第9話 安居院一族の歴史

「貴久! 立て! 立たねば死ぬぞ! それでも良いのか!」

 俺はまだ幼かった。

 ジジイが木刀を持っている。

 俺も木刀を持って膝を付いてジジイを見上げていた。

「こんなものか? それでは日輪無神流の名が泣くぞ!」

 知らない、そんな事。

 俺はそもそも、こんな場所から早く逃げ出したかった。

 ばあちゃんと一緒に。

 ジジイはどうかしている。

 時代錯誤もはなはだしい。

 一子相伝?

 何だそりゃ。

 何でそんなものに、俺が付き合わされなきゃいけないんだ。

 俺は木刀を持って、立ち上がった。

「どうした、貴久! 貴様の本気はそんなものか!」

 うるせぇよ、黙れ。

 俺はジジイに向かって、木刀を投げつけた。

 ジジイの胸に木刀が突き刺さる。

 木刀だと思っていたものは、真剣だった。


               ※※※※※


「安居院、目が覚めたか?」

 覗き込んでくる顔。

 塚原だ。

 それから岬さん。

 さっき見ていたのは夢?

 俺は記憶を整理する。

 そうだ、俺は細川というジジイに、胴抜きされたのだ。

 そこから意識が曖昧になって。

「気を失った…? この俺が?」

「流石だな、日輪無神流。しっかりと堪能させてもらったぞ」

 細川のジジイが目の前にいる。

「しかしこれは良くて引き分け、、、、だな。お前は対してダメージは残っておらんだろう」

 俺はゆっくりと身体を起こした。

 胴抜きされた腹部に痛みはない。

 日頃の鍛錬で、腹筋でダメージを減少させている。

 しかし意識を失うほど、俺は打たれ弱かったのか。

 そう思うと、自分自身に怒りが込み上げてくる。

「俺は…負けていない……」

「そうだ、負けても勝ってもいない。引き分けだ」

 黙れジジイ。

 もう一度、その首に剣先を突き立ててやろうか?

 と思ったがそんな気も起らなかった。

 不覚にも、気を失ってしまったのだから。

「ところで安居院、お前はいなす、、、のも上手いな。条件反射なのか分からんが、胴抜きをした際に、手応えが若干浅かった。そんなに痛みも無かろう」

 細川のジジイは、何でも御見通おみとおしって訳か。

 俺の父さんと親交があったというのも、どうも嘘ではないようだな。

 クセのあるジジイだが、よく相手の動きを見ている。

 八十越えとはとても思えない動体視力。

 死んだ曾祖父ジジイと負けず劣らず、ってところか。

「さぁて……」

 細川のジジイが身を乗り出した。

「引き分け、となったがどうする? 話すか話さないか?」

 俺はジジイを睨む。

 その姿がまるで曾祖父ジジイに被っている様だった。

「ちょっと待って下さい! さっき生身で胴を受けたんですよ? 少し横暴ではないですか?」

 岬さんが細川のジジイに訴える。

「いや…」

 岬さんの声を遮ったのは塚原だった。

「安居院は話す義務がある…止めに入った僕と知代子さんにも攻撃を仕掛けたのだから……」

 なるほど。

 俺は無意識のうちに、塚原と孫娘に何かやらかしたみたいだった。

 だったら……これは好機かもしれない。

「なぁ、約束は守れるのか? ここにいる全員に、日輪無神流という名が知られている。だが、それ以上の内容は、口外法度こうがいはっとを願いたいという事。守れるのか、守れないのか?」

 すると細川のジジイは、ニヤリと笑って、

「ワシも一介の剣士、約束は守る。一同はどうかな?」

 その一言で、孫娘、塚原、岬が大きく頷く。

「くどいようだが、守れるな?」

「疑り深い奴だな。守ると申しているだろう」

 俺は立ち上がると、細川のジジイの前まで進んでいき、目の前で胡坐あぐらをかいた。

「ジイさん、俺はどれぐらい気を失っていた?」

「ものの五分じゃ。大した体力だ」

 さっき細川のジジイが言っていた、身体をいなしていて、、、、、、正解だった。

 まともに喰らった身体の部位は、思いきり肝臓かんぞう部分だった。

 ここをまともに喰らったら、立っているどころか、下手すれば内臓破裂ないぞうはれつもあり得なくはない。

 まして、拳ではなく竹刀だ。

 ダメージを軽減させるために、ギリギリでいなした、、、、のは、俺ぐらいしか出来ないだろう。

 竹刀を振ったスピードは、パンチや掌底しょうてい、張り手とは段違いだ。

 てこ、、の原理と同じで、振った瞬間に力量と速さがプラスされ、見切るのには動体視力を鍛えなければならない。

 もし見切れなかった場合、そのままお陀仏だぶつだ。

 だから少しでも身体への負担を軽減するため、相手の攻撃、つまり力量とスピードの攻撃を己の身体を使って、向かってくる攻撃を逃がさなければならない。

 これをいなす、、、というのだ。

 剣道では防具を使っているから、いなす、、、とはいっても、せいぜい竹刀での鍔迫り合いでしか発揮出来ないだろう。

 細川というジジイは、この事をよく知っていたって訳だ。

 俺のダメージが軽いって事も御見通し。

 そして引き分け、、、、の強調。

 まぁ、負けたとは思っていないが。

 だが、喰えねえジジイだ、本当に。

「分かった。それじゃ話そう」

 俺も腹を括った。

 ここにいる剣道家たちを一応信用しよう。

 殆ど初対面に過ぎない奴らでも、ここまで念押ししたのだ。

 その約束を破れば、どうなるか分かっているはずだ。

「細川のジイさんは何が聞きたいんだ?」

「ぬかせ、日輪無神流の歴史だ」

「ハッ、随分と物好きだな。まずはこの俺、安居院貴久は二十代目当主。一子相伝というのはさっき言ったよな?」

 そこへ塚原が横槍を入れる。

「一子相伝なんか今時あるのか? にわかに信じ難い」

 そりゃそうだろう。

 一子相伝なんて時代錯誤も甚だしい。

 しかしそれが今、目の前にいる俺を見れば信じ難くても、信じなければならない。 

 これから日輪無神流の歴史を語るのだからな。

「塚原。お前自身が当たり前だと思っていた事が、実は当たり前じゃない事だってあるって事だ」

 俺は塚原の目をじっと見た。

「しかし…」

「しかしもクソもないんだよ。それじゃあ敢えてお前に問うぞ。俺に竹刀を向けた時、何故、俺を攻撃出来なかった?」

「それは……」

「それはお前の心の弱さだ。全中二位であるにも関わらず、お前は俺に屈した瞬間だ。つまり塚原自身が、気迫きはくで負けたって事実だ。だから俺はお前に助言をした。全中二位の座をみすみす地に落とす真似はして欲しくない。余計なお世話かもしれないがな」

 俺はそのまま細川のジジイに向き返った。

「日輪無神流。名前の由来は神や仏などを信じず、日輪にちりん、即ち太陽をあがめた剣術だ。細川のジイさんだったら、大体分かるよな? 俺の一族がどこから出てきたのか」

「つまり、百姓じゃな?」

 間髪入れずにジジイは答えた。

「ご名答。日輪無神流は戦国時代で生まれたとされている。落ち武者刈りで手に入れた、刀や槍、脇差だろうが何だろうが、手に入れたもので、百姓として生き残るために生まれた剣術だと、俺は聞かされている」

「落ち武者刈りだと?」

 いちいち間に入ってくる塚原。

 だが一瞥して、

「そうだ。そして足軽として駆り出され、田畑を守る為に、己の一族を守る為に生み出された流派。何故だか分かるか?」

「つまり、百姓として生きていく為には、仕方がなかった、という事か?」

 やはりただの好事家こうずかじゃないな、このジジイは。

 ちゃんと歴史学者らしい(ちょっと変態だが)事を言っている。

 俺は続ける。

「開祖は生き残る術を考えた様だ。信憑性がハッキリ言ってないんだよ。記録とかそんなものがないからな。ただ、これだけは確かだ。それが……」

「地の利、じゃな?」

「細川のジイさん、よく分かってるじゃねえか」

 その言葉を聞いた岬さんが、挙手をして俺に尋ねた。

「あの、地の利って何ですか?」

 あまり聞き慣れない言葉だから、分からないのも当たり前だ。

「地の利ってのはな、その土地、もしくは占めている土地の位置を把握し、有利に進める事だ。日輪無神流の開祖はそれに気付いた。足軽として、勝とうが負けようが、地の利を使って徹底的に戦に乗り出したらしい。そうする事によって、独学で剣術を学んでいったそうだ」

 深く頷く岬に対して、塚原だけは違っていた。

「だけどそれがどうして、一子相伝に繋がるんだ?」

 塚原は俺に問う。

「地の利を生かした戦法であれば、優位な戦いになったはずだ。褒美だって、出世だって叶っていただろうに」

 塚原のいう事はごもっともだ。

 俺自身もその事に関して、一度考えた事がある。

 しかしそんな理屈は、俺のジジイには通用しなかった。

「開祖がどう思っていたかは知らない。ただ分かっている事は、己の一族だけさえ、守れれば良い。日輪無神流という名の下に、百姓だからこそ、自然の恵みってやつを信じてたんじゃないのか?」

「自分たちさえ良ければいい、という事なのか? それが日輪無神流の信念なのか?」

 塚原は食って掛かってくる。

 俺はため息をつく。

 こいつはやはり、ただの剣道バカだ。

 剣道の視点でしか物事を見ていない。

 俺は細川のジジイに向き直った。

「なぁ、このバカに教えてやってくれないか? イチから歴史ってやつを」

「何だと!」

 すぐに反応する塚原。

 自分の知識の無さを棚に上げ、逆ギレするのは筋違いだ。

 不出来な弟子を諌める様に、細川のジジイが、

「いいか、塚原。豊臣秀吉は知っているよな?」

「はい、それは知っています」

「あれも百姓の出だと知っているか?」

「はい」

「それでは日輪無神流は、豊臣秀吉と何が違うか、考えてみよ」

 随分とまぁ、意地の悪い質問をするもんだ。

 こんなの、分かる訳ないだろう。

 まぁ、歴史を知っていれば、大体の予想は付くはずだがな。

「豊臣秀吉は武士として、出世したかったはずです。だから今も、名前が語り継がれている訳ですよね。しかし…日輪無神流は語り継がれていません」

「ならば助けよう。当時の百姓というのはな、落ち武者刈りという風習があったほど、意地の悪い立場でもあったのじゃよ。そうじゃろう? 安居院よ」

 そういう事だ。

 日輪無神流は無敗と同時に、百姓から生まれた剣術であり、百姓独特の風習で作り上げた流派だ。

 そこに答えがある。

 百姓は何処までもいっても、所詮は百姓だ。

 弱そうに脅えるふりして、いざ自分たちの集落に落ち延びた武士たちを、その集落や村で、こぞって襲いかかる薄汚い連中なのだ。 

 つまり、自分たちさえ良ければよい。

 刀や槍、甲冑を売れば金になる。

 これが百姓の裏の顔だ。

 日輪無神流は、まさにその薄汚さを象徴している剣術である。

 百姓でありながら、磨きに磨き上げた剣術を、一族の出世などに利用したくなかったのだ。

 あくまで、己の一族を守る手段に過ぎなかったのだ。

 百姓だから、そこまで頭が回らなかった、のかもしれない。

「細川のジイさんよ、当たりだよ。アンタが思っている通りの一族であり、その流派だよ。俺はそこの二十代目って訳さ」

 嫌味たっぷりに言い放った。

 全くその通りだからな。

「いや、スマンスマン。そういう言い方は悪かったかもしれん。だが動きといい、気合いといい、その身体から放たれるそれ、、は、まさに『殺気』そのもの。開祖が百姓であろうと無かろうと、立派な剣術であることは明らか。ワシも動きに付いていくのがやっとだったのも事実。老体にはちょっとキツかった」

 よく言うわ。

 このジジイは俺との立ち合いで、肩で息もしなかった。

 細川のジジイと、死んだ曾祖父ジジイが重なって見えた。

 八十越えのジジイの動きでもなかった。

「とにかく俺が知っているのは、薄汚い百姓が地の利を学習して、それを一族だけで伝えていった、って事だけだ。褒美とか出世とか、百姓には関係なかったんだろうよ」

「なるほどな……しかし、腑に落ちんところがある」

「何だよ?」

「安居院の父、久徳さんは何故、日輪無神流を継がなかったのじゃ? 久徳さん程であれば、継げたであろうに」

 やはり、そうきたか。

「確かに言われてみれば……。安居院の父親は何故、継がなかったんでしょう?」

 塚原が首を傾げている。

 お前には分からねぇよ、剣道しかやってこなかったお坊ちゃんには。

 俺は塚原の呟きを無視して、逆に質問を返してみた。

「俺の親父が着替えているところを、細川のジイさんは一度でも見た事あるか?」

 この言葉に、いち早く反応したのは塚原だった。

「そういえば、安居院の身体……」

「うん? 何じゃ? 塚原は何か知っておるのか?」

 狼狽している塚原。

「いえ…その、何というか……」

 やはりどこまでもお坊ちゃんだ。

 こんな事ぐらいで狼狽うろたえている。

「塚原は見たんだよ、剣道部の更衣室で」

 俺は立ち上がった。

 そして皆の前でYシャツと、Tシャツをその場に脱ぎ捨てた。

「なんと!」

「えっ!」

「キャッ!」

 俺は上半身をさらけ出した。

 消せる事の出来ない傷跡。

 それもひとつじゃない。

 身体中の至る所に無数の傷跡。

 これが俺の全てだ。

 蜻蛉で皆の表情が分かる。

 塚原は険しく、細川のジジイもそれに等しい。

 孫娘の知代子は、開いた口が塞がらない状態。

 岬さんに限っては、刺激が強すぎたか目を覆っていた。

「安居院……その傷跡は、刀傷じゃな?」

「流石はジイさん、見て分かるか?」

「刀傷だって?」

 塚原は俺の顔を伺った。

「本当なのか、安居院?」

「噓ついてどうするんだよ。細川のジイさんの言う通りさ」

「まさか、そんな事が……」

「ある訳ないってか? だったら聞くぞ? 今、お前が目の前で見てるものは何だ?」

 塚原は動揺し、震え始める。

「これは…剣道とか剣術とか、そんな簡単なものじゃない。ただの……虐待、、じゃないか」

「何だと?」

「だってそうじゃないか! 安居院、お前は気付いていないだけだ! こんな傷だらけになってまで、日輪無神流を継がなければならないなんて、あまりにも……」

 塚原はそのままこうべを垂れる。

 コイツは何も分かっていない。

 俺には選択肢なんてなかった。

 こうするしかなかった。

 だから今、俺はここにいる。

 己の野望を持って、ここに立っている。

 だから虐待、、だなんて思っちゃいない。

 そんな簡単な言葉で、片づけられるはずがない。

 俺はそういう運命さだめだったのだ。

「安居院よ、分かった。とにかく着なさい」

 細川のジジイが声を掛ける。

 俺は投げ捨てたTシャツだけ手に取って着た。

 半袖だから両腕の傷跡が丸出しだが、そんな事は構わない。

「んで? 何が分かったってんだ? ジイさんよ?」

「確か久徳さんが、奥さんと事故で亡くなったのは、今から十二年前。元々『平田』だったお前さんが、安居院家に引き取られた。つまり久徳さんの父、お前さんにとっては祖父になるだろうが引き取られ、日輪無神流二十代目として、鍛え上げられたという事か」

「半分合ってて、半分違うな」

 安居院家はちょっと複雑だ。

 それをこれから説明しなければならないと思うと、何だか途方に暮れそうだ。

 しかし約束は約束だ。

『虐待』だのなんだのと、言われっ放しも何だか癪だしな。

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