父はどうしてあんな気楽にしてられるんだ。まだ死にたくないなら、今を精一杯生きるべきじゃないのか。あんな怠惰な生き方、俺には耐えられない……」

 その言葉で、サリエルを思い出した。あいつの気持ちが分かった気がした。



           「ああ、人はいつか必ず死ぬんだ。」

           「だからその最期が来た時に誇れる人生にしたい。」

           「俺は挑戦したい! だから、」



「人はいつ死ぬか分からない。その最期を知る方法はないのか? ないなら作る! 自分で。絶海の向こうに、彼の地はある」ベルロンドの口が独りでに呟いた。「星々の降る地、ゴルノール」

 ここにいたら沈滞しているようで耐えられなかったベルロンドは、部屋から出て、玄関の重い扉を急いで開けて、外に走り出た。眼下には芝生豊かな牧草地が広がり、風を受け光の波が何度もこちらに迫っていた。

「ここじゃないどこかに! 」



           「このままじゃない何かになりたい! 」



夕日を背に受けてベルロンドは走った。影よりも早く、服よりも一歩先に。



            その時サリエルはあらゆる物事のはじまりにいた。

            そこに全てがあった。生も死も一瞬も。

            彼は生きる者になった。



そしてベルロンドにもやっとが分かった。その時、宿を見た。

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アゼリアの匂い ユキアネサ @bible6666

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