第3章 代理戦争

第1話 素振りと動体視力

 安居院さんはあの日から何かが止まった印象に見える。

 私には何も出来ない。

 だけど今日もこうやって、安居院さんのもとにやってきては稽古を付けてもらっている。


「振るなら竹刀ではなく木刀だ。俺が用意しといてやるから安心しろ」


 素振りで感覚を掴むのであれば木刀、安居院さんはそう言い切って私に白色の木刀をくれた。

 初日はただの素振り。本当にただただ振って、振って、振り続けるという反復練習。

 普段は竹刀だからそっちのほうが慣れているのは分かっていたけれど。

 木刀を振り続けるのは、私には過酷でしかなかった。


 私は師事しじする人を間違えたのかな?


 だけどそれは全く違っていて、寧ろ安居院さんでなければ、きっと私は後悔していたに違いない。

 あの『道場』での一件から、早一週間は経っていると思う。

 安居院さんは道場を出ていき、私も後を追いかけたのだけれど、すでに辺りは夜のとばりの中。何処へ行ったのかもわからなかった。

 翌日の放課後。

 いつもの寮の裏庭に行くと、ベンチにいつものように黒色の木刀を抱えて座っている安居院さんがいた。

 私は勢い余って感情的になって、安居院さんの頬を叩いてしまった。それについて謝罪しても、


「いや、過ぎた事だ」


 そう言って、道場のことは何も言わずに稽古が始まる。

 ずっと木刀を素振りし続けているからなのか、私は段々と木刀で振るコツが分かってきた気がした。

 今まで竹刀でしか素振りをしてこなかった。もちろん防具無しで素振りも当たり前で、ちゃんと地道にやってきたと自覚している。

 けれど木刀だと最初のうちは


『私自身が木刀に振り回されている』


 感じがしていた。

 木刀は竹刀と違い、それなりの重量がある。私もネットで検索して分かったのだけれど、日本刀と同じぐらいの『木剣』なるものも存在する。流石に私が木剣を振るなんて無理だ。

 剣道を始めた時に顧問の先生から


『左手薬指と小指を意識して。右手指はただ添えるだけ』


 なんてことを教えてもらったのを思い出す。

 そうすると竹刀と木刀の振り方でボロが表れる。

 安居院さんはきっとそれを見抜いていたんだと思う。


『てこの原理』


 弱い力で重たいものを動かしたり、微小な運動を大規模に変換する法則。

 竹刀では分かりにくかったけれど、木刀だとその差が歴然として表れる。

 素振りをして剣先が常に思ったところで止まっていた竹刀に比べて、剣先が思ったところでは止まらずブレてしまう木刀。

 素振りをする際に『どこに荷重を置いているか』で、振り方止め方が変わってくる。

 左手薬指小指を意識して、更に振ろうとしているものは木刀であると認識する。すると弱い力であっても、思いのほかの結果が付いてくる。実感が湧いてくる。


「だいぶコツを掴んできたみたいだな」

 今までずっと素振りをしている時は、ベンチから立ち上がろうとしない安居院さんだったけど、今日のを見て思うところがあったのかも。

 なんて私は期待をしてしまう。

「思うように振れる様になってきました!」

「だろうな。足捌きだけは一人前だからな」

「またそんな意地の悪いことを…」

「本当の事だろう。だが足捌きが一人前って事は、体幹もしっかりと備わっているって意味でもある」

「そうなんですか?」

「それに…」

 言いかけた瞬間に安居院さんがいきなり持っていた木刀を投げつけてきた。

 私は咄嗟とっさに避けた。

「何をするんですか!」

 当たらなかったから良かったけど、大怪我しかねないのに。それに私は女子ですよ?

「岬さん、本当にアンタ、自分が弱いと思っているのか?」

「えっ?」

「木刀で素振りさせ続けて分かったんだが、動体視力が結構良いほうじゃないか?」

 安居院さんは投げつけた木刀を指しながら、

「本気とまではいかないが、思いきり投げつけた。だがそれをいとも簡単に避けた。これが何よりの証拠だと俺は思うんだが」

 その方向には花壇があって、安居院さんが投げつけた木刀が突き刺さっていた。

 急に悪寒おかんが走ったのは言うまでもなかった。

「私を…殺す気ですか?」

「何で? 本気で投げたとは言ってないだろう?」

「だからといっていきなり木刀を投げつける人が何処にいるんですか!」

 すると安居院さんは自身に指を指す。

 溜息を吐くしかなかった。

 この人には何を言っても無駄だってことは、あの一件以来分かりきっている。

 一子相伝の剣術の使い手。

 その名も日輪無神流。

 しかも当主。

 もう一度溜息を吐く。

 聞いても無駄かもしれないけど不毛な質問をしてみた。

「何故、私のお願いを聞いてくれたのですか? 日輪無神流は口外法度、門外不出の流派って解釈で良いんですよね? それなのに私に稽古を付けてくれている。大丈夫なんですか、弟子なんて取らないでしょうし」

「愚問だな」

 軽く一蹴されてしまった。

「道場でも聞いていただろ? 俺は俺の代で潰すと。だったら俺は己の信じるやり方でやっていく。悪いが個人的なことだからそれ以上は言えない」

「ですよね」

 少し意地悪な言い方で返した。

 だが、と安居院さんは話を続けた。

「まだ信じられん。顧問のあの県警上がりの言葉。俺からすればアンタはしっかりと素質を持っている」


 素質?


 この私が?


 その言葉に躊躇してしまう。

「噓も何も言っていない。本当のことだ。ただ岬さん自身がそれに気付いていないだけ。そしてそれを上手く引き出すのが顧問の仕事だろう? 岬さんの天武の才ってヤツを見抜けなかったあの県警上がりはやはり気に食わない」

 花壇に突き刺さったままの木刀を、拾い上げて私に向き直る安居院さん。

 その白銀の髪から覗き込む瞳。

 どこか、陰がある瞳。しかしその奥には怒りが満ち溢れている様な気がした。

「岬さん」

「はい!」

 突然言われたので、素っ頓狂な上擦った返事を返してしまった。

「明日から動体視力の使い方を教える。素振りはここまでだ。以上、お疲れさん」

 安居院さん、やっぱり何を考えているのか分からない人だ。

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