第23話 狼人の軍団を一人で相手にするなんて、それは無理ってものでしょう。
「アラフアさん、それではよろしくお願いして良いでしょうか?」
「ああ、これを私の名義で父に進言すれば良いのだな。
それに、君の装備か。確かに、無手で立ち向かう訳にも行かないだろう。
決闘に間に合うよう、準備を進めよう」
「ありがとうございます!」
軽く手を上げて応じてくれたアラフアさんはそのまま食堂を後にする。
入れ替わりで食堂に入ってきたイリカさんには、今の会話が少し耳に入ったようだ。
「アラフアさんに、お使いを頼んだのですかぁ?」
その言葉を聞くと、僕は苦笑するしかない。
ゼライア都市の副長官様にお使いとか!
でも、お願いした内容を考えると、お使いと言えばそうなるのか。
急に、パルテさんの報復が恐ろしくなってくる。
「お使いと言われると恐れ多くなってしまうけど、お願いはしました。
ハディ王子との諍いもありましたし、アフア領とユーハイツィアの衝突もそう遠い話ではないでしょうから。情報共有とか、あるいはこちらから提案できるような内容とか、そういった話もあります。
――何より、アラフアさんは、本来もう街に戻るべき人。このタイミングでゼライアに戻っていただいた方が良いと思うのです」
そう。
僕は、情報整理や提言、あるいは武器調達などに加えて、アラフアさん自身が街に戻ってくれるように話の方向性を仕向けた。
メンデラツィアとの闘いに巻き込むとか、有り得ないから。
「あとは、この旅に出る前に、イリカさんとも相談させてもらった装備。
それに、対軍団用の装備なんかも必要になるので、調達を頼み込みました」
「でもぉ、アラフアさんが居なくて、本当にココロさん、戦えるんですかぁ?」
「難しいでしょうね。そもそも、戦いと呼べる状態に持っていけるかどうかすらも怪しい、と思っています。
けれど、僕の我儘にアラフアさんを巻き込むのは違うと思うのです。
アラフアさんは、ゼライアにとってなくてはならない人。もしもこの戦いで彼女に何かあれば、僕はもうどうして良いか分かりませんよ」
そういって僕は苦笑する。
僕一人にできることなど、殆ど何もない。
なのに、あの偉丈夫たるアウスレータを相手に戦わなくてはならない。
意味が分からない無理ゲーっぷりだ。
「そしてそれは、貴女も同じですよ、イリカさん。
ここまでありがとうございました。
ですが、アラフアさんと一緒にゼライアに戻ってください。お願いします」
そう言って僕は、土下座をする。
土下座の意味を知らなくとも、これだけ頭を下げれば意図は通じるに違いない。
しばらくの沈黙。
イリカさんは動かない。僕も動かない。
「前にぃ、言ったと、思うのですけどぉ、私はぁ、最後までぇ、一緒に戦いますよ?」
口調が普段よりもたどたどしくなるが、それでも戦うと言ってくれる。
とても嬉しい。泣けるほど嬉しい。だけど。
「駄目なんです、イリカさん。
今度、最後までいたら、本当に最期になってしまうかも知れないじゃないですか。
僕が、ラキアが欲しいと言って仕掛けた決闘。
イリカさんは、そんなものに巻き込まれて命を落として良いはずがないんです!」
再び訪れる沈黙。
通り抜ける風だけが、僕らの間に音を奏でてくれる。
「でもぉ、それでは、ココロさんは、お一人で戦うつもり、なのですかぁ?」
ようやく出てきた小さな声。
絞り出すような、やや掠れた声。
「いえ、僕は、ヤキンツァ爺と一緒に戦います。
彼が憑依しているフェレットは、しょせんは分体。死んでも、ヤキンツァ爺の本体は大丈夫なのです。憑依されているフェレットには申し訳ないけれど。
それに、そもそも僕がここに来た原因は、あの
こんな時くらいは、頑張ってくれないと」
「全く、爺使いの荒い男じゃよ」
するするっと、僕の脇からヤキンツァ爺が現れる。
「嬢ちゃん、心配しなさるな。
この伝説の導師たる儂が作戦を一緒に考え、そしてこやつを補佐して戦う。
勝負はともかく、むざと死なせはせんよ!」
カカッ、と笑いながら、未だ土下座をしている僕の頭をぽんぽんと叩く。
三度、訪れる沈黙。
……僕は立ち上がり、イリカさんに向かってもう一度大きく頭を下げてから、再び顔を上げてイリカさんの目を見る。
イリカさんは、今まで見た中で最も頼りなさげな目をしていた。
交錯する僕の目とイリカさんの目。
顔を捻じ曲げて視線を切り、僕はその場を後にした。
イリカさん、ごめんね。
僕には、心の中で謝るほか、できることがなかった。
――その日の午後のうちに、アラフアさん、パルテさん、そしてイリカさんを乗せた馬車は、このメンデラツィアの
大きな安堵感と、小さな寂寥感を抱えて、僕はそれをいつまでも見送った。
***
「ヒィズさん、探しましたよ」
軽く息を乱しながら、僕は月を背にして木の枝に座っているヒィズさんと対面する。本当はアラフアさん達が出て行く前に話をしたかったのだけど、今日に限って捕まらず、昼からずっと探してようやく会うことができた。
しかし、いつもと様子が違うことが気になる。
花のような笑顔で僕を迎えてくれるヒィズさんが、気怠げにこちらを見下ろしたまま、沈黙している。
「ヒィズさん、お話しがあるのですが、降りてきていただけませんか?」
その言葉を聞いたヒィズさんは、つまらなさそうな目で僕を見た後に、ふわり、と枝から地面に降りてくる。着地の瞬間にも、音すら聞こえない、まるで幻想の中の人のように。
「どうなさいましたか?」
心なしか、僕に話しかけるヒィズさんの顔は少し寂しそうに翳っている。これから僕が話そうとしている内容に気づいているのかな?
……ここで臆してはならない。
ヒィズさんには特に、この戦いからは降りて欲しいと思っている。
こんな、狼人と争うような場で人間である僕の側で戦って、彼女に良いことなどあるはずがないのだから。ヤキンツィア爺も同じようなものだが、この世界に連れて来られた慰謝料と考えれば良いので、爺だけは良しとする。
何としても、今度ばかりは、僕の意思を通さなくては。
僕は心を定めて、ヒィズさんに語り掛ける。
「単刀直入に言います。ヒィズさん、今回の僕の決闘には、参加しないで下さい。
この先は本当に命が危ない。
僕はラキアを……その、愛しているんです。
だから、その……ヒィズさんと、ずっと一緒にいることはできないんです」
そこまで言ってから、ココロは腰を直角に折り、ばっと頭を下げる。
「ごめんなさい!
でも、だから、僕のことは気にしないで下さい!
だから、だから、僕のことは良いから、頼むからここを立ち去ってください!」
――遂に言った。言ってしまった。
足元で、ヤキンツァ爺が微妙な顔で僕のことを見上げている。
折角の仲間を、とでも思っているのかも知れない。でも、これは譲れない。
しばしの沈黙が流れて、それからヒィズさんが口を開いた。
「お気遣い、ありがとうございます。
これだけ圧倒的に不利なのに、私のことを気にしていただけるなんて、本当にココロさんは優しいですね。
……ですが、勘違いが酷すぎます。顔をあげて下さい」
そこまで語ると、言葉を切る。
僕が顔を上げると、暗闇の中で薄く光るその目で僕を見ていた。
何故だろう、僕が責められているような視線で、体が自然と緊張する。
「そのお気遣いは無用です。
貴方の気持ちの在りかは存じていますが、それでも私は貴方と共に戦います」
そんな。そんな馬鹿な。
ヒィズさんは、こんなところで、一時の感傷で傷を負ってよい人ではない。
あんなに優しいヒィズさんが、その自らの優しさで自分を追い込んではならない。
「ヒィズさん、大丈夫です! 貴女は、こんなところで傷を負ってはならない!
僕は、僕の想いに殉じるのです、貴女が巻き込まれて良いはずがない!」
ヒィズさんは目を閉じてふるふると顔を小さく振り、溜息をひとつついた。
そして再び僕を見る。
今度は爛々と光る眼で、それとわかるほどに怒りを込めて。
「馬鹿にしないでください」
決して揺るがぬ彼女の強い瞳。
「私はヒィズ。誇り高き狼人の女。
私は私の為に戦うのです。貴方達の情に
彼女は決して退かない。僕はそれを悟らずにはいられなかった。
そしてヒィズさんは僕の前まで歩み寄り、いつもの優し気な微笑を僕に向けてくれた。
「遠慮は無用です。
私は、貴方と共に、ラキアさんを救い出します。
だから、どうぞ私を貴方の剣としてお使い下さい」
「……ヒィズさん」
どうしよう。泣きそう。
僕はヒィズさんに返すものがないのに。
僕はどうすれば良いのだろう。
「それに、私、言いましたよね?
『私は貴方の側に居ます。私がそれと望むまで。私を遠ざけないでください』と。
これでココロさんに言うのは三度目ですよ? 嫌ですね」
そう言って笑いかけるヒィズさん。
ああ、あの時の約束は、こういう時のためのことだったのか。
僕はなんであんな約束をしてしまったのだろうか? もはや、ヒィズさんに言い返せる言葉などない。苦笑いするしかないのだ。
「私はラキアさんのことも大好きです。なので、ラキアさんが貴方を受け入れたなら、潔くこの身を引きたいと思います。
……ですが、もしあの人族の女達に心を奪われるようであれば、その時は私が全力で
そう言ってニコリと笑ったヒィズさんの目は決して笑っていなかった。
夜闇に光るその目に射すくめられたように、僕はただ首を縦にふることしかできなかった。
***
ヒィズさんに押し負けた翌日。
僕とヒィズさん、そしてヤキンツァ爺は三人で座り、五日後に迫る決闘について話し合いをしていたところ、
メンデラツィアはあまり馬車を使わない。もし、知らない馬車が来たのであれば、狼人の鋭い感覚を越えてここまで辿り着けるはずもない。
僕達は互いの顔を見合わせて、入り口に様子を見に行く。
「ああ、ココロ君か。いま戻ってきたぞ」
「ココロさぁん。戻ってきましたーぁ」
顰め面をしたパルテさんが運転する馬車から、アラフアさんとイリカさんが手を振って僕に合図する。
唖然としている僕は、それに応じることができない。
僕がそうやって硬直している間に、馬車はすぐ側まで来て停車した。
軽やかに馬車から飛び降りながら、僕に話しかけてくるアラフアさん。
「やあ、少し時間がかかったが、ちゃんとゼライアに連絡を入れて、君から受けた要望は話が通るように手配してきたぞ」
そう言って爽やかな笑顔を見せる。
「まさか、君が私を遠ざけようとしていることを、私が気づかずに乗せられるなどと思っている訳ではないだろう?」
「……! でも、アラフアさんはゼライアにとって必要な方です! こんなところで何かあったら、申し訳が立ちません!」
僕は必死に言い募り、パルテさんが僕の言葉に力強く同意する。
だが、僕の話などどこ吹く風、アラフアさんはその笑みを悪戯っぽく深めた。
「ふふ、その言葉は有難く受け取っておくよ。
だがね、別に君が心配することではないのだよ。
私は私の意志でこの勝負に関わるのだ。だから、君が気に病むことなど何もない。
それに、そもそもだ。この決闘は君が命を落とした時点で終了、だろう?
私は君より強い。私とパルテが君よりも先に命を落とすことはない。
だから、問題ないのさ」
そう言ってアラフアさんは悪戯めいた表情のままパチリとウィンクをしてきた。
思いもよらぬ仕草にどきりと心臓を弾ませ、少し赤らんだ顔を背けた先には、イリカさんの顔があった。
「ココロさぁん、私も、ソルディナさんにお願いしてぇ、装備をたくさん送ってもらうことにしましたぁ。
これでココロさんより、先に死んでしまうことはぁ、ないと思いますよ?
だから、ご一緒しますねぇ!」
そう言って微笑んだ。
僕が死ぬのはいいのだろうか?ちょっと思ってしまったが、もちろん彼女が言いたいのはそんなことではないから、これでいいのか。
「全く、次から次へと……
ココロさんは私が御守りするので、無理に参加なさらなくて良いんですよ?」
ヒィズさんが、醒めた目付きで腰に手を当てながら、アラフアさんとイリカさんに言い放つ。
一気に目が三角になるパルテさんの肩を抑えて押しとどめたのはアラフアさん。
「はは、良いではないか。守りが多い方が、生き延びられる可能性は高くなる。
それに戦闘はバリエーションが有った方が、より有利に戦いを進められるだろう?」
「そうですよぉ。ヒィズさんの戦い方ですとぉ、狼人さん達の戦い方と同じなので、数で押し負けるだけですよぉ?私であれば、魔術で応戦できますからぁ、そちらの方が役に立ちますからぁ」
「――!? 私よりも貴女の方が役に立つと言うのですか! そんな筈はありません、何でしたら今からどちらが役に立つか――」
「の、確認はしなくていいですから、ヒィズさん!
ちょ、笑ってないで止めて下さいよ、アラフアさん!パルテさんも呆れてないで、手を貸していただけませんか!?」
「ほほ、これは一気に戦力が増えたのぅ。儂の役回りもだいぶ楽になった、たすかるぞ」
あっという間に、いつもの騒々しさが戻ってきた。
あれだけ悩んでいたことが嘘のようだった。
未だ思うところはあるけれど、それでもまだ皆でやっていけるのならば、正直に言ってこれほど心強いことはない。
力を貸してくれる皆に心から感謝しながら、僕はその輪に再び入っていくのだった。
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