第10話 安居院の曾祖父

 あまりにも信じ難い事ばかりだった。

 更衣室で見た、安居院の身体の傷はまさか刀傷だなんて。

 どう考えたって、僕には信じられなかった。

 虐待でしかない。

 日輪無神流とは、とても身勝手な流派にしか思えない。

 安居院は、それに気付いていないだけなんだ。

 この時代に刀傷……。

 有り得ないと僕は思った。

 だからこれは虐待だ、と思った。

 しかし、安居院の表情から虐待を受けたという感じは見られず、むしろ一子相伝の流派に取り憑かれている様にも見えた。

 こんな事実がまかり通ってしまったら、安居院はただの殺人マシンになってしまう。

 目の当たりにした僕の、ふと頭をよぎった感想がそれだった。

 だが、こうも考えられる。

 幼くして、両親と死別してしまった安居院には、この様な残酷なまでの運命を、辿らなければならなかった。

 だから脳の感覚が、どこか麻痺しているのかもしれないとも。

 それ以上はもう、僕には何も考えつかなかった。

「何処から話せば良いかなぁ?」

 安居院は再び先生の前に、胡坐をかいていた。

 その姿を見て、僕は『やはり、どこか壊れてしまっている』と思えて仕方がない。

 常人には到底分からない感覚を、安居院は持っているのかもしれない。

 そう思いながらも、彼が何かを言おうとすれば、僕はどうしても耳を傾けてしまう。

「引き取ったのは、安居院家の祖父か?」

 先生は問う。すると安居院はフンッと鼻で笑い、

「そんな訳ないだろう? ジイさんはとっくに死んでるよ、病気でな。そのジイさんが十九代目」

「何? それではまさかお前を、ここまで叩き上げたのは……」

「曾祖父、ひいジイさんにあたる、安居院久蔵あぐいきゅうぞうだよ」

 ん?

 曾祖父だって?

「ちょ、ちょっと待ってくれ。曾祖父っていったって、一体幾つなんだよ?」

 僕は割って会話に入ってしまった。

 どうしたって辻褄が合わない。

 曾祖父が日本刀を、果たしてそんなに振り回せるだろうか?

「久蔵のジジイは、頭のネジが二、三本ぶっ飛んでるジジイでな。俺が安居院家に引き取られた時は、とっくに八十越えてて、一昨年百歳手前で亡くなったよ」

 安居院は不敵に笑った。

「聞けば先代のジイさんは、身体が弱かったらしくてな。親父が二十代の時には、亡くなったって言ってたっけ。そうすると次の後継者は親父になってくる。だけど親父はお袋と駆け落ち同然で逃げたって、久蔵のジジイが言ってたよ」

「その十八代目、久蔵さんはやはり強かったのか?」

「そうだなぁ、俺は一度も勝った事はねぇ」

「む? ちょっと待て」

 先生が話を遮って、顎を擦りながら唸る。

 今の会話の中で、気に留めるところがあったのか。

「勝った事がない、と言ったな?」

「あぁ、だから何だってんだよ」

「まさかとは思うのだが、日本刀で稽古をしていたというのであれば、下手をすれば死ぬことだってある。つまり、死んだら負け、という事ではないか?」

 先生がそう言う。

 これは僕だけじゃなく、知代子さんや、安居院が連れてきた女子も、想像を疑ったかもしれない。

 日輪無神流の『敗北』というのは、つまり『死』を表しているということなのか。

 安居院はニヤニヤと、変わらず不敵な笑みを浮かべる。

 そしてゆっくりと語り始める。

「勘の鋭いジイさんだな。日輪無神流、己の一族を守ると共に、一族の弱者は何人も死んだと聞かされている。弱者には様がないって事だよ。安居院一族には強者だけでいい、心技体が完全でないものには、敗北が待っている。即ち死ぬって事だ」

 そんな……。

 それが安居院家、日輪無神流の歴史だというのか。

 同族同士で殺し合う。

 そう受け取られても仕方がない言い回し。

 しかし安居院の言葉には真実味がある。

「な? ひどい流派だろ? 一族を守るとか何とか抜かしておいて、強さを追求するあまりに、殺し合いをさせていたんだ。俺もその端くれって訳だ」

 安居院は平然と、変わらずの横柄な態度でいる。

 この場の空気が重く感じる。

 とてもじゃないが、頭が追いついていかない。

 時代錯誤も甚だしい。

 夢であれば悪い夢だ。

 こんな残酷な夢なんて覚めてしまえばいい。

 だけどこれは夢なんかじゃない。

 立派な現実だ。

 だとしたら僕は安居院に勝てる訳がない。

 僕の信じる剣道、、、、、、、で勝てるはずがない。

 相手は同族同士で殺し合いをする、とんでもない流派なのだから。

 しかし、

「ふむ……流石は日輪無神流、といったところか。安居院一族は刀で稽古という名の、殺し合いをしていた、そこで心技体が備わった者だけが後継者となる、という訳かな?」

 先生は表情ひとつ変えずに、淡々と安居院に問いかける。

「まぁ、大体そんなところだ。俺も気が付いた時には、日本刀を握らされていたからな。ガキの頃は小太刀だったけど」

「それで負った傷が、今のお前の身体に残っている、という事だな?」

 安居院は頷いた。

 もう少しで『平成』という年号が、変わる時代にこんな無茶苦茶な流派が、現存している事に、僕はどうしても信じる事が出来なかった。

 安居院の強さは狂っている、、、、、としか、言いようがない。

 しかしそう思った矢先に、先生が突然、

「という事はだ、久徳さんはお前に日輪無神流を継いでほしくなくて、奥さんと駆け落ち同然で逃げたのではないか?」

「はぁ?」

 先生の言葉に、睨みながら反応する安居院。

日輪無神流、、、、、と立ち合っ、、、、、てはならない、、、、、、、そう言ったのはお前の父親だぞ? 久徳さんは日輪無神流の危険性を、一番危惧していたのではないか? 久徳さんの考えは、この呪われた流派から実子、つまりお前を引き離す事ではないのかな?」

 そうかもしれない。

 安居院の父親、平田久徳っていう人は、安居院貴久に殺人術といっても過言ではない流派を継いでほしくなかったはずだ。

 そうであれば合点がいく。

「要は、安居院家も一枚岩ではなかった、という事かもしれないな」

 先生がそう言うと、安居院は黙り始めた。

 そうかと思うと突然、高笑いをし始める安居院。

 彼の行動のひとつひとつが、何だかいびつ、、、に見えてきた。

 僕も、小学校一年生から、剣道を始めて今がある。

 それと同じ様に、安居院も幼い頃から日輪無神流と共に、今があるのだろう。

 そしてそこから、人格形成がいびつ、、、になっていった。

 僕は思う。

 安居院の強さというのは圧倒的な『虐待』からの反骨精神。

 そうでもしなければ、やってこれなかったのだろう。

 やがて、その反骨精神は『怒り』に変わる。

 皮肉な話だが『虐待』よって強くなってしまった、としか言いようがない。

 そう思うと安居院貴久という男は、何だか可哀想に思えてしまう。

「だったら何だっていうんだ?」

 安居院は立ち上がり、先生に近づいていく。

「久蔵のジジイは、戦争中に南方で、何人ものアメリカ人を殺したって言っていた。らなきゃられる。日輪無神流十八代目として生き残れた、とほざいていた。だから言っただろ? 己の一族を守れりゃ、それでいい。それがこの日輪無神流だ。相手が剣道家だろうが、アメリカ人だろうが、何だろうが生き残らなきゃ意味がない。だから俺は一族のおきてを破ってまで、今ここにいるんだよ」

「掟だと?」

 掟?

 影で存在していた日輪無神流だ。

 さっきも安居院は『口外法度』と言っていた。

 まさか、そいつに関係するというのか?

「細川のジイさんよ、これ以上深入りすると怪我するだけだぞ? 幾ら引き分け、、、、だったとしても、これが竹刀じゃなく、日本刀だったら…俺はアンタの首をかっ斬っていた、、、、、、、。このくらいにしておいた方が、ジイさんのためになる。興味本位もほどほどにな」

 安居院が先生の顔を覗き込んだ。

「ちなみに、この距離でもアンタを叩きのめす事が出来る。日輪無神流はどんな距離であろうと、仕留めるすべがある。それぐらいの覚悟はあるんだろうな?」

「む…」

 先生が唸る。

 これ以上は無理だ。

 安居院は狂っている。


 狂奔きょうほん


 相手にしてはいけない。

 このままでは、本当に……。

 殺されてしまう。

「もうやめてください!」

 その声は意外であった。

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