アゼリアの匂い④

「生み落とされたからただ生きるのか」


 サリエルが片足を床に捻り押しながら鋭く言う。


「そんな生き方、俺には耐えられない」


「でもみんな君みたいには生きられないよ。だって、それは、ちょっと忙しすぎる。そんなずっと気張っていたらいつか疲れちゃうし、普通はこのままの日々が続けば満足なんだよ。


 人生って高望みするものじゃなくて、馴染むものだと思うな。でも君の生き方だと、やれること何でもやらないと満たされないんじゃないか」


「そうだ、そうだよ。そうして初めて悔いのない死が……、いや、悔いは残る。でもその悔いを少しでも減らしたい。可能性を全て試して、満ち足りた気分になりたい。ちゃんと生き抜いたっていう確信が欲しい! 」


 ふーん、とベルロンドは上の空で言った。それより、こんな答えのない議論に付き合うより、はやく眠りたい。いかに気分よく寝れるか、寝れないか、それが問題だ。


 ショートボブの髪を手でくしゃくしゃにした所為か、生まれ持ってのくせ毛が大胆に広がり、いつもより毛量が増して見えた。髪先は頬まで届いており、豊饒な漆黒の横からきれいな小さい耳輪が少し見えた。



「荒れ狂う絶海の向こうに、」サリエルが遠くを見ながら言う。「六十度にも達するいくつもの波を越えたその先にその大陸はある。星々の降る地ゴルノール


 今も神話と英雄が芽吹く地。俺はそこに行きたい、そこで詩に聞こえる英雄に出合って、彼らと相対して、俺も英雄に名を連ねたい。そうしてあの地で死ねるんだ……」


 ベルロンドの意識はもう限界だった。このサリエルの言葉を最後に眠りに落ちたが、まさか本当に実行するとはこの時思っていなかった。


 翌日、サリエルの姿はなかった。机の上のアゼリアだけが残された。


「なんだよ、何も言わずに出ていきやがって」


 特になんとも思わないように努めていながら、最初に出た言葉がそれだった。


 サリエルの捜索はもちろん行われたが、ベルロンドは何も言わなかった。サリエルの行き先は自分の中で留めておこうと思った。

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