第18幕 おやすみぼくの光宙


「先日はお騒がせしました。お詫びに手伝いに参りました」


 これまた体育館の舞台袖。作業も少し進んだしちょっと休憩でもしようかというところで突然深山がやってきた。単調な作業に飽き飽きしていたところ、むさ苦しい作業場に女子が現れたとあっては一同沸き立つ。

 しかし、どうも完全には煮えきらない態度である。俺と深山を交互に盗み見ている。深山もリアクションの続きを困惑して待っている。

 とうとうしびれを切らしジジョーが口火を切った。


「手伝ってくれるのはありがたいんだけど、結局どういう関係なんだ花籠と深山さんは」


 過日の『人生推しまい事件』を経たことによって、いよいよこの男三人が興味を押さえきれなくなった様子。恋バナが好きすぎるこいつら。

 だけどそれだけじゃないみたいで、後ろに深山がいるのを知りつつ俺を煽った責任も感じていたらしい。本当に恋愛関係にないのかと念押しが酷かった。


 そうは言われても、当の本人が一番分かっていないのだから仕方ない。何なんだろうな。ファンにしては舐め腐っているし、クラスメイトにしてはあまりにもこちらを気にかけすぎている。

 関係性で思いつくのは……


「近所の悪ガキ?」


「トムとジェリー?」


「アオハル?」


「オードリー」


「それだ」


 俺の言葉に続いたジジョーと兼田と小南、そして小南案に賛成した深山。嫌いだったらお前と漫才やってねぇよってことか。いや漫才してねぇから。他の奴らも納得するな。本当にそれで納得してくれるならいいけど。



「で、劇の方はいいのか?」


 生産性のない行き着く先は暗黒大陸なこの話を逸らすため、そう尋ねた。今ごろ教室では役者組が練習を頑張っているはずだ。


「確かに。深山さんって主役だろ?」


「どうしてか意外と出番ないんだよね……。ちょっと抜けて手伝いに行ってくるって言ったら許可くれた」


 ジジョーの当然の疑問だが、おかしなことにシンデレラ本人も回答出来ない。誰もこのクラスの劇の行く末を理解していない模様。


「あー、借金取りと二番目の姉がメインだもんな」


「今さらだけど大丈夫なのこの劇」


 俺の補足に兼田も戦慄している。

 大丈夫かどうかは恋の缶詰こと愛生先生次第である。あの日の落ち込み気味だった俺と深山を見て「なるほど」と呟いてから、ひたすら虚空を見つめていたことに恐怖を覚えた、あの机上の恋愛空論博士こと愛生次第である。妖怪恋愛啜り愛生次第である。ろくな二つ名が無い。目があったら逃げろ。カップルにされるぞ。



「それで、今何してるの?」


 次の質問者は今の俺達の様子を見た深山だった。さっきまで作業をきちんとしていたのだが、いかんせん今休憩に入ったところで少しバツが悪い。これを人類はテスト勉強中にお母さんの法則と呼ぶ。


「ダンボールつなぎ合わせてそこにシンデレラっぽい背景の紙貼り付けたり、ガラスの靴ってどうやって用意するか話し合ったり、エナドリはどれが一番美味しいのか議論したり、ダンボールの裏側に落書きしたり、とにかく大変なんだ」


 動揺したジジョーが、早口で下手くそな弁解をしている。言わなくていいことを言って本当に作業していたことすら嘘にしか見えない。ただの自爆でしかない。誤魔化すために兼田がバカのフォローに回る。


「そうそう、色々やることあるんだけど何なら手伝えそう?」


「……落書き?」


 それはそうだけども。

 全員各々の顔色を窺う。

 暦上は秋のはずなのにまだ30度を超えたりする暑さの中で体育館の作業なのだ。

 どうやら心は一つのようだった。


「……大変な作業だけど力合わせて頑張ろう!」


「おー!」


 全員清々しい表情で声を揃えていた。

 ダメダメであった。

 俺の周りにはろくなやつがいない。







「すぐ戻ってくるって約束でしょうが!」


 後ろを振り返ると為近が仁王立ちしていた。普段は柔らかくも端正な顔立ちが、眉を釣り上げて怒髪で天をついている。その後ろにも数名控えている。役者組勢揃いだ。


「た、ためちー、これは違うのこうすることでインクが木に染み込んで耐久性が上がるってこの人が!」


 指を差して俺を売る深山。途中で罪悪感を懐き始めた深山にそう吹き込んだのは確かに俺だが。男三人も慌ててペンを背中に隠す。絵は隠せてないが。

 意外と上手い小南先生の馬と、兼田画伯の五本足のナマコみたいな何かと、ジジョー画伯のキュビズムばりに全てが正面を向いている冒涜的な元生物のような何かが隠せてない。ペンよりそのグロを隠してあげろ。


 為近はますます咎めるようにじっと俺たちを睨みつける。美人の怒り顔に全員タジタジである。全員じゃないな、性癖を刺激されているジジョーとナチュラルボーン童貞の小南は嬉しさが透けている。


「こら、こんなことしちゃ駄目でしょ真面目にやりなさい!絶望的に下手くそな絵を三つも並べちゃって、もう!演劇は遊びじゃないんだよペン貸しなさいわたしならもっと上手く書ける!!」


「あ、おい」


 俺のが下手くそだっていうのか。この二人と並べられるほどに……。


 ひゃっほいと為近がはしゃいで失意の俺からペンを奪い取る。先程までのお怒りは何だったんだ演技なんだろうな。茶番だ。どうせ自分も遊びたかったから怒ってただけだろう。でも無駄に迫力あったから、流石演劇部だ。もはや見当違いのことに納得するしかできない。


 こうして為近が落書きに参戦したのを皮切りに、みんな好き放題落書いていく。実はここは高校じゃなくて幼稚園です。幼稚園ハチャメチャコメディです。


「ちょっと為近、深山を連れ戻しに来たんでしょ。あと田中、ウズウズしない!帰るよ」


「くっ、許してくださいませ。わたくし人生初めて一世一代の落書きなのですわ!」


 ストッパーは林道さんしかいないらしい。


 ストーカーならいるが。今旗は深山の背後に忍び寄って張り付いている。しかし当の深山は為近とのおしゃべりに夢中で中々話しかけられない。キッと俺の方を睨む。美人怒顔怖説2。どないせーっちゅーねん。


 奥入瀬はジジョーを見つけて絡んでいる。ジジョーが露骨にだらしなくデレデレしている。見ているとこちらが自殺波動に目覚めるほどの羞恥心に捕らわれてしまいそうになるので目を逸らし見なかったことにする。あんなの自分がしてたら夜中省みて発狂してしまう。女が絡んだときの悲惨さランキングで、彼は今まで見た人間の中でもかなり上位だ。

 他にも水無月、渡良瀬、島崎、上野のモブ役を務める男子組も落書きに混ざる。


 もう収集が付かない。好きにさせておこう。怒られるのはこいつらだ。

 大道具班は視線を交わすと、バカたちを無視して当初の予定どおりの作業に戻るのであった。







 鐘が鳴る。あれから30分程経っただろうか。そろそろいい時間だと知らせてくれている。誰かが明かりをつけてくれていたみたいで気が付かなかったが、辺りも随分と暗くなっている。ずっと中腰で集中して作業をしていたせいで凝り固まった身体を、伸びをしてほぐしていく。


 そろそろ終わりかと周囲を見渡すと、未だに役者組が居残っていたしなんならまだはしゃいでいる。このクラス、もう本当に駄目なのかもしれない。働き蟻が絶滅しかけている。大道具組と深山、それに唯一の良心林道さんはちゃんと働いていたから、いつか怒られたら残りの役者組を犠牲にしよう。


 ため息を一つ吐いて、働き組でアイコンタクトを取ってそろそろ店じまいなことを確認する。遊んでるやつらも帰らせるかと、ボードの裏側を覗くと、ペンを走らせる幼稚園児以下の高校生たちがいた。


「ってピカチュウのもりみたいになってんじゃねえか!!」


 気づけば背景ボードの裏側が一面ピカチュウまみれになっている。ボックスなら一個埋まるほど。こちらは何故か人目が増えたことを気にして、真面目に作業をしていたというのに。

 しかし俺の怒りなど意にも介していない様子。


「よっ、キャプテン!」


「新アニメに対応してんじゃねえよ!」


 俺のピカチュウはやはり共通認識だったようだ。今まであまり話したことがない男子にまで煽られた。それを皮切りに全員からピカチュウコールが巻き起こる。

 イジメか!いや本当にイジメだな?


「誰がピカチュウだミツヒロだバカタレ!」


 敬愛する沢泉スピリッツを継承した俺は、教えのとおり全員に殴りかかるべく、武器を取ろうと黄色い悪魔に取り憑かれたボードを手にしようとするが、兼田たちに羽交い締めで止められる。それでももがき一歩一歩距離を詰めていくが、役者組は本気度を見てとり一目散に逃げていった、笑いながら。


「チクショウ覚えとけ!お前らのスマホのバッテリー全部ショートさせてやるからな!!」


 ポンポンポンと何度も優しく背中を叩かれる。怒りは冷めやらぬが、いい加減去った奴らに吠えても詮無いので、もう大丈夫と両手を上げる。拘束を解かれたので後ろを振り返ると、男たち三人がこちらを憐れむ目で見ている。


「正直さ、クラス全員1学期からすげー我慢してたんだよ、頑張った方だって」


「逆にピカチュウって読まないんかいって自己紹介のときにめちゃくちゃツッコミたかったくらいだよ」


「クラスの皆と仲良くなったってことだってあんまり怒ってやるなよ、な?」


 トドメに深山が油を注ぎに来る。


「これからはもうピカ様って呼んでもいい?」


 返事は一つしかなかった。



「ブッ殺す!!!!!!」

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