36.剣聖

 トンボに構え改めてサレスの構えを見る。


 身の丈はありそうな大剣を肩に担ぐように構える姿は確かに聖サレス流。


 しかし、それはいつぞやのレードウルフの傭兵が用いた様な振り下ろしの為の構えではない事は一目瞭然だった。


 肩の上に乗せたのは剣の腹。


 これでは振り上げた所で敵を斬るにはひと手間増えてしまう。


 ……異なる構え。


 或いはこれこそが聖サレスの真の構えか。


 察するに、横薙ぎを主軸にした……いや、横薙ぎしかありえない構えだ。


 狙いが明白な分、恐怖は薄れるかと思うのだが……一向に薄れない。


 むしろ凄みが増した。


 例え、意図が透けたとしても何の問題があろうかと言いたげな構えは、我が流派や示現じげん流にも通じる。


 いや、双方の源流たる天真正自顕てんしんしょうじけん流からしてそうだった。


 トンボもまた振り下ろす以外の選択肢を振り払った構え。


 天を向いた切っ先が稲妻のように鋭く早く敵に降り注ぎ命を奪う、それこそがトンボの極意。


 サレス流は横薙ぎ、我が流派は打ち下ろしと選んだ技に差異はあれど、その究極の目的は同じことだと悟る。


 ただ、剣の速度のみを貴ぶ。


 間合いはサレスの大剣の方が優位。


 同程度の腕であれば私の死は確実、それ以上であれば……? 考えるまでもない。


 じりじりと互いが間合いを詰めている状況、数舜後にはサレスの間合いに入り、僅かに遅れ私の間合いに入る。


 飛ぶか、踏み込むか。


 互いに何を最上とするか明白な剣ゆえ、一気に間合いを詰めるべく踏み込んでも対応されるだろう。


 こちらが離れるのは問題の先送りに過ぎない、それでは追い詰められて死ぬ。


 死ぬ訳にはいかぬ、スラーニャを置いて死ぬ訳には……。


 そんな事で頭の中がいっぱいになった瞬間だった。


 祖父の一喝が脳裏の木霊した。


(窮地に際しては己が体に聞け、馬鹿者!!)


 無手技を私に教えてくれた祖父が嘗てそう私をどやしつけた事がある。


 曰く、私は考えすぎる、ただ日々の修練に身を任せろと。


 私は小さく息を、ゆっくりと吸い吐き出す。


 迷いを全て吐き出す様に。


 神速の一撃を放つには踏み込みも大事。


 だが、剣とは踏み込むのと同じく引き足も同様に速くなければならない。


 そう考えて意を決する前に既に体は動いていた。


 一歩踏み込むと既にサレスの大剣が我が胴を断たんと振るわれている。


 危機的状況に脳内が著しく活性化しスライムの普段の動きのようにサレスの一撃すら緩慢に見える。


 空気を斬り裂き迫る一撃を私は即座に後ろに引く事で躱す。


 躱したとはいえ腹の皮一枚は斬られたが。


 肉も内臓も無事であれば、躱したと言って差し支えない。


 サレスの顔を見据えながら私は再度踏み込んだ。


 左足が妙な痛みを訴えたが、それを無視してトンボの構えより打ち下ろしを放った瞬間に私は見た。


 サレスの顔には驚きの色が無かった事を。


 そして室内に響いたのは、無情な金属音。


 耳をつんざくその音が鳴り響いた理由は明白。


 不規則な動きで眼を晦ませ放った我が一撃を、サレスは横薙ぎから無理やり大剣を跳ね上げ防いだのだ。


 剣より指先に伝わる衝撃が並みではなかった、手指が痺れるほどの衝撃が伝わる。


 これほどのものか、聖サレス本人の剣は。


 ……いや、それも当然。


 相手は剣聖、私はレベルも上がらぬただの凡夫。


 修練だけは重ねてきたが、やはり届かぬ。


 が、娘の為に負ける訳にはいかぬ。


 まっすぐにサレスを見据えると、彼の表情が僅かに曇っている。


「聞きしに勝る一撃よ。まして、それを凌いだところで落胆もない」

「レベルが上がらぬ凡夫ゆえ、貴殿に通じぬとて驚くに値しない」

「言いよるわ、剣鬼が。……互いに手負い、死力を尽くすのみか」


 サレスの言葉に私は微かに眉根を寄せた。


 私は腹の傷はともかく、先ほどの無茶な踏み込んだのちの引き、そして再度の踏み込みを行い左足を痛めた。


 力は入らぬ訳でもないが鋭く痛みを発している。


 それを見抜かれたのは分かるが、サレスはどこに傷を負う要素があった?


 訝しみながらトンボに構えると、サレスの構えが僅かに変化していた。


 ――あの時か。


 横薙ぎから大剣を跳ね上げた無理な動きで腕のどこかを痛めた様だ。


 ここからが本番、傍からは泥仕合に見えるかもしれないが互いに死力を尽くして勝つより他はない。


 そう覚悟を決めると、外の騒動にも異変が起きた様だ。


「術者が二階に居る!」

「ええい、探せ!!」


 ロズ殿が見つかったようだな。


 アゾンは守り切れるだろうか。


 分からない。


 だが、それでもやるしかないのだ。


 サレスを倒し、アイヴァーの首を取って二人を助けに行く。


 間に合うか? いや、届くのか?


 そんな物は分からない、ただ、体に聞くより他にはない。


 修練に修練を重ねた我が体に。


 あとは、目の前の相手に集中するだけ。


 だと言うのに、僅かに香るこの匂いに私は思考を割かれた。


 この匂いはなんだ? 嗅いだことがある。 


 酷く剣呑な物であったはずだ。


 そうだ、これは……。


「消えろ! この世からっ!!」


 叫んだのはアイヴァーだった。


 その手にある物、それはドワーフ謹製の短筒……いわゆるフリントロック式のピストルだった。


 私の身体は意よりも先に動いていた。


 ズドンと言う音が響いた時には、私はスラーニャを抱え横に倒れていた。


「おやじ様っ!」


 スラーニャが声を張り上げた。


 大丈夫だ、お前には当たっていない筈だ。


「おやじ様っ!!」


 スラーニャが再度叫ぶ。


 まさか、当たったのか!?


 慌てて彼女を見やるも、傷は無かった。


 ただ、緑色の瞳から大粒の涙を流している。


「や、やだよ。血が……」


 もしや飛びかかって弾を避けた時に頭でも打ったか?


 痛みを無視して私はスラーニャの頭に傷が無いかを確かめた。


 その間にもスラーニャは私の脇腹を抑えて叫ぶ。


「血が止まらないよっ!!」


 ああ、そんな事か。

 

「案ずるな……お前の父はまだ死なん」


 私はそう告げて、壁に手を掛けながら立ち上がる。


 ……まだ死なん。


 この地の敵を、アーヴェスタ家にて当主を僭称するアイヴァーなる輩を討ち取るまでは。


<続く>

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