第6幕 おとなげない

 学校から帰宅してすること。


 まず真っ先に冷蔵庫に向かい麦茶を無限に飲む。一生飲み続けられる。

 それから汗で張り付いた窮屈な制服を脱ぎ捨てる。そして、タンスから適当に服を引っ張り出す。今日のくじ引きの結果はユニクロのスプラトゥーンコラボTシャツと、アディダスのジャージのズボンでした。さっさとメイクアップしてしまうと、リュックを背負い家を出る。この間僅か八分。


 クーラーを点けたりシャワーを浴びてしまうと外に出る気力が消滅するので、外出には勢いが肝心だ。

 ちなみに宿題はしねえ、それが俺の忍道だからって誰かが言ってた。いい言葉だ。小テスト気にして学生やれるかってんだ。


 日はまだまだ空高く、趣味も何もない俺は、いつものようにチャリンコ走らせて公園へ向かう。まるで小学生のような放課後の使い方なのだった。






 ここは家から離れたところにある公園。地域の中でもそれなりにデカい部類だ。

 遊具ではしゃぐ小さな子ども、手打ち野球をする小学生や、スケボーをする大学生、日陰で話し込むお母様方や、犬の散歩をする老人などで賑わっている。

 そして、俺はその中で、見事にどの層にも人気のない鉄棒を選ぶ。

 これが俺をここに来させる理由だった。それなりに珍しいことに、いくつかの大きさの鉄棒が揃えられており、その中には俺がぶら下がっても足が着かないものまである。

 無かったら無かったで、運動なんてしようとも思わなかっただろうに。下手にあるから、特段家でやることもないのも相まって、習慣を惰性で引き摺り続けてしまっている。


 ちなみに、炎天下の鉄棒はただのホットプレート棒なので、そのまま掴むと自分の手で焼き肉気分を味わえる。

 なので、リュックから水鉄砲を取り出す。砂場の近くの水道でタンクに水を補充する。

 狙いを定めて鉄棒に水をぶっかけた。


 こうすることで多少濡れて滑るようになるが、そんなものすぐに乾くし、何より焼けた鉄の棒とかいう拷問器具のお世話になるより一万倍マシだ。夏場は水で冷やすのが必須である。冬は冬でかじかむ上に冷えに冷えて掴めたもんじゃない。


 軽く柔軟し、自分の身体の調子を確認した。


 これで準備完了だ。


「よっと」


 鉄棒の下から垂直に跳び上がり、まずは両手でしっかりと握ってぶら下がる。まだちょっと熱い。

 懸垂で身体を持ち上げた後に、両脚を前後に振り勢いをつけ、体重を全て重力と遠心力に委ねてまずは一周ぐるり。今日も特に違和感無し。

 そのままさらに半周し、鉄棒の上で倒立をする。手を交差させ、捻って身体の向きを前後入れ替えると、先程とは反対の向きに身体を回す。二回転し、再び倒立の形に戻る。


 世界を逆さまに見ていると、何人か子どもたちが集まってきている。サービスで、派手な大車輪。鉄棒を軸に身体をクルクルと回して最後は手を離し宙を舞ってから着地する。


 ま、このくらいならなんとかってところだ。実は遠心力に持ってかれそうになったし、着地ちょっと体勢崩れたし、回転に酔いそうになったけど。


 小さな観客たちから拍手が贈られる。

 そのまま詰め寄られて囲まれてしまう。


「なんだお前ら、野球はいいのか?」


「ハナー、あれ教えてよ」


 常連のちびっこどもから教えを乞われる。何故か俺はハナと呼び捨てで呼ばれている。どうやら舐められている。証拠に今も尻をベシベシとしばかれている。


「お前ら自由だなぁ。今度は何教えてほしいんだ」


「お手玉!」


「お手玉ってなぁ。いいか、ジャグリングって言うんだよ」


「ハナー、ジャグリング教えろよ」


「あーもう、分かったから、ケツ叩くなケツ」


 ケツって言うと何が嬉しいのか大笑いだ。


 ここに来ると、大体こうしてチビッコギャングに絡まれる。集団で囲み、教えて教えて銃を乱射して俺の技を強奪していく悪いやつらだ。最初の頃は遠巻きに眺めてるだけだったのに、一人が突撃すると、あとはもう怖いものなしだ。今や公園でちびっこに声をかけられない日はないくらいになってしまった。


 ジャグリングはサーカスでパフォーマーやってるなら大体の人は出来る。特にサーカスで生まれたやつは全員出来る。多少の巧拙はあるが、舞台に立っても問題ないくらいには出来る。やってても危険があまりないので気軽に練習出来るからである。あまりというのは、そのうち調子に乗り出してコンテナの上や、テントの上でジャグリングをし始めるからだ。俺は波止場でやり海に落ちてバチボコに叱られた。



「ジャグリングつってもなぁ。なんかお前らジャグれるもん持ってるか?」


家の鍵、飴、消しカス、スマホ、泥団子、bb弾、丸まったプリント、バッタ、なんかのおもちゃの脚、野球のボール、プラスチックバット。


「お前らのポケット、まあ懐かしいもんだけ出てきて使えるもんは出ねえなぁ」


 焦ってるときのドラえもんの四次元ポケットみたいな役に立たなさだ。

 バッタでジャグリング出来るわけないだろ。ボールとバットくらいか?


「しゃあねえなぁ」


 その二つを借りて、足りない分は両足から拝借。ボールとバットと靴が目の前で円を描いて飛び交う。


「すげー」


 子どもたちが素直に感嘆をくれる。リアクションをくれる客はいい客だ。少しだけノッてくる。


「もっとすげぇぞ俺は。お前ら靴脱いでゆっくり投げてみろ」


 一人が恐る恐る靴を片足投げ入れ五つがぐるぐる回りだす。

 さらに他の子供が一つ追加。なんとか受け止めるが、流石にバットがバランス悪いので代わりにそいつに投げ返す。


「ナイスキャッチ!」


 それを見てテンションが上がったのか、残り二人が靴を両足とも投げ入れてきやがった。一個成功、二個目成功、投げ返して、三個目ヤバイ、四個目顔面。


「おいクソガキ全力で投げてんじゃねえぞ!」


 キレた。キレた俺を見て爆笑する四人。加減てものを知りやがらねえ。ここは一つ懲らしめてやろうと一歩進むと、


「いってぇ!!つか熱っちぃ!!」


 水鉄砲で濡れた足場から出ると、砂利の中の少し大きい角ばった石が素足に突き刺さる。しかもビビンバでも食うのかってくらいアチアチの石が日光で焼かれている。


 慌てふためく俺を見て、爆笑がさらに大きくなる。楽しそうだこと。


「あっそ、もう、お前らには教えてやんねえ」


「うわ、おとなげないんだー」


「大人じゃないんですぅー」


「教えて教えて教えて」


「やめろ身体揺らすな引っ張るないって砂利が刺さるんだよやめろ痛い痛い痛い痛いごめんなさい分かりました教えますから許してください」


 こうして小学生に敗北した俺は、青空教室を開催することになった。





 三十分ほどすると、もう既に二つ投げる程度ならなんなくこなせており、3つ目も進捗は順調だ。若いと飲み込みが早い。こういうこと言うと大体オジサンたちからボコボコにされる。


「手元見るな。投げたものの一番高いところを見るんだ。頭も身体も心も動かさないようにしてリズムに乗れ」


 アドバイスのあと、少し休憩と蛇口で水をがぶ飲みし、滑り台小屋のような遊具の影に身を寄せ、目を細めて子どもたちの様子を見守っていた。


 みんな、それはもう楽しそうにやっている。上手くいってる間は嬉しそうに笑い、失敗して明後日の方向に飛んでいったときは楽しそうに笑い。


 眩しいな。



「何笑ってるの?」


「何だよ。別に笑ってねえよ。笑いたくても笑えないし。眩しかっただけ」


「なんでそういう嘘つくかなぁ」


「嘘じゃないです老眼っすか」


 スケボー集団の中から、大学生くらいの背格好の女性が輪を抜け出して、子どもを見守る俺の隣に立っていた。

 彼女が近づいてくると、その名前のとおりどことなく花の香りが漂ってくる気がするので、接近も分かっていたので特段リアクションもしなかった。


 そんな俺の態度が気に食わなかったようで、生意気め、と言いながら、やおら俺の頬をつねるとそのまま上に持ち上げる。


「ほら笑えるじゃん」


「おとなげねぇ……」


「おとなげないのは大人の特権なんだよ」


 しばらく二人で子どもを見守る。

 もはや彼らはお手玉をしていない。カバンの横に置いていた水鉄砲を見つけてしまったんだから終わりだ。今は楽しそうに水遊びをしている。俺のスプラシューターが……。


 そういえば俺の周りの人間は大人気ないやつばかりだったなぁ。みんなこの子どもたちと変わらないような人ばかりだった。



「笑っていいんだよ?」


「笑えたら笑ってますよ」


「笑えないんじゃなくて笑いたくないんでしょ?」


「またおとなげないですよ」


「そんなにお気に召さないなら子どもっぽい手段でこうだ」


 指をわきわきと動かし、くすぐりのモーションを見せてくる。そのままジリジリとにじり寄ってくる。

 虚空に何度かパンチをし、本気で交戦する態度を見せる。くすぐるのは諦め、くちびるを尖らせて肩を寄せてきた。


「やめろくっつくな距離が近い」


「なんだ照れよってからに。ん?女体好き?ピチピチぞ?試しに触ってみる?」


「誰が触るか」


 いや本当に触りたくないです。別に異性を感じないし感じたくない。その無駄にデカい一部分から必死に目をそらす。やめてくれ。


 そうして不毛なやり取りを数分。


「……マザコンだなぁ」


 唐突にそう呟いた。


「は?」


「ママが好き好き大好きだからでしょ?」


「何だよ急に。別にそんなんじゃねえし」


「世界一可愛くて大好きで大好きで仕方ないママがいなくなっちゃってさ、気持ちなかなか切り替えられないのは分かる。しばらく悲しんでいたいのも分かる」


「いや何も分かってねえ。別に好きでもねえしそんなに可愛くもなかった」


「反抗期だなぁ。お母さん、実際年齢より全然若くて可愛かったでしょ」


「もういいよそれで」


「お母さんはさ、辛気臭い顔してないで笑って欲しいって言うよ」


「言われなくても分かってるよ。でも駄目なんだよ」


「マザコンめ」


「どーせマザコンですよ、俺は」


「そうよ、どうせだけどね。クールぶっててもそのうち簡単に化けの皮剥がれるもんね」


「ぶってねえよ、クールなマザコンなんだよ」


 喋りたくないことを喋ってしまった。この人を前にすると、ズケズケ踏み込まれて、いつも気付けばついつい、心に仕舞っている言葉がポロポロこぼれ落ちてしまう。そういう空気感があるんだよなぁ。


 この公園で会うようになったのは先週と少し前くらいから。あまりにも唐突な再開に大層驚いたものだ。以前とはすっかり見違えた。

 どうにも暇を持て余しているようで、この公園に来ると大体いる。スケボーに乗って滑っていたり、子どもたちをぼーっと見ていたり、一緒に走り回っていたり。

 暇なんだろうなぁ。


 前なんか、高校私も久しぶりに行きたい連れて行ってとまで言っていた。断固拒否した。喋っているところを見られでもしたら、周りにどんな目で見られることか。


「おいハナ!なに喋ってんだよ今出来たのに!もう一回やるから見とけよ」


 子どもたちを見やると、いつの間にやら水鉄砲を捨ててジャグリングに戻っていた。興味のサイクルが早すぎる。関西サイクルスポーツセンターかよ。いや意味分からないなこれ。


 隣からはいってらっしゃいと手を振られた。手伝ってくれればいいのに。

 まあ手伝ってもらえたとしても期待は出来まい。あまり器用な人ではないから。

 後ろ手に手を振って、子どもたちのもとに無愛想な顔で馳せ参じる。


 今日も鉄棒をあまり触れそうにない。

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