37.不変の親子

 先ほどスラーニャを助けるために剣を手放していた。


 壁に手を掛けて立ち上がるも、武器がない。


「ひ、ひひっ! やった、やったぞ! これで忌み子を殺すのに障害はないっ!」

「愚かな事を。手負いの獣ほど恐ろしい物はありませなんだに」


 アイヴァーが喜色を現した瞬間に黒ローブの男は冷ややかに告げた。


 サレスは苦渋を顔に浮かべたまま、構えから動かない。


 私は武器を探したが、落ちた剣の場所まで距離があった。


「やだよ、おやじ様……死なないで」

「生れ落ちれば死の始まり、死ねば三千世界は我が心のまま……草木にも、吹く風にも、そして山海にも我が意はある。たとえ私が朽ちたとて、私はお前の傍にいる」


 流派の心得の一つを告げてから、スラーニャには通じぬと思い直して言葉を重ねる。


 まるで今生の別れみたいな事を言ってしまったが、おいそれと死ぬ気もない。


 だが、スラーニャは私の足先に縋った。


 サレスは我ら親子に何を見たのか、未だに動かずにいた。


 だが、アイヴァーは我らの死だけを願っているあの男は再度、短筒に弾を込めようとした。


「ふむ……あまりに無粋!」


 黒いローブを纏い黒いフードを被った男が一つ言い放つと、掠れた金属音が響き、アイヴァーの絶叫が続く。


「ぎゃあああっっ! な、何をするか!」


 フードの男は何を思ったか、弾込めしていたアイヴァーの指を数本切り落とした。


 その剣の鋭さにも驚くが、振るった刃に私は痛みを忘れた。


 ……アレは、黒ローブの男が持ちたるあれなる刃は、我が愛刀であった同田貫どうたぬき


 刀身分厚く、切先は伸び、反りは浅い。


 質素な造りで剛剣の類と称される我が愛刀を持つあの人物こそ……。


「これはどういうことだ!」


 不意に扉が開かれて黒ローブの男たちが三人入って来る。


「だ、大司教! この司教がワシの手を斬りおったっ!!」

「ええい、死霊術対策にも出向かんと思えば何事だ!」

「……」

「だんまりか! だが、良い場面に戻ってこれたようだ。ささ、剣聖殿、忌み子共々あの忌々しい親子に止めを刺されよ」


 我が愛刀を持つ人物は黙して語らず、大司教と呼ばれた老年の男は舌打ちしたが、すぐにサレスに私たちを殺すように命じた。


 勧めている様であれは命令だと誰でもわかる。


 サレスは返答を返さずに私たちを見据えている。


 屋内でも相争う音が響いて来ている事から、アゾンとロズ殿も戦士たち相手に戦っているのだろう。


 あちらも、助けに行かねば。


 私がそう思案する間もサレスは動かなかった。


 苦渋の表情に瞳には迷いが見て取れる。


「スラーニャ、離れなさい」

「で、でも」


 その小さな手を赤く染めなが私の脇腹を抑えていたスラ―ニャに柔らかく伝える。


「お前も、戦えるだろう?」

「……合意あい……あい、おやじ様……」


 ゆるゆるとスラーニャが離れるが、その間もサレスは動けずにいた。


「おや、サレス殿は目の前の親子の方が大事と申されますかな? 教え育てたカーリーン様よりも」

「貴様らの様な鬼畜があのお方の名を呼ぶな! 言われんでも、分かっている……」


 分かっている。


 そう告げたサレスはそれでも剣を振るう事をためらった。


 この期に及んでも我ら親子に何かを見出しているその人間性は正に剣聖と言えるのだろう。


 この男に敗れるのであれば、それも致し方ない事なのかもしれぬ。


 我が命だけの話ならば。


 外から響く争いの音が近づいてくる。


「スラーニャ、我らは親子だ。血の繋がりはなくとも共に過ごした月日に偽りはない。我らは永劫不変に親子だ。後に互いをののしり合う関係になったとしても、最悪殺し合うにしても親子であった事実に変わりはない」

「……うん」


 私は最悪を想定してスラーニャに語りかける。


 いざという時はスラーニャを託すに足る人物に託すために。


 とは言え、あの二人とてこの部屋までたどり着けるか、そして脱出できる物なのか……。


 或いは、カギを握るのが私の愛刀を持った人物であろうか。


 全ては不透明な霧の中。


 それでもやらねばならないのだ。


 この子は生きて返す、そして私はアイヴァーの首を取る。


「何が剣聖か! ぐずぐずしおって!」


 大司教とやらの取り巻きの黒いローブの男の一人が短剣を片手に私に迫った。


 武のなんたるかも知らぬ、野盗とさほど変わらない力任せな一撃は、しかし振るわれることはなかった。


「なっ!」

「……」


 スラーニャが印字を打ったのだ。


 迫った黒ローブの男は額に印字を受けて引っくり返り、大司教とやらは絶句した。


 そして忌々しげにスラーニャを見て吐き捨てた。


「忌み子がっ!」


 その言葉に急かされた様に今一人がスラーニャに迫るのを黙って見ている訳もない。


 私の横を通り抜けようとしたその腕、手首を横合いからつかみ取る。


 虚を突かれたように私を見たその男を前に、私は足がもつれて座り込む。


 すると、男も引きずられるように体勢を崩した。


 崩れた体勢を座りながらでも投げる事が私には可能だ。


 殿中警護の折に、殿中を血で汚さぬために刃を用いず敵を打ち倒す神土かんど家に伝わる無手技、三殿式さんでんしきの中には座取りも含まれている。


 正座したまま体勢を崩した敵を投げる事など、私には朝飯前だ。


 腕を極めながら床に叩きつけてやると、スラーニャに迫った男も白目をむいて倒れた。


 脇腹が痛みを訴えるも、そんな事は知った事では無い!


 傷から熱い物がこぼれ落ちるのを感じながら、私は再び立ち上がろうとした。


 が、左足首が激しく痛み力が入らぬ。


「お、おのれ! かくなる上は今までの醜態の埋め合わをしろ! アシヤ司教!」


 その言葉にアシヤと呼ばれ、私の愛刀を持つフード姿の男が此方に進み出た。


「待てっ!」


 サレスの言葉に軽く片手を振って、その男は私の前に立てばフードを降ろして素顔を晒す。


「流石は神土家の麒麟児。見事な三殿式、大義であった。褒美を取らそう」


 そう告げたかと思えば私に胴田貫を差し出してきた。


 黒い髪に丸メガネをかけた人が好さそうでいて胡散臭さを隠そうともしない御仁は、口元に亀裂の如き笑みを浮かべていた。


<続く>

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