第19幕 設営バイト1日目①

 設営開始の朝は早い。出来るだけ工期を短くして安くし、さっさと営業して稼ぎ始めたいからである。よって丸一日作業しっぱなしになるので辛い。なんなら作業しながら休憩に次の公演に向けて練習をする。毎日がエブリデイである。

 だが、設営が好きな人間も中にはいる、というか結構いる。サーカスとは違い労働感があって、まるで働いてるみたいで好きなんだとか。少なくとも早起きが嫌いな俺は気乗りしない。


 にも関わらず、何の因果か深山の手先。自分のとこならまだしも、他所のサーカスの場越し、つまり設営を手伝うことになってしまった。


「おはぴ」


「何おはぴって」


「おはようピースの略」


「せめてピースしながら言え。おはよう」


 手を振りながら待ち合わせの相手がやってきた。休日に会うのもこれで二度目だ。なんだか二学期になってから随分と深山と関わりが増えた気がする。文化祭のせいだろうか。

 今日は前回とは違う、各停しか止まらない小さな駅で落ち合った。


 挨拶もそこそこに、目的地までの道のりを二人で歩いていく。こういうときは車道側を男が歩いたほうがいいと聞いた気がする。気がついたことをすぐ実践することに定評のある男。

 深山はこちらを一瞥して、体当たりをしてくると、そのままご機嫌に歩みを進めた。


 今日は昨日よりさらに少し涼しくなった。いつの間にか随分と秋の気配が強まっている。暦上は十分秋なのだからむしろ遅刻しているくらいなのだが。それでも過ごしやすくなってきたなぁとセンチメンタる。


 メンタりながら深山を眺める。


 思えば同級生女子の私服を見るのも随分と久しぶりかもしれない。前回は何故かお堅い服だったから。

 オーバーサイズの白いシャツに薄いベージュのスカンツ。シンプルで悪くない。

 欲を言うならもう少しタイトな服が良かった。肌の露出と身体のラインは見えれば見えるほど良い。


「どうかした?」


 踏み切りに阻まれると横を見る余裕が生まれて、不躾な視線に気づかれてしまった。


「いや別に言うほどでもないけど」


「言わないほどでもないの?」


 言わないほどのことなのだが、それを認めると良からぬことを考えていたことがバレてしまう罠である。ちなみに可愛いなと誤魔化すと死なれてしまうのでそちらも罠である。前回の轍は避けていけ。


「そうなんだけど。まあ、うん、何というか女子が隣にいるなって」


「今まで女子と思ってなかったのね酷い」


 驚きと傷心と演技と冗談が混じりあったような、ふんにゃりとしたふざけた顔で非難してくる。

 そんな非難されるようなつもりじゃなかったので、上がった踏切の先へ逃げ出す。ノンデリな自分は相変わらずだ。


「女子なんだけど学校の女子なわけじゃん。でも今はただの女子なんだよ。何だろうな、分からないかなこの違い」


「いっちょん分からん」


「俺も分からん」


「なんやそれ」


 俺のつまらない軽口にも深山はよく笑ってくれる。


「その調子で緊張ほぐして」


「なんで緊張してんの?」


「なんでって。サーカスだよサーカス!あの奇妙奇天烈摩訶不思議なサーカスに潜入するのに!」


「同業他社のとこ行くのを潜入とか言われるとそれっぽくなっちゃうからやめてください」


 そのせいでこちらまで変に緊張してきた。


「やっぱり商売敵としてバチバチなの?」


「いや別にバチバチはしてないけど。すげぇなぁって感じ。たまにやられたなぁってこともないではないけど」


「そういうもんですか」


「そういうもんです。公演場所被らないようにするしほぼ面識ないんだよなぁ」


「日本サーカス会議!みたいなのは」


「ない」


「日本サーカスオールスターズは!」


「ない」


「日本サ「ない」ないかぁ……」


「上の人間とかならまだしも平の団員は知らんよそんなもん。だから俺もちょっと緊張してきた」


「さっきの余裕は?」


「虚勢」


「どうする、近づいてきたけど」


「バックレる?」


「おたくのサーカスの一生の汚名にならない?」


「なるなぁ……」


 退路は既に断たれていた。

 進路しかないので先に進むしかない。


「まさか地元のこんなところでサーカスするなんて」


「別にどこでもやるよサーカスなんて」


「どこでも?」


「公園デパートの駐車場スタジアム駅前イベントスペース競馬場ラグビー場テーマパーク空き地どこでもやるよ」


「競馬場!?」


「の駐車場だけど。なんであんなに駐車場好きなんだろうなぁ」


「すごい。サーカスの人みたい」


「元だよ。それに今から本職と会うんだろ」


「やめて緊張するから」


 そんなことを言ってるうちに国道まで出てきた。目的地の公園の姿も目に入る。

 更にてくてく歩くと、まもなく公園の入口から懐かしい光景が見えてくる。一年以上ぶりの懐かしい光景だ。


 公園のグラウンド、その真ん中に大きな鉄柱が二本鎮座している。そこを中心に渦を描くようにコンテナがあちらこちらに置かれている。そしてそれを囲うようにトラックの群れ。そこには沢山の積まれた資材が顔を覗かせている。さらに、クレーン車やフォークリフトがいくつか待機している。


 この様子だと昨日から作業は始まっていそうだ。とはいえ進捗度はそれなりって感じだが。アルバイトは二日目から参加する感じなのだろうか。既に鉄柱は立っているし、電線は見えるし仮設トイレもあるから水道の工事と行われているようだ。


 既にちらほらと動いている人たちの姿もあ

る。働き者たちで偉い。引っ越しのとき、うちの場合は団員たちのほとんどが電車で現地まで移動する。そしてトラックが着いて家のコンテナが片付くまではホテルで泊まることになるのだが、大体の人間はホテル暮らしが楽しくて朝礼ギリギリまでやってこないのがうちのサーカスの通例だった。徹夜で麻雀とかカルカソンヌとかやってたからな。


 俺が文化の違いに感動している横で、深山は興味深そうにキョロキョロしている。


「ねえねえ、テントは?」


「それを今から立てるのが我々のお仕事でしょうが」


 変なことを言ってるやつは放っておいて、トラック群の中心に向かっていく。


 事務所らしきコンテナの前まで行くと、以前面接で顔を合わせた枝野さんがいた。電話中のようで、目の前にいるわけでもないのに頭を何度も下げながら話していて少し面白い。しばらく見守っていると、電話を終えた枝野さんは満面の笑みで出迎えてくれた。


「おはようございます!今日はよろしくお願いします」


 二人頭を下げて挨拶をすると、恐縮した様子で頭を下げ返してきた。


「うん、こちらこそよろしくお願いします。来てくれてホント助かるよ。団長!例の子たち来てくれましたよ!」


 コンテナな扉を開いて中に顔を突っ込んだ枝野さんに呼ばれ、事務所のコンテナから大柄ででっぷりとして体格の貫禄あるおじさんがドシドシと現れた。


「おう、お前が花籠のとこのせがれか」


「あっ、はい。その節はお世話になりまして」


「で、なんだ今日は。入団テストも面接もいらんぞ。初日から飛べ」


「いやいや」


「違うのか。じゃあなんだ、スパイか?」


「みんなその冗談好きですね……。ただのバイトですって」


「ちっ、分かってるよ。そっちの嬢ちゃんも、今日からよろしくな」


「はい、よろしくお願いします!」


「うちに来たいなら倍の給料出すぞ」


「勘弁してくださいよ……」


 本気か冗談か分からないことだけ言って、また事務所に戻っていった。うちの親父も軽薄で胡散臭さが半端ないが、こっちの団長も物語の中のサーカスな団長オーラがあり胡散臭さかが素晴らしい。


「多分冗談だから、多分。じゃあ案内するね、着替えはこっち」


 枝野さんは傍らにあったテーブルの上の作業着とヘルメットを渡してくる。深山は衣装部屋にされてるコンテナに連れて行かれる。俺は放置された。その場で着替えろと?まあいいけど。


 資材が積まれたトラックの裏で、さっと着替えを済ませる。そのあと戻ってきた枝野さんに作業の流れを確認をする。今日は大テントの天幕を張るところまでやるらしい。どこも大変だねぇだなんてことを話しているうちに、ネズミ色の作業着に着られた深山が帰ってくる。似合ってねえ。


 どうするかなぁというところで、朝礼までまだもう少し時間があるから待っててと指示を受ける。ダラダラしててもいいが、どうせ暇ならばと用事を先に済ませようと思い立つ。


「ちょっと挨拶行ってくる」


「どこに?」


「お世話になった人のとこ」


「いや、一人にしないでよ」


 枝野さんにロペスの場所を聞き、深山を引き連れて向かう。

 言われた場所に行くと、ロペスは既に荷物の積み下ろしの作業を開始していた。相変わらず凄まじい筋骨隆々ぶりだ。遠目でもひと目でロペスだと分かる。


「Hola《オラ》、ロペス!」


『おいおいおいおい!ピカじゃねえか!』


 作業を中断して詰め寄ってくると、左腕で抱きかかえてきて右手でヘルメットを何度も叩いてくる。イタリア訛りの強いスペイン語を聞くのも久しぶりだ。


『元気にしてたかぁオイ!』


『ロペスは相変わらず元気そうだな!』


『ったりめぇよ!昨日だってうちのカミさんと……って』


 隣でイカつい大男に萎縮して困っていた深山に気付くと、小声で囁いてくる。


『なんだお前、また浮気か?』


『やめろって、ただのクラスメイトだし浮気したことねえよ、ロペスの奥さん以外とは』


『最高だろ、うちのカミさんは!』


 ゲラゲラ笑い俺の背中をさらに強く叩いてくるロペス視線に気付いた深山が慌てて尋ねてくる。


「何語?誰?」


「スペイン語だよ。アルゼンチンかどっかから来たロペスってオッサンだ。日常会話くらい日本語でいいよ」


 頭を下げる深山。


「今日からアルバイトでお世話になります深山といいます、よろしくお願いします」


「ロペスですヨロシク、ミャーマ」


 がっしりと握手を交わす。


『でも珍しいな女子高生がバイトに来るなんて。初めて見たぞ』


『サーカスが好きなんだってさ』


『そうか!なんだ、見どころあるガールフレンドじゃねえか!頑張れよ!』


「頑張れってさ」


「はい、ありがとうございます!頑張ります!」


『良い子じゃねえか。泣かせるんじゃねえぞ』


『だからそういうのじゃないって。ロペスこそ奥さん泣かせてないか?』


『馬鹿野郎!昨日だってホテルでアンアン鳴かせながら夜のアクロバットだよ!』


『クソ元気そうで良かったよ……』


 あまりの変わらなさに呆れていると、団長の大声が聞こえてきた。


『仕事の時間だ。行くぞ』


 ロペスに連れられ、事務所の前まで戻る。


 先ほどの胡散臭い団長が、それまでには無かった威厳を滲ませ堂々と立っている。集まってるのはざっと30人オーバー。ちょっと少なくないだろうか。どおりで人手を欲しがるわけだ。

 安全に気を付けてだとか指示に従うようにだとか、とおりいっぺんの説明をされる。

 最後に


「仕事のあとの一杯の為に!」


「おー!」


 と、団員たちだけが拳を突き上げ朝礼は終わった。オッサンたちの士気を高め方だ。こちとら高校生だぞ。



 団長が引っ込むと、代わりにガタイのいいおじさんが前に立った。引っ越し作業のリーダーがこの後の指示を引き継ぐ。獅子堂さんというらしい。

 まずは皆でメインの大テントを広げるところから始めることになった。


 サーカスによって多少の違いはあるのかもしれないが、ここのテントは七つのパーツにで構成されているようだ。天井中心部分の円が一つと、そこから60°ずつに6つが伸びて円が出来るのだ。

 この重さ10トン、直径数十メートルのテントが、運搬のためにぐるぐるに巻かれて小さくなって一台のトラックに積み込まれてやってくる。それをクレーンで吊り上げて、配置図に従って適切な場所に降ろされるのである。それが今目の前にある、黄色と水色のド派手にカラフルなこれ。


 これを今から人の手で広げていく。



「せーのっ!」


 数人がかりでその天幕ロールを放射状に転がしていく。これが物凄く重たい。少しずつ少しずつ引っ張って広げるのだ。引っ付いていたビニール同士がペリペリペリと音を立てて剥がれていくのは少し気持ち良い。

 残りの五つも同じように二本の鉄柱の真ん中の位置から広がった。これだけでもう数十分は掛かる。


 次にこれらを繋ぎ合わせていく。これがなかなか厄介で、長い半径を一箇所一箇所留めていく。

 こうすることでようやく天幕が出来上がる。


 この頃にはもう汗だくで帰りたくなるが、大仕事はまだまだ沢山残っている。ここまでもここからも大仕事だ。


「洗うぞー!!」


「おおー!!」


 3人がそれぞれホースを引っ張ってくると、空目掛けて水を放った。綺麗な虹がかかる。しばらくテントに水を浴びせ続け全体を濡らす。そこからは一人残らずモップを装備すると、ひたすらゴシゴシ。基本的に数カ月貼りっぱなしになる天幕だ。場所にもよるが大体は砂まみれになる。

 お疲れ様とこれからもよろしくの想いを込めて、移動の度にやってるそうだ。雨が勝手に洗ってくれるとか言っているどこかのサーカスとは大違いだ。


 隣の深山はそれはもうこれ以上ないくらい楽しそうにブラシで磨いていている。近くにいた知らない女性とも打ち解けてはしゃいでる。人見知りだとか内弁慶とか散々言ってきたが、そんな様子はどこにもない。笑顔を見ていると、楽しいならいいや、流れで参加させられた恨みも一緒に洗い流してやろうという気持ちにもなったのだった。

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